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1-15. 記憶
むかし、むかしのそのまたむかし。
とある町がまだ、村と呼ばれていた時代。
人々は田畑を耕し、狩りをして暮らしていました。
贅沢は出来ないけれど、平凡で平和な暮らし。
村人たちはそんな暮らしに幸せを感じ、穏やかに日々を過ごしていたのです。
しかし、ある年の夏。
村を長雨と冷夏が襲いました。
なかなか降り止まない雨と、夏とは思えないほどの寒さ。
作物は育たず、村人たちは狩りで得た獲物と、冬のための蓄えを少しずつ切り崩して、なんとか生活していたのです。
そんな調子ですから、夏が終わって秋になっても作物は実らず、麦穂は頭を垂れません。
頼りの綱であった山の獣も少なくなる冬が訪れて、村には遂に飢饉が訪れます。
分厚い雪を掘り、出てきた小さな山芋や、狩りで得た僅かな肉を村人たちで分け、飢えを凌ぐ日々。
このままでは、全員飢え死にしてしまう。
村人たちはそう考え、近隣の村々に助けを求めることにしましたが……。
どこも同じように苦しい生活をしていました。
外部からの助けは得られない。
一日に手に入る食べ物の量は限られている。
何度も何度も話し合い、村人たちは苦渋の決断を下します。
"口減らし"をしようと。
まず犠牲になったのは、老人でした。
日に日に痩せ細り、飢えで苦しむ我が子や孫の姿を見て、自ら村を去ることを決めた者もいます。
「お前たちが生きられるなら、それでええ」
そう言って、老人たちは息子や娘に背負われ、東のお山に置き去りにされました。
食い扶持が減り、一人が食べられる量はほんの僅かに増えます。
でも、それだけです。
飢えを凌げるほどの量はありません。
次に犠牲になったのは、病人でした。
売るものも無い今の村では、薬なんてとても買うことは出来ません。
遅かれ早かれ、彼らの命は消えてしまうのですから。村のために死んでもらうことにしました。
「死にたくない、死にたくない」
そう言って泣く者もありましたが、彼らもまた、東のお山に置き去りにされました。
食い扶持が減り、一人が食べられる量は僅かに増えました。
でも、それだけです。
まだ飢えを凌げるほどの量はありません。
最後に犠牲になったのは、子どもたちでした。
女児は女衒に、男児は丁稚奉公に。
赤ん坊や買い手のつかない子どもは、お山の奥深くに一人で置いて来てしまえば、自らの足では村に戻って来ることが出来ません。
親たちは、泣く泣く子どもの手を引いて、東のお山を登ります。
「この辺りにユリ根がたくさんあるそうだから、一緒に探しておくれ」
そう言われると、腹を空かせた子どもたちは、夢中で雪を掘り返しました。
自分がたくさんの食べ物を見つければ、村のみんなが喜ぶと。
子どもが必死に見つかるはずのないユリ根を探しているうちに、親は気づかれないように東のお山を降りました。
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