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 山に足を踏み入れてすぐ、行者は怨霊の痕跡を見つけました。  それは、木の幹や草に付着した黒い汚れでした。 「どうやら、相当の穢れを溜め込んでいるようだな」  行者の目には、村人たちには見えないものが見えます。  この黒い汚れも、その中の一つです。  汚れは特定の場所にしか付着しておらず、怨霊が頻繁に通っている道が一目瞭然でした。  行者が穢れを辿って山の中腹まで登った時、風に乗って子どもたちの笑い声が聞こえました。  草を踏む音、手毬唄を歌う声。  木陰からそっと覗くと、開けた場所で数人の子どもたちが遊んでいました。 「ねぇ、おやつにしよう」  そう言ったのは、手入れされていないボサボサの黒髪に、汚れた着物を着た小柄な少女です。  明らかに一人だけ異質なのに、誰一人としてその姿に疑問を持つことはありません。  少女が腕いっぱいに抱えたあけびの実を見て、子どもたちが嬉しそうに駆け寄りました。  目の前の光景は、怨霊に連れ去られたとは思えないほど和気藹々としています。  誰も苦しまず、誰も悲しまず。  時間を忘れてただ友達と遊んでいるだけ。  しかし、行者には少女が怨霊であると分かりました。  山で死んだ人々の魂が、一つに凝り固まり出来た存在。  子どもたちと少女が楽しそうだからと、放っておくわけにはいきません。  行者は一つ深呼吸をすると、ガサガサと茂みから姿を現したのです。 「やぁ、こんなところに居たのか。もう遊びはやめて、帰る時間だ。お父さんお母さんも心配しているぞ」  行者の言葉を聞いた途端、子どもたちはハッとした顔をしました。  今の今まで忘れていた、両親のことを思い出したのです。 「私、お使いを頼まれてたんだった」 「早く帰らないと母ちゃんに怒られる!」  子どもたちはいそいそと帰り支度を始めます。  行者は護法童子を呼び出すと、山を下る子どもたちの道案内と、護衛を任せました。  それに慌てたのは少女です。 「待って、行かないで! もっと一緒に遊ぼうよ!」 「諦めなさい、彼らには帰りを待っている人がいるんだ」  背を向ける子どもたちに追いすがる少女を、行者が押し留めました。  少女の顔がみるみるうちに悲しげに歪み、涙が浮かびます。 「一人にしないで! 置いてかないでよぉ……!」  両手で顔を覆いしゃがみ込んだ少女を、行者は憐れみを含んだ目で見下ろしました。  その言葉は、村のために山に置いて行かれた人々の、心からの叫びだったのでしょう。  仕方のないことだと頭では理解していても、心は納得出来ない。  じわじわとゆっくり死んでゆく恐怖や、寒さと空腹の中、ひとりぼっちで山を彷徨う心細さは計り知れません。 「寂しかったんだね。しかし、子どもたちを連れて行ってはいけないよ」  行者は少女に目線を合わせると、優しく声をかけました。

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