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第6話 情けない対抗心〈side大城〉
そして俺たちは、篠崎が予約しておいてくれたビジネスホテルまでタクシーで戻ってきた。
困ったことに、篠崎がまったく起きる気配を見せない。
しかたがないので、チェックインしている間は篠崎をソファに置いておき、部屋までは肩を貸しつつ向かうことにした。ボーイが手伝いを申し出てくれたが、フロントが混んでいたため断りを入れ、俺は篠崎の肩と腰を支えつつエレベーターに乗った。
「んん……ん」
「おい、もうホテルだぞ。大丈夫か?」
「……はぃ……」
「ダメだ、起きない」
まずは篠崎の部屋のドアにカードキーを挿し、体重をかけてドアを押し開ける。シングルベッドが一台と大きな窓、そしてテレビの置かれたデスクとスタンドが並ぶだけの、ごくごくありふれたビジネスホテルの部屋だ。
ベッドに座らせると、篠崎はそのままどさりと仰向けに寝転んで、若干苦しげに襟元を緩めようとしている。
「ああ……苦しいのか。ネクタイ緩めるか?」
「……ん、ん」
「いいんだな? ネクタイと、第一ボタン外すぞ? いいな? 変な意味、ないからな?」
酔っ払いの介抱をしているのだから、なにもそこまで確認しなくてもいいようなものなのだが、タクシーからここまでずっと篠崎とべったりひっついていたこともあって、俺の心身はそこそこ危険な状態にきている。高野との勝負には勝ったものの、俺もかなり日本酒を飲んでしまった。酔っていないわけではない。
——堪えろよ俺。手ぇ出したら終わりだぞ。
車中で一度目を覚ました篠崎は、ここはどこだとばかりにトロンと半分据わった目で辺りを見回していた。高野に攫われたと勘違いしたのかもしれない。
だがもたれかかっているのが俺だと気づいたからか、じとっとしていた目が一瞬見開かれ、トロ〜ンと甘えるような笑顔になった。その笑顔の破壊力も相当なもので、俺は「ん゛ん゛ッ……」と喉が潰れたような声を出しつつ、すいっと視線を車窓へ逸らす。
しかもそのまま身体を離していくかと思いきや、篠崎は俺の肩に頬を擦り寄せるようにして寝ポジを整えはじめた。
「おおきさん……すみましぇん……あんな飲み会、たのしくなかたですよねぇ……」
「い、いや……そんなことないよ。酒も料理もうまかったし、そこそこ実になりそうな話もできたしな」
「……そういってもらえるとぉ……ぼく、ほっとします……。ありがとございます……」
篠崎はふふ、ふふっとくすぐったそうに笑いながら肩を揺すって、さらに俺の肩に頭を擦り寄せてきた。篠崎のほうから密着してきてくれることが嬉しくて、可愛くて……こんなときだというのに、俺の股間には熱がこもりはじめている。これ以上大きくなってしまわないよう、あえて高野の顔を思い出しながら俺はあさってのほうを向き、篠崎を気遣った。
「吐きそうになったらすぐ言えよ? 大丈夫か?」
「だいじょぶ、です……やさしいなぁ……おおきさん、ほんとやさしくて、ほんとすきです……」
さらっと篠崎が口にしたセリフが俺の鼓膜を強烈に震わせた。
後ろへ後ろへと流れてゆく車窓を眺めていた俺の目が、ぐわっと刮目する。
「…………す……? …………す? すき……?」
「はい、すきです……、ずーっとずーっと、そんけいしてます……おおきさんはかっこよくてぇ、しごとができて、ぼくのあこがれのひとなのでぇ……」
「あ……そう」
『尊敬』と『憧れ』。恋愛において、これほど聞きたくない言葉はない。
人として好かれているのがわかっただけでも嬉しい。だけど篠崎の『好きは』、俺が篠崎に対して抱いている『好き』とはかけ離れた意味合いの感情だ。あまりにも、遠い。
——何へこんでんだ俺。わかってたことじゃん。篠崎は俺のことを敬ってくれてんだよ。……うん、知ってる。
篠崎が寝ぼけていてよかった。今の俺はきっと、がっくり落胆しているあまり、ひどい顔をしているに違いない。タクシーの窓枠に肘をついて外を眺めながら、俺は静かにこう告げた。
「ありがとな。慕ってもらえて嬉しいよ」と。
だけど、肩を貸している間中、篠崎の微かなうめき声やときどき漏れるため息が色っぽくて、正直我慢するのがキツかった。落胆した心とは裏腹に俺の身体は終始ざわざわと興奮しっぱなしで、節操のない己の下半身が情けなくてたまらない。
——はぁ〜……ぜんぜん収まらねえ……。可愛い後輩を襲うわけにはいかないんだからな、これ以上盛るなよ、俺……。
そしてここへきて、ベッドに横たわる篠崎の襟元を緩めるというイベントが発生している。酔って、色気全開で寝乱れている篠崎を相手に……。
「おい、は、外すからな?」
「……ぅーん」
「い、いくぞ? いいな?」
ベッドに腰掛け、横たわった篠崎の襟元に手を伸ばす。光沢のある濃紺のネクタイのノットに指をかけてそっと引くと、篠崎が「ぁ……ふ」と小さなため息をついた。
——やば、エっロ……。ほっぺたとか唇とかいつもより赤いし、こめかみとかちょっと汗ばんでてすげぇエロい……。
酔って体温が上がっているせいだろう。さらりとした黒髪はしっとりと濡れたようなツヤをもっていて、それがやたらと艶かしい。
じっと見ていると間違いが起きそうなので、俺は壁にかかった謎の絵画を見つめながら、震える手をさらに伸ばした。
「ぼ、ボタン……外すからな。一個だけな」
——そう、一個だけだ。一個だけ外せば息もしやすいだろ。一個だけ、一個だけ……。
必要以上に自分にそう言い聞かせながら、両手を伸ばして篠崎の襟をくつろげる。すると、普段はきっちりとシャツで覆われた部分から、ほんの少しだけ肌色がのぞく。細い首で、喉仏がわずかに上下した。
「……楽になったか?」
「う、うー……ん」
帰ってきたのはうめき声だ。一つだけではまだ苦しいのかもしれない。俺は己に確認を取ることも忘れ、もうひとつ、ふたつ、と、篠崎のシャツのボタンを外してゆく。
「ふ……う」
鎖骨の下あたりまでシャツが開かれてしまうと、篠崎の肌の香りが俺の鼻腔を甘くくすぐった。
綺麗に浮いた鎖骨のラインは芸術的なまでに美しく、呼吸のたびに上下する胸元や、やわらかく脈打つ首筋の色の白さに、ドキドキドキドキと苦しいほどに胸が高鳴る。
——肌、綺麗だな……キスしたい。首とか、鎖骨とか……もっと、その下のほうにも。
邪なことを考えてしまいそうになったそのとき、ちら、と高野のニヒルな笑みがひょこっと浮かぶ。
そういえば結局、実際のところ二人の間に何があったのかということを聞き出すことはできなかった。
だけど、高野のあの目つき。普段の篠崎から想像もできないような粗雑な対応や、『由一郎』呼び。
顔も似ていないし話す言葉も全然違うのだから、実は兄弟ですというオチもないだろう。……それはつまり、ふたりの間に、ただならぬ過去があったということしか想像できない。
——でも、どこまで? この肌をあいつに触らせたこととか、あるのかな……。
向こうはずいぶん篠崎に執着があるような雰囲気だったし、何もなかったということはないだろう。もう大人なのだから篠崎にどんな過去があっても不思議ではない。そんなことはよくわかっている。
篠崎に手を出す勇気もないくせに、高野を憎むのも、間違っている。
そう、俺には勇気がないだけだ。公私混同はダメだと自分に言い聞かせているのも、ただ、篠崎に嫌われたくないがゆえの言い訳だ。
もし思いを告げたとして、篠崎はどういう反応を見せるのだろう。
優しい篠崎のことだ、心の奥底では俺に恐怖や不快感を抱きつつも、露骨に俺を避けるということはしないかもしれない。これまで通りに俺を先輩として敬いながら付き合ってくれるかもしれない。だけど、大事な篠崎に、そんな気遣いをさせたくないし、煩わしい想いもさせたくない。
こんなにも純粋な気持ちでそばにいたいと思えた相手は、篠崎が初めてだった。
長くそばにいればいるほど、篠崎との時間を失うのが怖くて、告白する勇気が持てなくなってしまった。
——篠崎に嫌われたくない、先輩としてでもいいから慕われていたい……ウジウジそんなこと考えてるだけの俺に、あいつに文句いう資格なんてないんだよな。
だけど、酔って心の守りが薄くなっているせいか、高野に触れられている篠崎を想像してしまうと、はらわたが煮え繰り返りそうなほどの怒りが湧き上がってくる。的外れな怒りだということわかっているのに。
自分を落ち着けるために、俺は長い長いため息をついた。そして、俺のほうに顔を倒してすうすう寝息を立てている篠崎の頭を、そっと撫でる。
しっとりと指に絡みついてくる黒髪さえも愛おしく、何度もゆっくり髪を梳く。すると篠崎は心地よさそうな笑みを唇に浮かべて、うっすら目を開いた。
「……おおきさん……? あれ、タクシーは……?」
「もうとっくに降りただろ。覚えてないの?」
「んん……うーん……? そうだっけ……」
「……ははっ、何言ってんの」
寝ぼけている篠崎なんてレアだし、最強にエロ可愛い。ベッドサイドに膝をついて、俺の手のひらにすっぽりおさまる篠崎の頭を撫でながら、とろーんとした顔をじっと見つめた。
「そろそろ俺、隣の部屋に戻るからな」
「となりの、へや……?」
「そうだよ。気分悪くなったら連絡して、すぐ来るよ」
「……んん……、すみません……おおきしゃ……」
「亮一」
「へ……?」
「亮一って、呼んでみて」
意図せず口から飛び出した己のセリフに、一番仰天しているのは俺だ。
——なんて子どもじみた対抗心の表し方だ!? 高野が名前呼びされているから俺もしてくれ! とでも言いたいのか俺!?
やっぱりアルコールのせいでちょっと頭がバカになっているらしい。俺は二、三度頭を振り、「いや、なんでもない」と言って立ちあがろうとした。
だが不意にシャツの袖を掴まれ、俺はぴたりと動きを止める。
あいもかわらず眠そうな篠崎が、トロンとした笑顔とともに、俺の名を呼んだ。
「……りょういち、さん」
「えっ」
「りょういちさん……?」
「……」
ふと気づくと、俺は篠崎の唇をキスで覆っていた。
抵抗することもなく、俺の唇を受け止める篠崎の唇は柔らかい。触れ合わせているだけでも涙が出るほどに心地がよく、胸が詰まるほどに愛おしい。頭を撫でて髪を梳き、耳たぶを手で撫でながら、何度も何度も、角度を変えつつ小さな唇を啄んだ。
もうこのまま篠崎を抱いてしまいたい。
高野との関係で経験があるのなら、俺のことだって受け入れてくれるはずだ。だって、篠崎は全然抵抗しないじゃないか。お互い酔ってて、同じ部屋にいて、キスを拒まなかったのだから、もうこのまま抱いてしまったっていいはずだ。篠崎だって、きっとそれを望んでる——……
「っ……!」
パッと唇を離し、俺は勢いよく立ち上がった。
——……って、何考えてんだ……!? バカか、俺は……!!
自分に都合のいいことばかり考えて、篠崎を襲うための理由をこじつけて、一体俺は何をしようとしていたんだ……!?
見下ろすと、さっきよりも蕩けたような表情で俺を見上げる篠崎と目が合った。途端に、嵐のような罪悪感と後悔が俺の全身から血の気をひかせてゆく。
「ご……ごめん。おやすみ」
互いの唾液で濡れた唇を拳で覆い、俺はくるりと踵を返す。
篠崎の顔を見ることが、どうしてもできなかった。
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