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「うぅ……」  小さく呻いて、幸人が龍之介に身を預ける。  浅く上下する背中をさすりつつベンチに向かえば、少し離れて女もついて来た。 「どうするおつもりですの?」 「迎えが来るまで休ませる」 「だったら、あちらのベンチの方がよろしいわ。自動販売機が近いもの」  女が指差す方向を見れば、確かに赤い自動販売機の姿を確認出来る。  幸人は大丈夫だと言ったが、龍之介はいまいち警戒心を解けないでいた。 「飲み物を買いに離れたところで、コイツを襲おうって魂胆か?」 「したくても出来ませんわ。言霊を使った約束は破れないもの」  龍之介が、自動販売機に近いベンチへと足を向ける。 「言霊ってのは、なんかの術か?」 「言葉に霊力を乗せて発する術です。これを使った約束事は、神に近い存在ほど破ることが出来ませんの」  ベンチに幸人を寝かせて、龍之介は血の気の引いた頬に触れた。  相変わらず顔色は悪く、肌は薄っすら汗ばんでいる。 「飲み物を買って来る。一人で大丈夫か?」  そう訊ねれば、幸人が薄っすらと目蓋を開けた。  瑠璃色の瞳が、縋るように龍之介を見つめる。 「どうした?」  言葉を促してやれば、幸人は戸惑うように瞳を揺らした後、意を決したように口を開いた。 「……キス、してください」 「は?」  予想打にしなかった言葉が聞こえて、龍之介が間の抜けた声をあげる。  今、キスと言ったか? どうして? なんのために?  思考が追いつかずにぽかんとしていた龍之介だったが、起きあがろうとする幸人の背を支えると、その隣に腰掛けた。 「キス……してほしいんです」  上目遣いに見上げる幸人が、龍之介のシャツをキュッと掴む。  その表情には、どこか切羽詰まったような、切実な色が浮かんでいた。  理由はよく分からないが、幸人にとっては何か意味があるのだろう。  そう踏んで、龍之介が答えた。 「別に、キスくらい問題ないが……」  言い終わるが早いか、龍之介の首に両腕を回して、幸人が顔を寄せる。  ふわりと柔らかいものが触れたと思ったら、唇を割り開いて、ぬるりと舌先が口腔内にねじ込まれた。  龍之介は驚きつつも幸人を受け入れて、したいようにさせてやる。 (コイツ、ディープキスなんて知ってたのか)  少しだけ感心しながらも、龍之介の頭は冷静だった。  それというのも、お世辞にも幸人のキスが上手だとは言えなかったからだ。  舌は龍之介の口腔内を探るように動いているが、決して快感を与えようとか、キス自体が目的であるとは思えない動きをしている。  例えるなら、仲間の口内におやつが残っていないか、舌で探るプレイリードックだ。  不快感はないが、物足りなさはある。

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