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第20話 集中力の低下が著しく〈side篠崎〉
「篠崎、今日のプレゼン資料、もうまとまってるな?」
「あっ、あ、はい!」
ひょい、と視界に大城さんの姿が入ってきて、椅子の上で飛び上がりそうになる程驚いた。
「会議室は押さえてあるな? 俺、午前中は外回りなんだ、準備頼むぞ」
「わ、わかりました!」
「吉岡いくぞ! 何やってんだ早くしろ」
「うっす! 待ってくださいよぉ!」
スーツの袖に腕を通しながらキビキビと吉岡を連れてオフィスを出ていく大城さんの背中が、これまで以上に大きく見える。
大城さんの家でデートをした翌週から仕事が立て込み、この半月ほどは部内全体がバタバタと忙しない空気だ。
僕自身も、いくつかの商品リニューアル案について開発部との打ち合わせが入っていたり、他社とのコラボ商戦会議が大詰めだったりと、やることは山のようにある。
だけど、ここのところ集中力が低下していて、いまいち仕事が捗っていない。
ふたりで過ごした時の大城さんの寛いだ表情であるとか、色香溢れる男の顔であるとか……あの短時間で、僕はまだ見ぬ大城さんの表情をたくさん目にした上に、生まれて初めての経験をした。
休み明けの月曜にドキドキしながら出社してみると、大城さんはすでにオフィスにいて、僕を見るなり照れくさそうに微笑んだ。だけど、大城さんのすぐそばには部長やほかの先輩社員たちがいて、そこではすでに仕事の話が始まっている。僕にもやるべき仕事がある。
公私混同をしないように最大限気をつけよう。ついあれこれ思い出してしまうし、気を抜けば浮かれてしまいそうになったけれど、気を引き締めつつ仕事に励んだ。
仕事中の大城さんはさすがのように普段通りで、さすがだなと感心したし、改めて惚れ惚れした。
僕ときたら、ふたりきりになれるタイミングがあったら何を話そう、どんなふうに振る舞えばいいのだろうかと戸惑いながらもドキドキしていて、頭の中はまったくのお花畑だ。
だけど大城さんはカフェスペースでふたりになっても、「お疲れ、篠崎」と、いつもどおりクールに微笑む。オンオフの切り替えが完璧にできている大城さんを前にすると、浮かれている自分がダメな大人に思えて軽くへこんだし、あの日の甘い時間は夢だったのかと錯覚してしまいそうになった。
さすがは大人の男だ、きっと社内恋愛にも慣れているに違いない。僕の知らないところで、きっと別の恋人がこの会社内にもいたのかもしれない——……ふと、そんなことを思い至ってしまうと若干心の中がざわついた。
だけど、僕が遅れているだけで、周りの人たちはもっと自由に、気軽に恋愛を楽しむものなのだろうから、いちいち気にかけていてはきりがない……と、思うことにしておいた。
ひとつ嬉しいのは、大城さんが夜にいつもメールをくれることだ。
そのときの話題は仕事の話ではなく、『今日も忙しかったな、お疲れ。もう飯食った?』『そろそろ寝る? おやすみ』といったプライベートな内容のもの。少し余裕がありそうな日には、『明日は夕飯食べにいかないか?』といった誘いもあった。
こういうやり取りに不慣れな僕は、即座に『行きます』と返信し、ニマニマしながら文面を何度も読み返した。
誰もいない部屋で、スマホを相手に薄笑いを浮かべている自分が暗い窓に映っていたときはさすがに不気味だったけれど、初めてできた恋人に、僕はそのくらい浮かれていた。
キスもその先のことも、忙しくてまだ何も先には進んでいない。けれど、大城さんとの密やかな関係を、この調子でゆっくり育てていけたらいいな……と、そう思っていた。
+
だが、次の週。
由一郎から、とある荷物が届いた。
さほど大きくない段ボール箱に貼られた伝票に『電動器具』と書かれていたため、マッサージ器でも送ってくれたのかなと、僕は何も身構えずに箱を開いた。
「なっ……なんだ、これ」
ビニールに包まれたピンク色の太い棒状のものが、ごろんと僕の手の中に収まった。
同梱されていたのは薄い冊子とコンドーム、ローション、そしてシンプルなパッケージに包まれたDVD。それは『悩める貴方へ~愛されボディを手に入れるために~』という意味深なタイトルがプリントされたあやしいもので……。
ピンク色の太い棒は、どこからどう見ても人体の一部を模したものだ。それを手にしながら呆然としていると、由一郎からメールが入った。
『僕からのプレゼント届いた? このあいだは色々弱音を吐いてしもたけど、話を聞いてもらえてちょっと気が楽になりました。それはそのお礼です。性に真面目な企業に勤める友人から買うたもんやし、安心して使ってみてね』と、書かれている。
「あ、あいつ……何のつもりだ……!?」
すぐに『どういうつもりだよ!?』と返信すると、『真くん悩んでそうやったし、本番で怪我せんようにと思って贈ってみました。それで練習してみるのもええかなと』と返ってきて……。
——……そ、そりゃ、練習してみようかとは思ってたけど。
気が利いているのかいないのかわからないプレゼントに困惑しつつも、ビニールを外してみる。
カリ首のくっきりした立派なそれは、色はピンクだがかなりのリアルさだった。竿に浮いた血管、大きめの玉までしっかり作り込まれているという完成度だ。適度に弾力があるところもとてもリアルで、精巧にできている。
——おっきい……。まだちゃんと見てはないけど、大城さんの、これくらいのサイズだった気がするな……。
兎にも角にも生々しいし、とにかく大きい。こんなものがいきなり自分のあそこに入るとは到底思えない。
震える指でディルドをベッドに置き、試しに冊子を開いてみた。
ただの家電の取扱説明書のような顔をしたシンプルな白い表紙を開いてみると、デフォルメされた人間のイラストが描かれていて、使い方が丁寧に記載されていた。
「確かにすごく真面目に作られてる感はある……」
生まれてこの方こんなものを手にしたことなどなかったため、イケナイことをしている感がすごかった。といっても、僕はもう25歳なのだから、別に誰に咎められることでもないのだが……。
——練習、かぁ……。もし次にそういう空気になったとき少しでもうまくできたら、大城さんを興醒めさせずに済むし、一緒に気持ちよくなれるかもしれないし……。
ごくりと固唾を吞み、今度はDVDを手に取って、プレイヤーにセット。
そこには基本的なディルドの使い方から注意事項、カップルでこれを使ったプレイのやり方などありとあらゆる性知識が詰め込まれていた。
一人での使い方から、カップルプレイの詳細な動画まで——……それはまるで、行儀のいいアダルトビデオだ。薄めのモザイクの向こう側でどんなことが行われているのかありありと理解できてしまい、途中で生々しさと羞恥心に耐えきれず、テレビを消した。
登場している男性モデルはさすがのように美形同士で、こういうものを見慣れている人であれば十分に興奮できるものなのだろう。
だが、これまで色恋沙汰をまったく経験したことのなかった僕には刺激が強すぎる。興奮するより前に『こんなことが僕に務まるのか』という不安が先に立ち、もっと自信がなくなってきてしまった。
「……でも、ちょっとはやっておいたほうがいいに決まってる。何事においても事前準備は大切だ……!」
そう考えた僕は、真面目に練習に取り組み始めて——……。
かれこれ練習開始から十日ほどが過ぎたが、練習はうまくいっていない。いまだに自分の指でさえも挿れるのが怖いという有様だ。
まったくうまくできないまま、次にまた大城さんに誘われたらどうしようという不安までもが生まれてきて、僕はだんだん大城さんの顔を見られなくなってしまった。
昼間は多忙に仕事をこなし、夜な夜な真面目に練習に取り組んでいるにもかかわらず、まるで成果が出ていない。気持ちは焦るし、上手くできない自分に苛立ちさえ感じてしまう。
「……のざき、篠崎~! おい、どしたよ。ぼうっとして」
「……えっ? あ、なに?」
「電話。内線」
「あ、ああ! ありがと、すぐ出る」
吉岡の声にハッと我に返り、慌てて電話を取る。
気を引き締めて仕事に集中しようとしているのだが、ちょこちょことした小さなミスをしてしまっていることに自分でも気づいていた。
——いかんいかん。集中だ、しゃんとしろ。
残業が増えて帰宅時間がそもそも遅くなっているところへそういった練習をねじ込んでいるものだから、僕はいつしか、心身ともにヘロヘロに疲れ果てていたらしい。
……それが、よくなかった。
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