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零落神の周りを千福が飛ぶ。
風を纏い、時折腕や足を狙って体当たりをするが、零落神は鬱陶しいとでも言うように手で払うだけだった。
その攻撃を掻い潜って一撃を入れれば、苛立たしげに低いうめき声を上げる。
幸人は慎重に零落神の気配を探っていた。
神にも様々な種類がある。有名どころなら八幡、稲荷、天神。
力の強い神ならば、その気配でなんとなくどこの所属か察しがつくものなのだが、目の前の零落神からは見知った気配がしない。
「御霊信仰……?」
幸人が小さく呟いた。
怨み辛みを抱いて死んだ人間は、怨霊となる。怨霊は祟り、生者に害をなす。
だからこの怨霊を祭礼で鎮め、神として祀ることで逆に護りとする。
これが御霊信仰だ。
身に纏った穢れのせいで分かりにくいが、目の前の零落神からはわずかに祭礼の痕跡が漂っている。
「もう辞めましょう、こんなことをしてもなんにもなりません!」
幸人が声を張り上げ、零落神に語りかけた。
「あなたが連れて行った人々を、探している方がいます! お願いだから帰してあげてください!」
一縷の望みを賭けて呼びかけるが、零落神は反応しない。
視線を宙に彷徨わせ、ずるりずるりと前に進む。
時々くぐもった声で「おいで、おいで」と呟く様からして、龍之介の連れて行った少年を探しているのかもしれない。
幸人が目をつむり、深呼吸をする。
「聞いてください!」
その声は、凛と空気を震わせた。
耳に届くと同時に、零落神がピタリと歩みを止める。
それから、確かに幸人を見た。
「どうして人間をさらうんですか? あなたが連れて行った人たちは、どこにいるんですか?」
真正面から、零落神に向かって幸人が尋ねる。
しかし、零落神は問いかけに答えなかった。
幸人を見下ろしたまま、ぼんやりと立ち尽くしている。
目立った反応がないことに、幸人は少なからず焦りを感じていた。
言霊を使ってはみたものの、意思疎通を取るには至れていない。
こちらに興味は示しているが、それだけではどうにもならないのだ。
もはや自我も失われているのなら、戦って勝つ以外に方法はない。
(正直、かなりキツい……)
いくら全力で攻撃をしても、再生してしまうのなら意味がない。
例え龍之介が戻って来たとしても、正攻法ではジリ貧だ。
何か別の方法を考える必要がある。
だが、鎮めの儀式の準備はしていないし、こんな住宅街のど真ん中では封印も現実的ではない。
今のまま一所にその身を縛りつければ、周囲に穢れを撒き散らす恐れがあるからだ。
そうなれば、この地域一帯に災いを呼び込んでしまいかねない。
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