3 / 11
第3話
『姫木〜〜〜』
陽気な佐伯の声が携帯から飛び出してきた。
「なんだおせーぞ。何してんだ」
後ろから下手くそな歌が聞こえてくると言う事は、どこかのスナックでもあるのだろう。姫木はスマホを切ろうと耳から一旦外す。
『今、龍一たちと飲んでんだ。お前も来いよ』
今まで帰りを待っていたのは少々心配していたからで、そんな元気な声で連絡がついたなら寝るのが先だ。
「もう寝るから行かねえ」
『なんでだよー!来いよー』
陽気になっている佐伯にため息をひとつつき、姫木は今日の報告をとりあえずすることにした。どうせ明日になれば覚えちゃあいないんだろうが、言うことは言っておかないと気が済まない。
「牧島さんとこ行ってきたぞ。うまくやれって言ってた」
『え?お前牧島さんに言ったのか?』
「おめえが儲け話に乗ってくるって言えって言ったんじゃねえか」
佐伯は
『そうだっけ?いや、もし今回どじったりして喧嘩にでもなったら、牧島さんに迷惑じゃねえかなと思ってさ』
「自分の言葉にくらい責任持てよ酔っ払い。喧嘩になったならどのみち知れることだ。まあお前が失敗するとも思ってないけど。その分ならうまく行ったんだろ」
姫木の言葉に、電話の向こうの佐伯は妙に照れ出す
『愛されてんだな…俺』
ニヤニヤしながら話している顔が想像できて、姫木は見えない相手に嫌な顔をすると
「愛しちゃいねえけど、まあ…多少は信用してる」
と告げる。
『愛してるって言えよ!』
「うるせえ!もう寝るからな!邪魔すんなよっいいなっ!」
冷たい言葉を吐き捨てられた後のツーツー音ほど虚しいものはない。しかし浮かれポンチな佐伯は
「照れやがってーこのー」
とスマホを指でツンツンして、そして皆の元へ戻って行った。
その瞬間 姫木の背筋がブルっと震えたかどうかは誰にもわからないことだった。
数回の呼び出し音に応えた声がいつもの元気な声とは違って、榊は目を細めた。
「友哉?どうした、元気ないな」
電話口に出た男はーそうっすか?そんな事ないっすよーと笑った声で応える。
電話の向こうの男は、新浜友哉という榊が面倒を見ている大学生だ。
以前榊が非常に世話になった高遠の幹部の息子で、その人物が長期の懲役に服すことになり母親も病気で失って身寄りのなくなった友哉を榊が全面的に面倒を見ることにしたのである。
いつもデカすぎるほどの声と自信に満ちたハリのある話し方で、聞いている榊まで元気がもらえそうな感じなのだが、その友哉の様子がおかしかった。
「ちょっと話があってな、今から少し寄ってもいいか」
元気がない理由など、電話で聞いたところではぐらかされるのは目に見えていたので、用もあることだし行ってから聞こうとそう聞いてみた、がその返事さえ
「あー、えっと…10時過ぎなら…大丈夫です…けど」
と、こんな感じだ。腕時計をみると、8時56分。10時過ぎるまでには小一時間ある。
榊は眉根を寄せて電話の奥の音に耳を傾けた。シャワーの音がした。
友哉の部屋は2LDKのマンションで、リビングに使っている部屋は廊下を出てすぐに浴室があり耳を凝らせば微かに水音が聞こえる。
榊はその音に少し微笑んで10時頃に行くと告げた後、携帯をスーツのポケットへ流し入れた。
友哉も大学3年生だ。彼女の1人くらいは居たって変じゃない。
最初に会った時は、バスケに夢中な14歳で、元気が服を着ているような子だったのを覚えている。
榊が友哉の父親の新浜に拾われたのが21くらいの時だから、6つ年下の友哉は弟のようでずっと可愛がってきた。「なんだか変な感じだな」
友哉に彼女がいるようなのを確認してしまうと、榊の方が照れ臭くなってしまい1人苦笑してしまう。
「何笑ってんだ…?」
帰り支度をしていた牧島が、立ったまま1人でニヤニヤしている榊を気味が悪そうに見ていた。
「あ、いえ、なんでもありません。お帰りは、真っ直ぐマンションですか?」
「いや、恵比寿に寄る。友哉の所に行くんだろ、送らなくていい」
そんな牧島の言葉に、榊は曖昧に微笑んで頷く。
ここのところ最近買ったばかりの恵比寿のマンションに頻繁に通うのだ。
理由は榊も知っている。
知っているからこそ、毎回曖昧にしか応えられなかった。
柳井組の2代目を継いだ、柳井健二と会う場所だからだ。
柳井組は、高遠とは敵対関係にある日本で2番めの組織で、少し前までこの二つの組は下の者でさえ街で合えば喧嘩になる程の仲の悪さだったのである。今は公安も介入した双方の組長同士の話し合いで休戦となってはいるが、いつその火種が燃え上がるかは誰にも予想できない状態でもあった。
その跡目を継いだ2代目と高遠No.2の牧島が密会場所を持っている。
このことは本人同士と、榊、柳井健二の側近山形しか知らないことだ。
牧島は『組に迷惑はかけない』と言っている。
それは勿論なのだが、牧島の腹心とも言える榊でさえも牧島の考えている事が理解できなかった。
ー事務的に処理できる感情じゃねえんだから、頭で考えたって解んねえよ。俺達でさえよく解ってねえことを解られたら、そっちの方が気味が悪いー と、そう言って榊の納得も求めない。
しかし、そう言われても榊には男同士でどうの、というよりはやはり組が大事だし何より牧島も大事なのだ。
「先に帰るぞ。まだ残るのか?」
微妙な顔で自分を見つめる榊にできるだけ普通に話しかけ、腕をポンポンと叩いて問う。
「ええ、友哉の所に行くのに時間ができたので、少し残務やってます」
牧島はー解ったーと片手を振って、部屋を出て行った。
路上に車を停めて友哉の部屋へ歩く榊の息は、今年初の冬日というのを裏切らず真っ白に流れていた。
言い訳として残務処理を言い出してはみたが、思いの外手間取って時間が23時に近くなっている。しかもここのところ続いた小春日和のせいで着ていた薄手のコートは時間も遅くなったことで増した寒さを身に凍みさせていた。
そんな寒さに肩をすぼめて、あと10mほどの距離を足速に歩を進めていると知らず俯き加減になっていた自分へ、マンションから出て来たのあろう男がぶつかってきた。
「気をつけろ!」
GUCCIのブルゾンに両手をツッコましていた男はそう怒鳴って歩いてゆく。
榊もかなりな衝撃でぶつかられたのだが、ここで騒動を起こしても仕方がないので唾を吐き捨てる男の横顔を確認しただけでエントランスへ足を踏み入れた。
「さっきまで知り合いがきてたから散らかってるけど」
と、散乱している雑誌類を片付ける友哉に、榊は笑ってーいいからーと丸いラグの上のクッションに座らせる。
「寒かったでしょう、コーヒーでも淹れますけど」
「いいよ、すぐに帰るから。それより再来年の就職のことで話がな…」
就職氷河期とまで言われ、今の学生にとっては死活問題の状況に友哉自身も頭を悩ませていた。
「いい所あるんすか?」
仕事が決まるならいつだっていい。早いうちに決めておけば安心だ。
「電機メーカーの営業なんだが、どうだ。大手の子会社だからそうそう小さな会社じゃないし」
榊はコートの内ポケットから、企業名の入った封筒を出し友哉へ渡す。
「一応試験みたいなものも来年の6月にやるらしいけど、よっぽど悪くない限り入れるようにしておいた。まあ、要するに強力な“コネ”ってやつだけど、試験は大丈夫だろ?」
親が懲役で、榊に面倒を見てもらっている手前、勉強だけはしっかりとやってきたつもりだ。試験は大丈夫だという自信はある。
「大丈夫っす。大丈夫じゃなくても、来年の6月までにはなんとかしますから。あ〜〜よかった!なんか一安心だな」
友哉の父親、新浜の意思もあって友哉は父親の世界には触れさせないできた。榊が唯一その世界の人物だが、暴対法以降組織は株式会社を名乗っているので、側から見たら榊とてエリートサラリーマンにしか見えない。
普通の子のように、真っ当な家庭の子であるように、と友哉の父親は自分から隔離して育てた子供だ。母親もまた複雑な家庭で育ち、銀座のクラブに勤めていた時に新浜と出会い妾という形で一緒になった。
母親も新浜の意思を尊重し、自分もまともに親に育てられてきていないにも関わらず、それを反面教師にしてなのか友哉を極々普通の子供に育て上げてくれた。しかしその母親も、新浜が懲役を食らった先の大抗争の頃、大病を患い発見からわずか半年という速さで亡くなってしまったのだ。
当時友哉は14歳。榊と初めてあった年齢だった。
「その会社な、実業団ではあるけどちゃんとしたバスケ部もあるらしいんだ。これを機にまた始めたらいいんじゃないか?」
中高通じてバスケをやってはきたが、大学に入った時にきっぱり辞めた。代わりにアルバイトを始めて今では生活費くらいなら自分で稼いでくるほど熱心にやっている。
「榊さんに面倒を見てもらってるのに、自分だけバスケで遊んでらんないっす」
へへっと笑って、友哉はコーヒーを淹れに立ち上がった。
「遊びじゃないだろう。そこで頑張ってれば、今はプロへの道だってある。バスケで飯食ってくこともできるんだぞ?夢だったじゃないか」
「いやいやいや、もういいんすよ。俺はちゃんと仕事して、榊さんに少しでも恩返ししていかないと」
大ぶりのマグカップになみなみとコーヒーを注ぎ、慎重にそれを榊の前のテーブルへを持ってくる。
「俺のことは気にしなくていいんだぞ。俺は新浜さんに面倒見てもらってて、今の俺が有るのは新浜さんのおかげだと思っている。その恩返しをしているだけなんだから」
「榊さんの面倒見たのは俺じゃないからね。俺は俺の恩返しをするんだよ」
随分と生意気な口をきくようになったもんだと呆れる反面、なんだか少し嬉しくもあって榊はどういう顔をしていいか判らなくなっていた。
そして生意気で思い出したが…
「友哉、お前彼女できたのか?」
せっかくのコーヒーが冷めないうちにとナミナミのカップに口をつけながら、友哉の様子を伺う。
「え?なんで?いませんよ」
「とぼけなくたっていいんだぞ。今夜10時まで空かないとか言われた時、シャワーの音ちゃんと聞こえたぞ。彼女返さなくたってよかったじゃないか」
紹介してくれよ、と笑う榊の言葉に友哉の顔が一瞬曇った。
「友哉?」
「あー、うん。実はそうなんすよ。俺にもやっと春かなって。へへっ」
「そうか、よかったな。仕事も決まりそうだしいいことばかりだ」
「そう言えばそっすね。本当に仕事のことはありがとうございます。試験頑張るっす」
ーおう、がんばれーと友哉の肩を軽く叩いて、榊はその後少し雑談をした後部屋を後にする。
話は合わせたが、榊は友哉の顔が一瞬曇ったことを見逃してはいなかった。
車に乗る直前に、タバコに火をつけマンションを見上げる。
「何か、隠してんな…」
そう呟くと、車に乗り込み近視用のメガネをかけた。
黒いレクサスは闇に溶け、真っ赤なテールランプが街灯の少ない坂道をゆっくり下ってゆく。
「裏から調べるか」
こと友哉に関しては、知らないことがあるのが落ち着かない榊は、ゆっくりとハンドルを切り自宅へと向かった。
ほっぺたを何かで叩かれ、姫木は不機嫌そうに目を開けた。
「ただいま」
目の前に佐伯の顔があって、驚く間も無くチュッと唇にキスをされる。
「酒臭え……ていうか、降りろ。起こすなってさっきちゃんと言ったぞ」
半分寝ている姫木の手に、4つの百万円の束を握らせて、
「今日の報酬」
と言って佐伯はにっこり笑った。
「明日にしてくれ。眠くて…だめだ」
と言いながら眠りに落ちていってしまう姫木を、佐伯は抱きしめて頬やら額やらにキスをしまくってくる。
「うぜえ、やめろって…」
「なあ、しようぜ姫木。なあってば」
隆一たちの仕事がうまく行って機嫌のいい佐伯は、姫木の肩をゆすって催促などを始めた。
こうして酔っ払うと、佐伯は姫木を求めてくる。2人の行為は元々とある条件下での物ではあるのだが、その時の快楽は何物にも代えがたく、佐伯は姫木に密かに夢中になっているのだ。あくまで密かに。
その条件というのは姫木が主導で、自分がどうしても止められない衝動を佐伯が流してくれる。最初はそういう関係だったのである。しかしその衝動を流す目的での行為は佐伯でしかダメなで、女性で試したこともあったがその時は女性を傷つけてしまいそうになり一歩手前でどうにか抑えたことがある。
しかし、姫木自体はその衝動以外の時はそうそうそういう気にはならず、お互いの気持ちがすれ違う毎日だ。しかもこう一方的に片方だけが酔っていると言うときになど特にその気にはならない。
ー今日は疲れてるから嫌よー と冗談で言ってやろうかとも思ったが、流石に気色悪いので姫木は背中を向けることで拒否の意思を示した。
そんなことはお構いなしに周り込んできた佐伯は、びっくりしてじっと見てくる姫木に
「その目は、いいってことだな?」
と都合のいい解釈でますます陽気になり、その場で上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ始めるが、姫木は
「やなこった」
と、今度は反対側に背を向けた。
「え〜、姫木ぃ…」
と悲しそうな声で座り込んだ佐伯に、姫木は深いため息をひとつついて
「そんなに酔っ払って、できるんならいい」
と起き上がる。
「え!まじ?そんなの大丈夫に決まってんじゃん!やっぱ姫木は俺のこと愛してんだなぁ」
などと急に機嫌が戻った佐伯は、ベッドの脇に立って残った服を全部脱ぎ捨て某怪盗漫画の主人公のように布団へ潜り込んだ。姫木の温もりを感じながら、さあ!という瞬間
♪夢な〜らば、ど〜れ〜ほどよかあったでしょおぉお♪
といきなりの米津玄師。つまり佐伯の携帯が鳴り始めた。
「はああ?」
佐伯は半キレ状態で声を荒げるが、この歌が流れる相手は榊なので仕方なくー寝るなよ?ーと釘を刺しベッドから降りる。鳴っているのは玄関の靴箱の上。
「あれ、俺なんでそんなとこにおいたんだよ!くそ!」
邪魔されたことと寒いのとで一気に不機嫌な佐伯は、歩きながら落ちていたコートを拾い肩に掛けながらスマホを取った。
「はい」
少々機嫌悪い態度が出ていたかもしれない。
『あ、寝てたか?悪いな』
榊は、今日の電話の相手は元気のないことが多いな、と不思議になっている。
「いえ、そういうんじゃないっすけど、どうしました?珍しいっすね」
牧島のお付きということで顔を合わせることは多い榊だが、こうやって個人的にスマホにかけてくるのは、何年も付き合っているが2度目くらいではなかったか。
『明日時間取れるか?』
「明日っすか?これと言って別に何もなかったかと。なんです?」
『ちょっと調べてもらいたい事があるんだ。明日14時頃に事務所へ行こうと思うんだが』
「ええ、平気っす。揉め事っすか?」
『揉め事とかそういうんじゃないんだが、個人的なことすぎて頼みにくくてな。詳しいことは明日話す』
「そうすか、わかりました。明日14時っすね。お待ちしてます」
スマホを切り、
「個人的な頼み事か……ほんと珍しいな」
と独り言を言いながら本来の目的地へと赴く。
「姫木〜、待たせてごめ…」
それなりに早めに戻ってきたつもりなのに、姫木はかーかーと寝息を立てて熟睡してしまっていた。
佐伯は手元のスマホをキッと睨み、ああ!もう!とやり場のない怒りを口に出しながらシャワーを浴びに浴室へと向かっていった。
ともだちにシェアしよう!