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第3話 楽しい大阪出張のはずが……?〈side大城〉

 篠崎とともに訪れたのは『AGURI WALK JAPAN2023』と銘打たれた展示会だ。大阪湾を望む国際展示場・イントックス大阪で開催され、三日間の日程で述べ3、4万人が訪れる。  農家や酪農家と企業をつなぐために開催される展示会で、新鮮な野菜や肉、牛乳や乳製品などの加工品などの製造者たちが一堂に集う。また、きたるスマート農業時代を見据え、農業・畜産用のドローンやロボットなどを展示する企業が自社製品をずらりと並べているスペースもあって、期間中はかなりの賑わいだ。  ネームホルダーを受け取って入場すると、大勢の参加者たちの熱気がどっと迫ってくる。商談を目的としたバイヤーたちは世界各国からやってくるため、現場ではさまざまな言語が飛び交っていた。  ドーム状に盛り上がった広い天井からは、イベントのロゴが描かれたカラフルな吊り下げバナーが揺れている。フロアに並んだブースからは活気のある声がさかんに飛び交い、屋台風の装飾を施したブースがあちこちに並んでいることもあって、まるで祭りのようだった。 「おお〜、すごい活気だな。どこから見て回る?」 「そうですね、乳製品の展示ブースの方から回りたいんですけど、いいですか?」 「ああ、もちろん。行こっか」 「はい!」  白いワイシャツの袖を腕まくりした篠崎が、張りのある笑顔と共に俺を見上げて、大きく頷く。  ……いかんいかん。仰ぎ見られながらの溌剌とした笑顔の可愛さにデレてしまい、頬が緩んで気持ち悪い笑顔になりかけた。俺は慌てて、爽やかな笑顔に切り替える。  騒がしい場所はそう好きではないけれど、今はこの騒音に感謝したい。『ワオ!? デリシャス!!』と手を振り回し、出展者と熱い握手を交わす海外バイヤーたちの大声のおかげで、篠崎と会話するときは自然と顔を近づけることができるし、俺のためにいつもより少し声を張ろうとする篠崎の声にゾクゾクするしで最高だ。  人混みで篠崎が誰かとぶつかりよろめこうものなら、すぐにでも腰でも肩でも抱き寄せて紳士的に『大丈夫か? 気をつけろよ』と余裕の笑みを見せたいところだ。だがあいにく、大学時代はフットサルサークルに所属していたという篠崎の動きは俊敏で、人とぶつかる気配がない。  むしろ、よろめいた篠崎をフォローすることばかりに気を取られている俺のほうが、ちょいちょい通りすがりの人と肩を軽くぶつけては「すみません」「sorry」と謝っている始末。ダサすぎるだろ俺よ。  俺だって中・高・大学時代はバスケ部で鳴らした。べったりと張りついたマークをかいくぐる時の感覚を思い出せ俺。  とはいえ、篠崎と食べ歩きをするのはすこぶる楽しい。たとえこれが新商品開発のための情報収集だとしても、めちゃくちゃ楽しい。 「このチーズ、すっごくクリーミーで美味しいなぁ。香りも優しくて、このままずっと食べてられますね」 「うん、美味い! 癒される味だな、舌触りもいいし」 「ですよね。大城さんだったら、これで何作りたいですか?」 「そーだなぁ」  ——篠崎、楽しいんだろうなぁ。目がキラキラしててすっげーかわいい。  試食するたびに意見交換をし、自分ならどんな商品にどう活かすか……完全に仕事の話でしかないわけだが、生き生きしている篠崎が眩しくて、俺はドキドキしっぱなしだ。しみじみふたりきりの出張に幸せを噛み締めつつ、生産者の話を聞いて試食をし、名刺交換をして回った。 「次はどこ行く? ……あ、篠崎さ、前和菓子もやってみたいってこないだの会議で言ってたよな? うちは和菓子のヒット商品少ないからって」 「え? すごい、よく覚えてますね」  パンフレットをめくりながら何の気なしにそう言うと、篠崎が少し驚いたような顔で俺を見上げた。俺はちょっと言葉に詰まり、「……そりゃ、まぁ。俺、記憶力いいほうだしな!」とお茶を濁した。 「ほ、ほら見てみろよ。この先に、自社で小豆から餡子まで作ってる企業があるってさ。行ってみる?」 「ええ、行きましょう! あっちですね」  率先してスタスタと人混みをすり抜けていく篠崎のほっそりとした背中を見守りながら、俺は苦笑した。篠崎の言葉のみを選んで記憶しているわけではないものの、やはり好意をもって見つめている相手の言葉は耳に残る。  だが、それを本人に知られるのはちょっとまずい。俺が篠崎を特別視していることを察せられては困る。  ——気をつけないとな……。今日の俺、顔が緩すぎる気がするしな……。気を引き締めろ。これは純然たる仕事なんだぞ。  ふぅ〜〜と息を吐いて、バシバシと頬を叩いた。幸い篠崎は俺に背を向けているが、すぐそばを通りすぎようとしていたスーツのおっさんたちがギョッとして俺を見上げている。  いかんいかん。ここでぼんやりしていては篠崎の背中を見失ってしまう。気を引き締め直し、どうにかして顔をキリッとさせて、早足で後を追いかけた。  すると……。  ——ん? ……誰だ?  篠崎が見慣れない男に肩を掴まれているではないか。  アーモンド型の目をわずかに見開き、ちょっと驚いたような顔で相手を見上げている篠崎の姿を目の当たりにして、俺は思わず駆け出していた。  肩でもぶつかって因縁をつけられているのか!? 相手の男は後ろ姿だけしか見えないが、馴れ馴れしく篠崎に触れていることも許し難い。  俺は近寄りざまぐいと男の手首を掴み上げ、ジロリとその顔を睨め付ける。すると、ぱっと見狐を連想させる吊り目がちな若い男が、俺を見て小首を傾げた。 「……な、なんですか?」 「なんですかじゃないでしょう。うちの篠崎に何か御用ですか?」 「うちの? ……ああ、真くんの会社の人でした?」 「ま……」  ——ま、まことくん……だと? こいつ篠崎のこと、下の名前で呼んでんのか……!?  事情が飲み込めずにちらりと篠崎のほうを見やる。すると篠崎は苦笑を浮かべつつ、「大城さん、この人、大学時代の先輩なんです」と言った。 「大学の先輩? あ、ああ……そうなんだ。てっきり絡まれてんのかと」 「ご心配おかけしてすみません。久しぶりにばったりでくわしたもので……」 「ちょ、出くわしたとか言わんといてほしいなぁ。運命の再会やん、もっと喜ぼうや」 「喜んでますよ。ちょっとびっくりしただけだって」  あやしい狐目男相手に、篠崎は妙に砕けた口調で言葉を返している。いつも笑顔で丁寧な口調を崩さない篠崎が、この男には、ちょっとぶっきらぼうにも聞こえるような口調で……。  ——ど……どういう関係だ? 仲が良かったのか? 悪かったのか? 距離感が読めないぞ……?  不意打ちの展開に思わずうろたえていると、狐目男はパッと俺の手を振りほどき、自らの手首をさすりながらにっこり微笑んだ。狐目なうえに関西弁、そしてこの目の奥がまったく笑っていない笑顔ときた。あやしいにも程がある。  ……ここで動揺を見せたら負けな気がする。俺もにっこり笑って見せつつ、すっと名刺を差し出した。 「うちの篠崎のお知り合いでしたか。どうも初めまして、『マルバナ』の大城と申します」 「これはどうもご丁寧に。『こうのや』の高野(こうの)由一郎(ゆいちろう)いいます。どうぞよろしゅう」 「『こうのや』……? って、あの、老舗旅館の?」 「ええ、そうです」 『こうのや』とは、京都・嵐山にある高級老舗旅館だったはず。何度もテレビで見たことがあるし、旅行雑誌などでもしょっちゅう特集されている温泉旅館だ。  しかも、男の名刺に書かれた苗字は『高野』。つまりこの男は創始者の血縁者だ。  パッと役職を見ると『営業』と書かれている。若いうちは経験を積み、ゆくゆくは経営を任される立場になる……ということなのだろう。  ——高級老舗旅館の御曹司ね。ふーん、なるほど。  若干負けたような気分になり……そうになったけれど、老舗旅館の御曹司がどれほどのものか。俺はあえて、高野に爽やかな笑顔を向けた。

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