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【六】緩やかな進展のための目標

 こうして鳴神と花瑛の密やかな関係は始まった。大体の場合、鳴神がエレベーターホールで待っている。そして帰宅した花瑛を促して、二階のレストランへと向かい――食後、鳴神の部屋へと向かうのだ。  少しずつそれが自然となった。鳴神は少しずつ距離を縮めているつもりで、本日は花瑛のプライベートな連絡先を入手するつもりで、観葉植物の隣に立っている。花瑛が乗るエレベーターが到着するまであと少し、花瑛の側は本日も鳴神はいるだろうかといつも考えている。そしてそうである事を願うように変わった。 「おかえり」  エレベーターが開いた時、鳴神がそう声をかけた。顔を上げた花瑛は、鳴神の姿を見て表情を柔らかくする。無意識だ。 「鳴神さんも、今お帰りですか?」 「まぁね――……ううん。どうかな」 「え?」 「いつも、実を言えば君を待っているんだ。正直、今後は部屋で待ちたいから、連絡先を教えてもらえる?」  本日の目標を達成すべく、するりと鳴神が述べる。花瑛は、目を丸くした。待っていてもらったという言葉が、無性に嬉しく思えたし、同時に申し訳なくもある。慌てて軍服のポケットから、連絡端末を取り出した。それを見て、鳴神も己の端末を取り出す。その場で二人は、連絡先を交換した。 「着替えてきます」 「うん。いってらっしゃい」  花瑛が足早に、一度部屋へと戻るのを、その場で鳴神は見ていた。これもいつもの事となりつつある。些細な積み重ねの『いつも』が増えていく。鳴神は、花瑛を待つ事が嫌ではない。 「お待たせしました」  急いで戻ってきた花瑛は、鳴神の前に立つと両頬を持ち上げた。最初の頃に比べると、随分と表情が豊かに変わっている。寧ろ鳴神の方が以前と変わらない。しかし胸中では、鳴神はどんどん……好きになっていく。もう明確に、己が花瑛に恋をしていると自覚している。  花瑛はそんな鳴神の感情変化には、気づいていない。今なお、鳴神が責任を感じて、セクサロイドである己の体を気遣い、メンテナンスのつもりで行為に及んでいるのだろうと考えている。 「待ってないよ。行こうか。今日は何を食べる?」 「そうですね。魚が……あっさりとしたものが、食べたいです」  希望を口にするようになったのも、花瑛の変化だ。当初は、全て他者に従ってばかりだった花瑛は、鳴神の前でだけ、少しずつ少しずつ、自分の気持ちを述べるように変わっている。それが鳴神には嬉しい。 「和食も良いね」  本日の行き先が、決定した。二階のレストラン街の和食店を、道中で予約した鳴神は、自分よりも背が低い花瑛の横顔を伺う。本当に端正だ。次の目標は、手を繋ぐ事だ。あれほど体を重ねているのに、まだ気恥ずかしくて手を繋げないでいる。  エレベーターが目標階に到着し、扉が開く。それとなく鳴神は、花瑛の腰に触れて、先へと促した。特に花瑛がそれに気にした様子は無い。もうそれは、自然な事となっているからだ。  店に入ると給仕のドローンが、二人を個室席へと促した。そこで和紙を模したタブレット型メニューを二人で見る。それぞれ刺身の膳を頼み、顔を見合わせた。何気なく視線が合っても気まずくならなくなったのは、いつからだったのだろうか。  こんな空気が流れる時、鳴神は不思議な気持ちになる。  あくまでもロボットだと、機械だと、確かに思っていた存在であるセクサロイドに恋をしてしまった自分。けれどそこに苦悩や葛藤は無い。鳴神は、自分の気持ちには正直だ。現行法では、同性婚も、セクサロイドとの婚姻も認められている。婚姻届を用意しても良いと思うくらいには、既に花瑛の虜だ。  しかし、それを表面に出すのが気恥ずかしい。その思いは消えない。  そのため、端から見た鳴神は、いつもと何ら変わらない。どこか冷静を通り越して、冷ややかで淡々としている研究者という印象しか与えない。  だから花瑛が、鳴神の気持ちに気づく事は無い。  更に言うならば、花瑛は『自分はセクサロイド』であるという意識が強く、その部分に劣等感も感じている。露見する恐怖も相変わらず消えない。そしてそんな己を他者が好きになるなどとは考えた事もない。性的対象として見られ、搾取される恐怖しか持っていないのだ。恋愛感情が介在する肉体関係など思い描いた事も無かった。  だが、花瑛は、鳴神に触れられる事が嫌では無いし、鳴神といると落ち着き、優しい気持ちになれる自分自身に気づいてもいる。自然体でいられるのだ。そして端正な鳴神の顔を見るとトクンと胸が疼く。こんな情動は初めてだった。しかし過去に経験が無いから、花瑛はその気持ちの名前に気がつかない。恐らく経験者ならば、すぐに分かる感覚だ。それは、恋だ。時折、花瑛もそうなのかもしれないと推測する事はあるのだが、自分と鳴神では釣り合わないと確信していたし、叶わぬ恋である以上、自分だけが想っていられたら幸せだと感じ、その想いは胸の内に秘めている。 「ねぇ、花瑛」  食事が運ばれてきてから、鳴神が花瑛をチラリと見た。箸を手に取りながら、花瑛が首を傾げる。 「何ですか?」 「明日は、確か休暇なんだよね?」 「ええ。二日ほど、お休みです」 「そう。俺も有休を取ったんだ」 「有給ですか? 何かご用時でも?」  花瑛がプライベートについて聞くようになったのも、最近の事である。雑談が続くようになったのも、比較的最近だ。その積み重ねが、鳴神は嬉しい。 「少しね。花瑛は何をするの?」 「僕は特に何をするというのは……」  鳴神に用事があるのならば、明日と明後日は会えないのだろうなと、花瑛は少しだけ寂しくなった。たまには、鳴神の帰宅を自分が待っているというのも新鮮で良いな、なんて考えていたから、少しだけ寂しくなる。 「もし花瑛が空いているなら、一緒にどこかに出かけたいなと思って」 「え?」 「その……いつもこのレストラン街だし、たまには街中に出るのも良いかなと思って」 「ご用事があるのでは?」 「君と出かけたいというのが用事ではダメなの?」 「!」  するりと述べた鳴神に対し、瞬間的に嬉しさから花瑛は赤面した。その表情を見ていると両思い気分になり、鳴神は複雑な気持ちになる。実際二人は、両片想い状態と言えるので、それは勘違いではないのだが、どちらもまだ明確に口に出したわけでは無いのだ。 「嫌?」 「嫌では無いです……光栄です」 「折角だし、どこかに行こう。遊びに」 「遊び……」 「行きたい所はある?」 「僕は、街を歩いた事が無くて……遊びに……初めてです、そういうのは」  花瑛が嬉しそうにはにかんだ。鳴神は、花瑛の初めては全部自分であれば良いと考えながら頷く。 「じゃあ俺が行き先をいくつか考えておく」 「有難うございます」  デートの約束を取り付けた鳴神は、明日こそは手を繋げるだろうかと考えていた。  そうして食べた刺身は美味で、漠然と鳴神は、水族館を候補に挙げた己に苦笑した。花瑛の好きなもの、好きなこと、それらが知りたい。  その後は、二人でエレベーターにのり、鳴神の家へと向かった。そしていつも通りに体を重ねたのだった。花瑛が、鳴神の部屋に泊まっていく日は増えている。  寝入っている花瑛の髪を撫でながら、こんな時間がもっと続けば良いのにと考えた鳴神だった。

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