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第18話※ 余韻がすごい〈side篠崎〉

 大城さんの家に招かれた翌日。  いつもより早く自宅で目を覚ました僕は、カーテンを開けたまましばらくぼんやりしていた。  五階建てアパートの二階で、大城さんちほど眺めは良くないけど、薬局やコンビニ、小さなクリニックや飲食店がそこここにあって、住み心地はいい。  大学時代からずっと住み続けているこのアパートは六畳のワンルーム。はじめここには、冷蔵庫と電子レンジくらいしか置いていなかったけれど、長く暮らすうちにものが増えて、今はだいぶ手狭になってきた。  ——……広かったな、大城さんち。モデルルームみたいだった。  生活感あふれる自室を眺めたあと、ようやくベッドから立ち上がる。  シャワーを浴びるべく着ていたシャツを脱いでいると、ふと、部屋の隅に置いた細い姿見に自分の裸が映った。 「あっ……」  首筋や胸元に散るたくさんの赤い痕跡を見つけてしまい、僕は思わず赤面した。そして、赤くぷくりと腫れた乳首にまで目がいってしまい、さらに身体が熱くなる。  男の乳首なんてなんの必要性があって存在するんだろうと思っていた。これまで意識したことはなかった肉体の一部が、自分の意思とは関係なしに僕をああも昂らせるとは。気まずくなって鏡から目を逸らし、僕はバスルームに飛び込んだ。  狭い浴室の中で熱いシャワーを浴びる間も、込み上げてくるのはいいようのない羞恥心だ。だが同時に僕を苛むのは、忘れ難いほどの快楽だった。  ——めちゃくちゃエロかったな、大城さん……会社で見るのと、全然ちがった……。  黙っていると少し冷徹そうに見えるキリリとした目が、たまに怖かった。眉間に皺を寄せて書類やデータを見ている時などは、怒っているのか不機嫌なのかわからなくなる。  だけど、話しかけるとすぐに微笑み、「どした?」と気さくに声をかけてくれる。はじめこそ、イケメンだし身体は大きいしで威圧感を感じることがあったけれど、一緒に仕事をするうち、まったくそう感じなくなった。褒められると嬉しくて、認めてもらえると力が湧く。頼れる先輩——……という存在であるだけだったのに。  ——『……すげぇ可愛い、気持ちいい?』 「っ……どうしよう、また……」  怜悧な瞳に興奮を滲ませて、どこか苦しげに微笑みながら僕を高めてゆく大城さんの表情を思い出すだけで、ゆるゆるとペニスが勃ち上がってきてしまう。もともと性欲が薄いほうで、自慰もあまりしなかった。人に触られるのは初めてだし、自分には永遠にそういう機会なんて訪れないだろうと思っていたのに……。 「っ……はぁ……っ、ん、ん」  硬くそそり立ってしまったそれを握り込み、ゆるゆると扱く。自分の手じゃ物足りないと思わされるほど、大城さんにされるのは気持ちが良かった。  ——『ここ、好きなのか? また溢れてきた』 「んんっ……っぅ……っ……!!」  大城さんの手の動きをなぞるように割れ目を擦ると、あっという間に達してしまった。一気に身体が重くなり、ずるずると浴室の床に膝をつきながら、なんとか手を伸ばしてシャワーを出す。 「……はぁ……」  あのとき、自分がどんな顔でよがっていたのかは思い出せないし、思い出したくもない。ただ、僕ばかりが一方的にあんなにも気持ち良くしてもらってしまっただけで、大城さんにはほとんど触れることができなかった。  ただ、一瞬触れかけた大城さんの股間の部分が、自分のものとは比較にならないくらいの大きさに膨らんでいるのは、わかった。僕のものとなんか比較したら申し訳ないくらい、大城さんのあれは…………大きかったし、石のように硬かった。  ——僕が怖がると思って、見せてくれなかったんだろうけど……。  男性同士の性行為のやり方については、雑学程度に知ってはいる。だが、いざそれを自分がやれるのかと考えると、やはり腰が引けてしまう。 「……だって、相当大きかった。これくらい……あったよな。すごい……」  両手で大城さんのサイズ感を再現してみて、また腰が引けた。そして、そんなことをやっている自分がバカらしくも恥ずかしい人間に思えて、僕は思わず頭を抱えた。 「あんなの入るのかな……怖いな。でも、大城さんめちゃくちゃ我慢してる感じだったし」  触らせてもらえなかったから余計にそう感じるのかもしれないが、僕も、大城さんを気持ち良くできたらいいのにと思っている。僕のことを慮って我慢している大城さんが、心の底から気持ちいいと感じている時の顔が見てみたい。  僕に迫っている時の表情でさえ、目から孕まされてしまいそうなほどに色っぽかった。匂い立つような男の色気が溢れているのに、優しくて、巧みで——……。  ——あああもう! 思い出したらダメだ!! 今日一日中ムラムラして過ごすつもりなのか僕は!?  昨日はシャワーを借り、新品だからと下着までいただいて帰ってきてしまった。下着のサイズ感もまた僕のものとは違って大きくて、妙にムラッとさせられてしまったのだった。  シャワーの後も何かしてもらえるのかも……と思ったけれど、なにもなかった。淹れ直してもらったコーヒーを飲んだあと、駅まで送ってもらったのだった。  頭をがしがし拭いながらため息をつき、身体にフィットする自分のパンツに足を通す。……ちょっと待てよ。そういえば、昨日穿いてて汚れたパンツは、大城さんちに置いたままではなかったか? 「ああああ……もう、恥ずかしい……どうしたらいいんだ。明日からどういう顔で仕事してりゃいいんだよっ……」  パンツ一枚でベッドに倒れ伏した時、ピンポーン、と呑気なインターホンの音が鳴る。がば! と勢いよく起き上がった。  ——まさか大城さん? ……いや、うちの住所知らないよな。え? でも、まさか……。  その辺に干してあったシャツをかばっとかぶり、僕はインターホンのモニターを覗き込んだ。  そして、スンとなる。 「……なんだ。由一郎か」 『なんやその反応! なぁ、実家から色々届いてんけど、食べきれへんからもらってくれへん?』 「僕は結構ですので、会社の人たちとどうぞ」 『つめたっ! なぁ、開けてや〜。これめっちゃ重たいねん。僕、スプーンに食いもんのっけたんより重いもの持ったことないねん』 「うそつけ」  わざわざ家まで来るのはいつぶりだろう。少なくとも、僕が働き始めてからは由一郎がここへ来ることはなかったはずだが。 「はぁ〜、相変わらず狭い部屋やなぁ。もっとええ部屋紹介すんのに」  仕方なく上げてやったというのに、由一郎の第一声はそれだ。そのまま追い返してやろうかとも思ったが、わざわざきたということは何か用事があるのかもしれないと思い直す。 「あと、家の中でもズボンくらい穿きや。腹下すで」 「うるさいなぁ、今穿いてる! さっきまでシャワー浴びてたんだよ」 「もうお昼やで? 一人暮らしやからって、自堕落な生活しとったらあかんよ」 「はいはい」 「はいは一回やろ」 「はぁ……うるさ」  これ見よがしに不機嫌な顔をして見せると、由一郎もまたむうっと頬を膨らませる。そして、ことわりもなくベッドに座った由一郎は、仕立てのいいスラックスに包まれた長い脚を組んでこう言った。 「まぁ先に要件言わせてもらうけど、『マルハナ』さんとうちとの取引は無理や」 「ああ……やっぱりそうか。薄々そうだろうとは思ってたけど」  大城さんと部長が聞いたら残念がるだろうけれど、僕は薄々そんな予感がしていた。 『マルハナ』は大手食品メーカーで、うちの商品は日本中のスーパーやコンビニなど、どこにでも並んでいる。だが、逆に言えば大衆的すぎて、高級感重視の『こうのや』とのつながりは持てないだろうと思っていたのだ。 「せやけど、お父さんがな、うちの料理に興味あるなら、いっぺんうちの工房覗きにきたらええて言うてはったよ」 「えっ……? 工房に?」  旅館経営とは別に『こうのや』は食品ブランドを持っている。『こうのや』には世界の第一線で活躍してきたシェフを多く雇い入れていて、料理の面でも有名だ。旅館での味を自宅でも楽しめるよう工夫された商品を、通販中心で展開している。毎年開催される『お取り寄せグルメ大賞』でも、常に入賞している人気ぶりだ。 「去年まで恭一郎が工房の取締役をやっててんけど、フランスにまた一店舗出すことになったもんやから、今は外部の人が社長やってはんねん」 「え? そうなの? 由一郎がなればいいのに」 「実はもう一店舗、ベルギーに出店予定やねん。ゆくゆくは僕がそこを仕切ることになりそうでな」 「へぇ、さすが。グローバルだなぁ」 『お土産』にと由一郎が持ってきた和三盆プリンを食べながら淡々と返事をすると、由一郎がひょいと僕からスプーンを取り上げた。 「あっ、何するんだよ」 「またそんな人ごとみたいな口きいて。なぁ、いつになったらうちで働くん? いつまであそこで仕事するつもりやねん」 「いや、現に人ごとだし……。今の会社には定年まで勤めたいところだけど」 「いや……真くんなぁ、君も高野家の一員やねんで? いつまでも他人みたいな顔せんといてよ」 「他人だよ。穂乃果さんは僕のこと嫌ってるし、兄さんたちだって、僕が出ていってホッとしてるんだろ?」 「そらまぁ、そうやけど」 「ほらみろ」 「けど、聡兄が社長継いでからは、お母さんはもうほとんど経営には口だしせえへんし。僕は真くんといっしょに仕事したいで?」  スプーンを取り返して再びプリンを口に運びつつ……僕は小さくため息をついた。そして、テーブルに置かれた手付かずのもう一つのプリンの横にカップを置き、由一郎の隣に座り直す。 「由一郎、ベルギーに行くのが不安なんだ」 「……はぁ。……バレた?」 「わかるよ。由一郎が上の兄さんたちにずっとコンプレックス持ってたのは知ってるし。ベルギー進出も、かなりプレッシャーかけられてるんじゃない?」 「そうやねん〜〜〜もう、きいてや真くん!!」  由一郎は由一郎で、上の兄二人に苦手意識がある。  三兄弟はそれぞれ優秀だし、由一郎だって、僕とは比べ物にならないほどできる男だ。だけど、上には上がいるらしい。  父の跡を継いだ長男の聡一郎は辣腕をふるって次々に海外進出を果たし、グループ全体の収益をぐんぐん押し上げている。聡一郎の右腕のような次男・恭一郎は語学が堪能で、各国の要人と次々にパイプを作り、兄の仕事を完璧にサポートしているらしい。  由一郎も、高野家の顔を守るべく仕事をこなしている。『こうのや はなれ』も順調に客足を伸ばしている。  だが、海外に出るとなるとまた一段違った苦労がある。旅館に泊まりに来る人々と直接関わる仕事がしたいと望んできた由一郎は、海外へ出ることに尻込みしているのだろう。  海外においても、純日本風の旅館は人気が高い。日本は遠いが日本文化を体験してみたい現地の人たちにもニーズはあるし、外国暮らしの長い日本人の利用も多い。仕事の都合でなかなか帰ることはできないけれど、そこで宿泊している間は、日本に帰ってきたような気持ちになってホッとするというのだ。 「大丈夫だよ、由一郎ならできるよ。由一郎が現場にいれば華やぐし、京都弁だって喜んでもらえるだろうし」 「……そぉかなぁ」 「そうだよ。それに、まだ先の話なんだろ? それまでにしっかり準備しといたら大丈夫だよ」 「うん……」  外ではあんなに自信たっぷりに見える由一郎が、僕の言葉のひとつひとつに律儀に頷いている。さっと横に流した長い前髪が一筋崩れ、由一郎の細面にはらりとかかった。 「……うん、せやんな。頑張るわ。話聞いてくれてありがとね」 「いや……別に、たいしたことないし」 「で、真くんの首の赤いのはなに? ひょっとしてキスマークか?」 「………………はっ!?」  天地がひっくり返る勢いで話題が変わり、口に運ぼうとしていたプリンが膝の上に落ちた。

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