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【四】口実と優しさ②

 鳴神から受け取った資料の入る羊皮紙型のタブレットを腕に抱えて、花瑛は退出後、廊下を歩いていた。鳴神は、いつもと全く変わらない様子に、花瑛には見えた。それに無性にほっとしつつも――何故なのか、ツキンと僅かに胸が疼いていた。  昨日の、二人きりの時の優しさを思い出す。同一人物だと確かに理解しているのだが、まるで別人のように思えた。それが少しだけ寂しい。だが、どうしてそんな風に感じるのかは、花瑛自身にも分からなかった。  セクサロイドは体を提供する存在ではあるが、決して心を差し出す存在では無い。最先端の科学技術により再現された脳機能、そうして生まれた『心』は、セクサロイドであっても各個人のものだ。  だから、たった一度抱かれたからと言って、恋心を抱くような仕様は存在していない。 「……」  だが、昨日の体験は花瑛にとって鮮烈だったし、鳴神の顔ばかりが頭に浮かんでくる。こんな精神状態になったのは、初めての事だった。静かに立ち止まり、階級が上の軍人に道を譲って会釈しながら、花瑛は視線を床に落とす。灰色の絨毯を見据えながら、鳴神という人間について考えてみる。  花瑛から見ると鳴神は、時に冷ややかな怒りや苛立ちをぶつけてくる事はあるものの、冷静沈着な人物であり、怒りとて理路整然とした妥当なものだと感じられる。優秀な研究者だ。  ――きっと善意で、自分の機能を確認する為に、抱いてくれたのだろう。  それ以外を思いつかない。だが、熱かった鳴神の体を思い出すと、花瑛は体の奥が疼いた気がした。ドクンと、胸が鳴る。  歩みを再開して上層部のオフィスを目指しながら、花瑛は溜息を押し殺す。困ったら頼るようにとは言ってもらえたが、まさか連日連夜頼るわけにも行かないだろう。 「失礼します」  別棟の軍本部に到着し、花瑛は扉を開けた。すると幾人かの軍人が、花瑛を見た。花瑛には自覚が無かったが、本日の花瑛は――いつも以上に色気を放っている。何人かが、そんな花瑛の艶を感じ取って、小さく息を呑んでいた。その反応には気づかず、上層部の面々がいる上階に向かうべく、花瑛はエレベーターホールへと向かう。 「よお。花瑛大尉」  するとエレベーターのすぐ脇の長椅子に座っていた軍人が、手を挙げて声をかけた。観葉植物の隣に座っていたその青年は、花瑛と同じ階級の東大尉である。とはいえ、年齢は東の方が上だ。 「なんだか今日は色っぽいな」  率直に東は言った。軍では同性愛が横行しているので、こういった言葉は珍しいものではない。だが、これまで、花瑛はそういう風には言われた事が無かった。花瑛には普段は性的な気配は皆無であるからだ。硬い印象も与えている。美人ではあるが。それは意識して花瑛が、セクサロイドと露見しないように、気配を殺しているからであるとも言える。  精悍な顔立ちで、短髪の黒髪をしている東は、立ち上がると花瑛の隣に並んだ。長身である。鳴神より少し低いくらいかもしれない。 「斑目大佐の所に行くんだろう?」 「はい」 「俺も戻る所なんだ」  丁度到着したエレベーターに二人で乗り込む。斑目大佐の部隊で、東は仕事をしている。災害対策班という名目だが、実際には今後の戦費を裏金として集めている部署だ。花瑛もそれは分かっていた。  エレベーターの扉が閉まった時、不意に東が花瑛の肩を抱いた。その感触に、花瑛がビクリとして目を見開く。昨日までであれば、人間に接触を許す事など、体の熱を考えてあり得ない事であるから警戒していたのだが、鳴神の事を考えていたせいで、花瑛は気が緩んでいたのだ。  東はじっと花瑛の首を見ている。そして耳元で囁くように言った。 「よく見ると――やっぱりキスマークか」 「っ」 「ついにお相手が? 羨ましい奴だな。花瑛大尉みたいな美人とヤれるんだからな」  慌てて東の腕から抜け出し、花瑛は距離を取る。そして目を細めていると、東が吹き出した。 「俺もお相手願いたいもんだ」 「ご冗談は――」 「本音だよ」  そんなやりとりをした時、エレベーターが到着した。東が先に出ていき、そのままフロアの奥に消えた。ゆっくりと外に出た花瑛は、唇を噛む。鳴神以外には、決してバレるわけにはいかない。そもそも鳴神に露見した事だって不本意だったのだから。  だが、今東に抱き寄せられた時は、明確に嫌だと感じたのだが、鳴神の体温は嫌では無かった。それが、花瑛自身にも不思議だった。

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