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第22話 お説教ではなく〈side篠崎〉

 会議は無事に終わり、コラボ商品はめでたく発売決定となった。  社屋の玄関で、コラボ相手企業のお偉方たちが乗ったタクシーを満面の笑顔で見送ったあと——……僕は、全身で脱力した。会議の一時間で今日一日ぶんの体力と社会性をすべて使い果たしてしまったようだ。 「はぁぁぁぁ〜〜〜……無事に終わったぁ……」  気を抜けばその場に座り込んでしまいそうだが、会社の玄関先でそんなことをするわけにはいかない。愛想よく「お疲れ様でした〜♡」と挨拶をくれる受付嬢の人たちに力ない笑顔を見せ、僕はよろよろとエレベーターに乗り込もうとした。  すると、閉じかけていたエレベーターの扉にすっと手が差し込まれ、再び扉がスルスルと開く。気を回して開ボタンを押す間もなく箱に入ってきたのは、大城さんだった。 「あれ、大城さん? 上にいたんじゃ……?」  大城さんは目を丸くする僕の代わりに閉ボタンを押し、最上階のボタンを押した。最上階は眺望がよく、社食のレストランやおしゃれなカフェが入っている。そこで休憩をとりがてら、お説教をされるのかもしれない。 「お疲れ。ちゃんと見送りできてるかなと思って、こっそり見に来たんだ」 「見送りくらいできますよ……」  はじめてのおつかいレベルの心配をされてしまったことにさらなる落胆を感じつつ、エレベーターの壁に軽く身体をもたせかける。すると大城さんは「しまった」といいたげな顔をして、僕の隣に立ってポケットに手を突っ込んだ。 「いや、悪い、そういう意味じゃなくて……」 「いいんです、無理もないです。今日はバタバタしてしまって、本当にすみませんでした。このあとすぐPCの交換、頼んできます」 「うん、それはやったほうがいい。……でも、会議中はさすがだったぞ。数分前まで泣きそうになってたとは思えないくらい堂々として頼もしかった。先方の反応もすごく良かったしな」 「……はい、ありがとうございます」  ——僕、泣きそうな顔してたのか? ……うわ、もうほんと恥ずかしいな。大城さんの前で、そんなカッコ悪いところ見せちゃうなんて。  お礼を言いつつも、心はどんどんへこんでいく。このまま最上階でコーヒー飲みながらサラッとふられてしまったらどうしよう。「お前には失望した」とかなんとかいって、あっさりと。  ……そんなの悲しすぎるけど、これといってまだ恋人らしいことができているわけじゃないから、今ならまだ傷は浅いかもしれない。 「のざき、……篠崎」 「……えっ? あ、すみません! ぼうっとして……」 「こっち向いてくれ。俺の目を見ろ」 「あっ……」  低く甘い声で囁かれ、ドクン! と胸が跳ね上がる。……だめだ、だめだだめだ。まだ仕事中だ。大城さんの声にときめいている場合じゃない。それにこれから僕は説教を受けにいくんだぞ。  不安定に揺れる心をなんとかニュートラルな状態に保ちつつ、僕は恐る恐る大城さんを見上げた。きっと、いつものキリッとした強い目が僕を冷ややかに見下ろしているに違いない。  だが、予想に反して、僕の視線を受け止めた大城さんの目元は、見る間に柔らかくほころんでいく。 「……やっとこっち見た」 「あ……」 「篠崎、なんかあった? ここんとこ、ずいぶん余裕がなさそうに見えるんだけど」 「いえ、何かあったというわけではないんですけど……」  ——由一郎が変なものを送ってきたせいで情緒不安定……なんてこと、言えるわけない。  そう、別に何があるわけでもないのだ。ただ、夜な夜なディルドと格闘しては落ち込んでいるせいで寝不足で、注意力散漫になっているだけ……なんて口が裂けても言えるわけがない。情けないし恥ずかしすぎる。 「……ひょっとして、俺のせい?」 「えっ? な、なんでですか?」 「いや……俺が公私混同してお前にちょっかい出したりしてるから、仕事がやりづらいのかと思ってさ」  大城さんは申し訳なさそうな表情でそう言って、うなじを掻いた。  ついさっきまでひしひしと感じていた威圧感がさっぱりと消え失せ、ようやく、大城さんの素顔を目の当たりにできたような気がした。 「ごめんな、せっかくノリに乗ってきてた頃だったのに」 「ち、ちち、ち、ちがいますよ!! 大城さんのせいじゃありません!」 「いや、でも……」 「断じてそういう理由ではありません! ただ、その……、僕の経験不足が招いたことで」 「経験不足?」  ポーン、と軽やかな音と共に、エレベーターが最上階に到達する。  大城さんは開ボタンを押して僕を先に下ろし、カフェのほうへと僕を誘った。  眺めのいいカフェは、テーブルでPCを開いている社員や、遅めのランチを取る社員たちで適度に混雑していた。大城さんは僕を窓際のカウンター席で待たせ、アイスコーヒーをふたつ買って戻ってくる。 「砂糖とミルクも入れとけ。篠崎、忙しい時胃にくるだろ」 「あ……はい。ありがとうございます、よくご存知で」 「そりゃ、な。お前のことは、ずっと見てるし」 「……っ」  隣の椅子に腰掛けながら密やかな微笑みを投げかけられ、どぎゅんと胸が苦しくなった。……大城さんがかっこよすぎると、余計に自分の半端さが浮き彫りにされるような気がして胃が痛くなる。 「経験不足ってのは、仕事のこと?」 「それももちろんあるにはあるんですが、最近の不調とは直接関係はなく……」 「じゃあ、どうしたんだ? 俺に話せないことなのか?」 「う、うう……」 「顔色も悪いし、心配なんだよ。俺には、なんでも話して欲しいんだけどな」  テーブルの上で腕を組みながら、隣に座る僕の顔を掬い上げるように見つめてくる大城さんの眼差しが眩しくて、顔から火が出そうだった。頬は熱いし頭の芯のほうがズキズキする。僕はアイスコーヒーをがばっと一気飲みして、ふぅ〜と息を吐く。  だが身体から熱が引く様子はなく、頭痛がさらに強さを増してくる始末。……何かおかしい。さすがの僕も、これは純然たる体調不良かもしれないと、ようやく気づき始めていた。 「……すみません。その話は、また後日でもいいですか?」 「それは構わないけど……おい、大丈夫か? 篠崎?」 「大丈夫です。ちょっと休めば……すぐ、仕事、戻れるんで」 「大丈夫じゃないだろ」  突然大城さんの手のひらが僕の額に触れ、僕は思わず硬直した。  ひんやりした大きな手のひらが、熱を持った僕の額から熱を吸い取っていくようで気持ちが良い。身じろぎせずに大人しくしていると、大城さんが重々しい口調でこう言った。 「熱あるぞ。今日はもう帰ったほうがいい」 「熱? い、いえでも、大したことないですし。まだ仕事が残ってますから」 「あのな篠崎。今無理をして、もっとひどいことになったらどうするんだ。いいから今日は帰って休め」 「でも……!」 「これは俺からの指示だ。いいな?」 「……う。は、はい……わかりました」  ビシッと断固たる口調で指示を出されてしまうと、どうにも断れない空気になる。  力なく頷く僕の肩に、大城さんの手がふわりと置かれた。 「これは個人的な質問だけど……。あとで、夕飯作りに行ってもいいか」 「は……? ゆ、夕飯? 僕に?」 「他に誰がいるんだよ。まぁ、その……迷惑でなければだけど」  間の抜けた質問を返す僕に苦笑する大城さんの色気に、ふたたびドクン! と胸が大きく跳ね上がる。  見つめられるままかくりと頷き、僕は小さな声で「……大歓迎です」と言った。

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