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第2話
おそるおそる目を開けると、目の前で金髪の男が微笑んでいた。
(天国からのお迎えかな? 落ちたみたいだから地獄?)
そう思った理由は、自分を抱き留めるように倒れている男が、壮絶な美形だったからだ。
彫りの深い顔立ちに、バランス良く配置された各パーツ。グレーの瞳は虹彩のせいか瞬きするたびに青や緑が混じる。髪は、短く切り揃えた章よりは長いが、質感が柔らかなため軽やかに見えた。長いまつげも髪と同様金色で、薄い唇がゆっくりと弧を描いて害意がないことを伝えてくる。
「小説に出てくる王子様みたいだ……」
「王子? ふふ、どんな小説の王子様かな」
下敷きにした美男にくすくすと返事をされたことで、思ったことをうっかり口にしてしまったことに気づき、慌てて章は立ち上がる。彼の腹部に手をついてしまい、そのごつごつとした感触で肉体もたくましく鍛え上げられていることが分かる。
「うわわ、ご、ごめんなさい。事務所の床が抜けて落ちちゃって、お怪我は……」
「ジムショ? 床が抜けて落ちた? そんなことはなさそうだけど」
美男が上を指さすので顔を上げると、そこには見たことのない天井があった。繊細な彫刻と天井画が施された、まるでお城のような天井――。
「えっ」
章はあたりを見回す。自分のせいで本が床に散乱しているが、本だらけ、という事実以外は、先ほどまでいた都立図書館とは全く違う場所だった。
ひんやりと乾いた日本らしからぬ空気、石造りの壁にずらりと並ぶ革表紙の大型本、そもそも午後九時だったはずなのに窓から差し込む陽光――。
下調べをしようとしていたあの山羊革の本が床に落ちていたので、それを拾って抱え込むと、章は美男に尋ねた。
「あの、ここは何階ですか? 窓があるので地下じゃないですよね……俺がいたのは一階だったし、夜だったはずなんだけどな。気を失っていたのかな」
「ここは王宮の三階にある書物庫だよ」
「オーキュー?」
「うん、王宮」
美男は章を立ち上がらせる。膝のホコリをぽんぽんと払ってくれて、窓まで手を引いてくれた。立ち上がって向き合うと、自分よりも頭一つ分大きい。すらりとしているわりに肩幅は広く、プロ野球選手のような体格だ。
美男が窓を開けると、潮の香りが風とともに吹き込んできた。
そこから一望できる街の景色に、章は思わず「テレビの旅番組の風景だ」と漏らした。
オレンジ色の屋根が連なる石造りの街、帆船で賑わう港、街の向こうには羊のいる草原――。横にいる金髪の美男も含め、明らかに、日本ではないのだ。
「ここ……どこだ……」
掠れた声で呟き、ぎゅっと拳を握った。
おかしい、確かに都立図書館の床が抜けて、自分は階下に落ちたのに。
「どういうことだ……?」
隣の美男をよく見ると、見たことのない民族衣装を着ていた。
ぎゅっと詰まった襟に、細く並んだポケットから銃弾のような金属が見え隠れする赤い長上衣、腰には長い剣――。昔の異国の軍人を思わせる出で立ちだ。
日本で見ればコスプレのようだが、この異国然とした背景だとむしろこれが正装のような気もする。
「いい風が吹いている」
隣に立って景色を見下ろしている美男は、突然落ちてきた自分を警戒することなく、そんなことを漏らしている。海風に吹かれた金色の髪が、さらりと揺れて光を反射する。
今彼が天使か神だと名乗れば、自分は納得するかもしれない。
(やっぱり俺、死んじゃったのかな。彼になんと尋ねればいいんだろう。ここは天国ですか、とでも聞けばいいんだろうか)
口元に手を当てて悩んでいる章を、美男が見下ろした。
「……そうか。君が来るのは、今日だったのか」
顔を上げると、その美男は穏やかで、少し寂しげな笑みを浮かべていた。
何かを知っているかのような口ぶりだ。
「俺の……命日という意味ですか? やっぱりここは天国?」
死後の世界であれば地獄という選択肢もあったが、この人は間違いなく天使か神様なのだろう。本能がざわめくのを感じるのだ、オーラが〝普通じゃない〟と。
「天国? それは実在するかどうかも私は知らないな。私はアスラン、君のお名前は?」
「文森章です……あっ、ショウ・フミモリ」
「ショウ」
美男ことアスランはにっこりと笑って、章の右手を取った。大きな温かい手が、章の両手を包み込む。
「ようこそ、ムゼ王国へ」
「むぜおうこく?」
聞いたことのない国名に、脳内で咀嚼できず復唱してしまう。
「君が来てくれる日を、みんなが待っていた」
手が離れる瞬間に「私以外はね」と聞こえたのは気のせいだろうか。
自分が来る日とは。みんなとは。アスランの口から出る言葉のほとんどを理解できないまま、章は「日本語お上手ですね」などと言ってしまい、首をかしげられた。
同時に背後の扉が開く。
「ああ、やはり!」
もう一人、天使のような美男が飛び込んできた。アスランとは違い、白い僧服姿だ。肩まで伸びたアッシュブロンドがさらりと揺れる。
「こちらに現れたのだな」
アスランが「兄上」と頭を下げた。兄上と呼ばれた白装束の美男は、章の両頬を手で包み込み、美しいご尊顔を寄せた。
「我が国の者ではない容貌、見たことのない服装……そして何より、この本……!」
章が抱えていた、あの修復予定の本を凝視した。
白装束の美男は、首に提げた紋章を取り出し、その表紙と照らし合わせた。
二匹のヘビが「∞」のような形で絡み合っている文様――。
「あっ! この本と同じ……!」
白装束の男性は、エドゥアルドと名乗り深々と膝をついた。
「ようこそ、我が国へ。召喚神子よ――」
傅かれて驚いている章に、後ろからアスランが「兄上はこの国の神官長なんだ」と耳打ちしてくれた。
「しんかんちょう? しょうかん、みこ?」
章は脳がオーバーヒートして、その場にへたり込んだのだった。
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