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第3話

 俺たちは普段は霊界で暮らしているが、年に一度、盆の時期にだけ『研修』と称した研究活動が義務づけられていた。人間でいうところの夏休みの課題のようなものだ。  毎年、各々興味の持てそうな人間に取り憑いて、彼らの生活習慣や心情などを見聞きし、レポートにまとめるという作業である。そうすることで、移り変わりの激しい『現在(いま)』を生きる人間の営みを理解するというのが目的なのだ。  本来は老若男女、様々な人間に憑いて研究するのが道理だが、こいつときたら、毎度毎度若いカップルに憑きたがる。目的が何かなどは、訊かずとも明白だ。  だから俺はこいつのことを『エロハラ』または『腹黒(ハラグロ)』というあだ名で呼んでいる。名前が黒原(くろはら)だからだ。  黒と原をひっくり返してハラグロ、常にエロいことで頭がいっぱいだからエロハラ、我ながらいい命名じゃないかと思っている。 「おい、ケイハク! もうすぐ着くぞ!」 「その呼び方、よせと言っているだろう」 「まぁまぁ。お前だって俺を腹黒(ハラグロ)だの何だのと呼ぶじゃねえか。失礼なのはお互い様だわなぁ」  ああ言えばこう言う、揚げ足取りも天下一品な奴ではあるが――ウキウキと楽しげなハラグロを横目に、俺は少々呆れながらもヤツの旺盛な意欲に感心しつつ、後を付いて行くことにした。  ところが――だ。  現地に着いてみれば、とんでもない嘘八百に思い切り騙された気分にさせられた。 ◇    ◇    ◇ 「おい、ハラグロ! 話が違うじゃねえか!」  取り憑く予定のカップルを見下ろしながら、俺は眉の吊り上がる思いでいた。  木の上に陣取りながら、ハラグロに向かって思い切り抗議する。  どこが美男美女のカップルだか―― 「あれ、両方とも男じゃねえかよ!」 「そうだよ。つーか、誰が男女のカップルだなんて言ったー? ほれ、お前の憑く方、なかなかの美人だろ? 多分彼が”ネコ”ちゃんだろうぜ! でもって俺の担当する方がタチ! 賭けてもいいわ」 「バカか、てめえは!」  一気にやる気が失せた――いや、いやいやいや、違う違う!  別に何も……(ヨコシマ)なことを期待してやって来たわけじゃないんだ、俺は!  あやうくハラグロの野郎と同じレベルに成り下がるところだったぜ。  とにかく来ちまったもんは仕方ねえ、今から標的を捜すのも面倒だし、このままあの『美人なネコ』で我慢することにしよう。 「だがまあ、しかし……猫ってよりは蝶のような男だな」  そうこぼした俺に、 「それ、”ネコ”の意味が違うよ、軽薄(ケイハク)君!」  如何にも可笑しそうに笑いやがった。  ンなこたぁー分かってる! そう言いたいのを抑えて、俺はハラグロの野郎をシッシッと掌で追い払いつつ、自分の憑く方の男の肩先へと降りていった。  傍に寄ってよくよく見れば、確かに美人だ。華やかで雅で美しく、誰をも虜にする見事な羽で優雅に飛ぶ。どんな花も彼が羽を休めに寄ってくれないかと待ちわびる――思わずそんな光景が浮かびそうなくらいに整った容姿をした男だった。ある意味、ハラグロの奴が『絶世の美人』と例えていたのにも納得だ。  そのハラグロはといえば、既にもう一人の男、つまりはこの『蝶男』の恋人にあたるのだろう傾国のイケメンの中へと取り憑いたようである。そろそろ俺も始めるとするか、そう思った時だった。 「よう、冬樹じゃねえか! 元気してたかー?」  タチの方の男――つまりハラグロ担当のイケメンがとびきりの笑顔でそう叫んだのに、ふと振り返って後方に目を遣った。そこには黒髪がつやつやとして初々しい雰囲気の少年が、逸るような顔付きでこちらに向かって手を振っているのが分かった。 「夏兄(なつにい)ー! 夏兄! おかえり! 待ってたんだ、僕……!」  息せき切らしながら玄関を飛び出して来たそいつに、俺は一瞬気を取られた。見たところ中学生か高校生くらいの、まだあどけなさが残る少年だ。  彼の後に続くようにして中年の男女が出て来て、同じように『おかえりさない』と言っているところからして、どうやら俺たちが取り憑くこのカップルは、盆で帰省でもしてきたというところなのだろう。皆に懐かしげに迎えられている。  賑やかしい声に誘われるようにして、次々と隣家から出迎えの人間が飛び出してくるので、彼らは相当に慕われていると思われた。  確かに滅多にお目に掛かれないような見目良い二人だ。凡人からはかけ離れた、粋で華やかな雰囲気が周囲の景色までをも変えてしまいそうな勢いだ。そんな男が二人並んでいるから余計に目を引くわけか、何もせずとも誰彼(だれかれ)惹き付けてやまないのだろう。特に一等最初に玄関を飛び出して来たこの少年――彼はこの二人に会えるのを殊更(ことさら)楽しみにしていたのだろうと思わせる。  頬を上気させ、一日千秋の思いでこの日を待っていたというふうな心情が滲み出ているような気がしたからだ。  だが、そんな高揚感が帰省した二人を目にした途端に、驚愕へと取って代わったように感じられて、強い興味をそそられた。  気付けば俺は蝶男ではなく、この少年の方に憑依(ひょうい)してしまっていた。

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