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柳人からの電話

 数日後、柳人から、電話がかかってきた。あいつから電話がかかってきたことなんて、今までに、あっただろうか? めったにないことだ。珍しい。この間の、ドライブのお礼だろうか。 「この間は、ありがとう」 そこまでは、予想通りだった。だが、柳人の次の言葉は、突然だった。 「今、飛行場にいるんだ」 と。 「え? 旅行?」 そんな話、聞いてない。ドライブした日にも、そんなこと、一言も言っていなかった。 「いや、アメリカの大学に留学するんだ」 「語学の? 短期留学とか?」 柳人のやつ、いつ、そんなこと考えてたんだ? この間だって、何も言ってなかったのに。 「いや、四年制の大学」 「四年って……ははは。長いな」 俺は、動揺を隠して、笑って言った。 「次は、いつ帰ってくる?」 答えない柳人に、俺は不安になった。 「長いったって、次は、正月くらいには、すぐ帰ってくるんだろ?」 「クリスマス休暇ね」 ああ、向こうじゃ、そういうのか。まあ、同じことだろ。正月だろ。大晦日から、おせち料理を食べて、地元の神社に二年参りに行くんだろ。それも、いつも、仲間としていたことだった。当然、柳人も、その仲間の中にいた。それが、俺の、俺たちの、あたりまえだった。 「今年のクリスマスは、柳人と、二人ですごすことになるのかな」 なんだか、その響きは、なんとなく、自分で言って、こそばゆい。 「いや、別に、そういう意味じゃなくてさ」 俺は、笑って言った。 「ほかのやつらは、帰ってくるか、わからないだろ? だから、頼みの綱は、柳人だけってこと」 だが、柳人の答えは、つれなかった。 「帰らない」 飛行機代。留学の学費。向こうでの生活費。予備校の授業料。そんな現実的なことを彼は言った。 「そっか。大変だな」 と、俺は、人ごとで答えた。  柳人は、相変わらず、要領悪いな。何で、わざわざ、そんな大変なことするんだよ。 「でも、大学四年間なんて、けっこうすぐかもな。俺なんて、もう一年の半分たったもんな」 俺は、笑って言った。 「どうせ、卒業したら、また帰ってくるんだろ?」 俺は聞いた。 「帰らない」  電話口から聞こえる空港のざわめきの中で、柳人が答えた。 「え、なんて言った?」 空港のアナウンスだけが聞こえる。  柳人の返事も俺の声も、アナウンスでかき消されている。 「もう搭乗時間だから」 電話を通じて、搭乗をうながす空港のアナウンスが聞こえる。彼が、電話を切ろうとしている。 「待てよ!」  飛行場は、市内にある。だが、中心部から離れている。どんなに車を飛ばしたって、もう、けして間に合いはしない。なんで、見送りに行かせてくれなかったんだよ! なんで知らせてくれなかったんだよ!  俺は、柳人を引きとめる。自分でも、彼を引きとめて、残された数十秒で、今さら何を言えるのか、何を言いたいのか、わからない。なぜ、去りゆく柳人を、俺から旅立っていく柳人を、旅立とうとしている柳人を、引き止めようとしているのか、自分でも、わからない。俺から? いったい柳人は俺のところにいたことがあったのか? 柳人は、俺のものか? 俺のものだったことが一度でも、あっただろうか? 違うだろう。そんなことは、一度もなかった。だから、俺には、柳人を引きとめる何の権利もない。 「何?」 柳人の声は、急いでいるせいか、煩わしそうに聞こえた。 「なにか、最後に言うこと、ないのかよ」 俺は、自分にいらだっているのか、相手にいらだっているのか、それすら自分には、わからなかった。だが、考えてみれば、『何か最後に言うことないのかよ?』それは、明らかに、自問でもあった。  俺は、柳人に、何か言うことが、あるはずだ。何か、重大な、大切な、言うべきことがあるはずだ。  なのに、俺は、それを言えない。俺は、言わない。  相手に言わせようとしている。  ずるい。俺は、ずるい。  違う。そうじゃないんだ。言ったら、おしまいだ。言わなくていいんだ。このことは、言わなくてよかった。  ずっと、いっしょにいられるのなら。ずっと、いっしょに、生まれ故郷の街で、地元でつるんで遊んで仕事して、一生すごして、そんな暮らしが、ずっと続くと思ってた。  だから言わなくて、よかったんだ。  なのに、柳人は、行ってしまう。どこか知らない場所へ。俺の手の届かない所へ。俺の言葉の通じない世界へ。この海の向こう側ではない。さらに大陸と大洋を、ほとんど世界を一周まわった向こう側へ行ってしまう。  柳人の声が、ふと思い出したように言った。 「花火の写真、送って」 柳人は言った。  今夜は、地元の海水浴場で花火大会がある。毎年、仲間で見に行っていた。俺は、今夜も、柳人を誘うつもりだった。ほかのやつらは、地元に帰ってきてなさそうだし。地元にいるのは、俺と柳人だけだから。それに、この間の感触からして、柳人は、ほかのやつらがいなくても、けっこう楽しんでるように見えたから。だから、俺は、柳人を誘うつもりだったんだよ。いや、ぐだぐだ言ったが、理由は、そんなことじゃない。だが、とにかく、俺は、柳人を誘うつもりだったんだ。なのに、お前は、なんで! 「言いたいことって、ほんとに、それだけか?」 俺は、未練がましく、柳人に催促する。それだけかよ! なにか、ほかに言うことないのかよ! 「じゃあ、元気でな」 そういって電話は切れた。  俺は、何を期待していたのだろう。俺は、柳人に、何を言ってもらいたかったのだろう。バカだ。俺は、バカだ。俺の気持ちは、一方通行だった。少しでも、あいつも俺のことが、好きなんじゃないかと、思ってしまった俺をのろった。そうだよ。俺が、バカだったんだよ。あいつの言う通り、いい気になってた、俺が、バカだったんだ。  あいつが、いつまでも、ここにいると思って。いつまでも、俺のそばにいると思って。そんな根拠、どこにもないのに。なぜ俺は、そんなことを、信じていたのだろう。信じられていたんだろう。能天気に。夏の太陽のせいで、バカになった頭みたいに、なぜ、俺は、そんなことを信じていられたのだろう。

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