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◇
「……大丈夫ですか?」
「おう、武者震いだ」
龍之介がニヤリと笑ってみせる。
幸人は"龍之介なら霊的なものに攻撃が通る"と言っていた。
実際に試してはいないが、殴って解決するのは得意分野だ。
暴力が通用するのなら、追い払う手伝いくらいは出来るだろう。
「幽霊の一人や二人、予行練習にぶん殴っとけばよかったな」
「悪いことしてない人を殴るのは可哀想ですよ」
拳を握った龍之介を、幸人が困ったように見上げた。
その時だ、つんざくような悲鳴が空気を揺らす。
「今のは……」
「こっちです!」
声のした方向に向かって、二人が駆け出した。
誰かが零落神に襲われているのだろう。
しかし、結奈の時は死んだ母親に化けて連れ去るという手口を使っていた。
今回も同じ方法で人間に接触したのなら、あんな悲鳴は上がらないはずだ。
走りながら、龍之介の胸の内に嫌な可能性が思い浮かぶ。
先ほど聞こえた悲鳴からして、今回の被害者は子どもだ。
もしも結奈の弟である龍樹が襲われていたなら……今回は、なんとしても神隠しを阻止しなければならない。
静まり返っていたはずの結界内で、人の声がする。
最初は不明瞭だったその声は、現場に近づくほど何を言っているのか聞き取れるようになった。
「こら、やめんか!」
「ひぇぇ、やっぱり僕らじゃ無理ですよぅ!」
「おい小僧、もっと早く走れ! 追いつかれるぞ!」
路地を抜けた先。
広い道に出た二人は、目の前に広がる光景に息を呑む。
わぁわぁと大騒ぎしながら必死に駆ける少年。
その背後に迫るのは、公園で見た異形の神だ。
まるで体を覆い隠すように、零落神の周囲を漂う黒いモヤ。
引きずるほど長い黒髪に、異様に細長い体。
零落神は枯れ枝のような腕を伸ばして少年を捕まえようとするが、周りに集まった幽霊たちが懸命にそれを阻む。
「龍樹?」
「叔父ちゃん……!」
少年……郡司龍樹は、龍之介の顔を見てくしゃりと顔を歪めた。
今にも泣き出しそうな表情で、懸命に走る。
「疾風迅雷、千福!」
手印を結んだ幸人の鋭い声が響くと同時に、溶け出すように千福が現れた。
宙に浮かぶ千福の周りで、風切り音をたてながら空気が渦巻く。
龍之介は、本能的にソレが危険であると理解した。
「お前ら、伏せろ!」
「ふっ切って放つ、さんびらり!」
龍之介が叫んだのと同時だった。
ごう、と脇をすり抜けた風に、思わず目蓋をつむりそうになる。
目にも止まらぬ速さで龍樹のすぐ横を飛んだ千福は、倒れ込む幽霊たちを掠めて零落神の右肩に直撃した。
瞬間、黒い液体を撒き散らしながら、龍樹に向かって伸ばしていた右腕が宙を舞う。
「今のうちにあの子を!」
「お、おう!」
一歩、二歩とよろめくように後ずさり、零落神が足を止めた。
その隙に龍之介が龍樹を担いで戻って来る。
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