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【四】口実と優しさ①

「ゼリー、有難うございます」  先にシャワーを浴びた鳴神の後、花瑛が入っている間に、本来の用件――いいや、無意識の口実をやっと思い出した鳴神は、準備を整えておいた。それらが入る箱を受け取り、エントランスで花瑛が会釈する。 「ううん。まだあるから、いつでも空腹になったら来ると良いよ」  鳴神は既に職場で見せるような、冷静な表情に戻っている。花瑛はその姿に安堵していた。体も楽になっていたし、意識も清明になっている。だからなのか、花瑛は珍しく微笑した。その表情変化、初めて見る笑顔に、鳴神の胸はドクンとした。嫌な動悸がする。まるで初恋をした時のような感覚に、思わず鳴神は手を下ろしたままで拳を握った。 「それでは、失礼致します」  花瑛が帰って行く。それを頷いて見送り、施錠してから、鳴神は暫くの間、その場に立ちつくしていた。  翌日。  いつもの通りに研究所へと向かい、自身の研究室へと入った鳴神は、深々と椅子の背に体を預けながら、いくつもの羊皮紙型のタッチパネルを開いていた。アップデートのしようなど無いが、仕事に集中していないと花瑛の事ばかり考えそうになるので、無理に作業をひねり出した結果である。  室内で稼働しているドローンが、新しい珈琲を持ってきては、空いたカップを下げていく。自然とそれを受け取ってから、鳴神は考えた。  これまでの間、セクサロイドといえど、鳴神の中において、それはただの機械に過ぎなかったのだ。しかし花瑛の事は、とても機械だとは思えない。自分の腕の中にいた花瑛を思い出す度に、胸が疼くような気分に陥る。  その時、ノックの音がした。午前十時の事である。鳴神はこの時間を待っていたのではあるが、一気に緊張した。 「どうぞ」  声をかけると、『失礼します』という言葉があった。花瑛の声だ。昨日とは異なり、いつもの通りの冷静な声に聞こえる。 「おはようございます、鳴神博士」 「おはよう、花瑛大尉」  これも普段通りのやりとりだ。お互い、平時と同じ表情である。だが、鳴神の心拍数は明らかに上昇していた。軍服姿の花瑛の腰をつい見てしまう。華奢な体躯が纏っている軍服は、無性に――脱がせたくなるから困る。 「AIのバージョンアップの件に関して、俺の見解は変わらないけど」 「では、新機能として何か良い案は無いかと、上層部の方々が――」 「これ以上?」  鳴神が片目を細める。煩悩を必死で振り払い、思考を仕事へと切り替える。 「そうだな。自動メンテナンス機能には、改修の余地がゼロではないかな」  朝から無理矢理ひねり出していた作業の成果を、鳴神は述べた。ゼロで無いだけで、限りなくゼロに等しくはあるが、AIのバージョンアップよりは必要だと言える。 「上層部にそう伝えておきます」 「うん」 「それでは失礼します」 「――っ、待って」  鳴神は帰ろうとした花瑛を、気づけば引き留めていた。何気ない様子で振り返った花瑛を見て、鳴神は言葉に詰まる。視線を彷徨わせてから、改めて花瑛を見て、鳴神は静かに吐息した。 「その……ゼリーはどうだったかなと思って」 「美味しかったです。本当に有難うございます」 「そう。朝食べたの?」 「ええ。朝も昨夜も頂きました」  思えば、これまでの間、花瑛と雑談をした事など無かった。それに気づいて、鳴神は必死で思考を巡らせる。 「少し珈琲でも飲んでいかない?」 「珈琲ですか?」 「うん。自動メンテナンス機能の説明がしたい」  とってつけたような言い訳を口にしながら、鳴神は立ち上がり、応接セットのソファに移動した。そして正面の席を手で示す。 「座って」 「失礼致します」  仕事であると疑っていない様子で、花瑛が腰を下ろす。ドローンが、今度はこちらのテーブルに、二つの珈琲を運んできた。空気清浄用ドローンが良い匂いを放つ室内で、二人は向き合う。こうして鳴神は、現在の自動メンテナンス機能について話し始めた。本来であれば資料を見れば済む事なのだが、わざわざ丁寧に説明した。静かに花瑛はそれを聞いている。 「――という形だから、この部分を改修してはどうかなとは思う。ただ不要と言えば不要なんだ」 「承知しました。そのように伝えておきます」 「よろしく」  鳴神が頷くと、花瑛もまた頷いた。几帳面にメモを取っていた花瑛は、それから鳴神を見る。 「それでは、失礼致します」  そして今度こそ立ち上がった。もう引き留める口実は無くなってしまったので、鳴神も頷く。こうして花瑛は帰って行った。鳴神はそのままソファに座っていた。それから両手で顔を覆う。 「俺、何やってるんだろ……」 「博士は、座っています」  答えた秘書ドローンの声に、鳴神は肩を落とした。

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