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第27話 突然の来訪〈side大城〉

 翌日、篠崎は欠勤した。  昨日発熱して早退した上、部長からも休みを取るよう勧められていたこともあるし、それ自体は別に不自然なことでもなんでもない。  ……だけど、その欠勤理由は紛れもなく俺のせい。  盛り上がってタガが外れて、明け方近くまで篠崎を抱き続けてしまったせいだ。  ——バカすぎるだろ俺……盛りのついたサルじゃあるまいし、あんなになるまで篠崎を抱き潰すなんて……。  空が白み始めた頃、篠崎は意識がなかった。  人形のように俺に揺さぶられながら、いつしか寝落ちてしまったらしい。  慌てて篠崎を介抱し、シーツなどを洗濯したり換気したりしているうちにすっかり夜が明けていた。そのため、俺は徹夜だ。だが、眠気や疲れなどは一切なく、俺はいつにも増して元気だった。  ——……可愛かったな、篠崎。どうしよ俺、これからあいつと顔合わせるたびに盛ってたんじゃ仕事にならないぞ……。  昨日のあれこれを思い出すだけで、すでにドキドキしはじめているという有様だ。こんな状態でオフィスに本物の篠崎がいたら、俺の股間と情緒はえらいことになる。  ——はぁ〜〜〜もう、馬鹿か俺! いい加減にしろ、もういい歳こいた社会人だろ! 公私混同するべからず、深呼吸して仕事に集中しろ!  ひそかに己に喝を入れていると、ポンと誰かに肩を叩かれ、俺は仰天して飛び上がりそうになった。  やや涙目で振り返ると、酒井が胡散臭そうな顔で俺を見下ろしている。 「な、なんだ酒井か……どした?」 「大城さん、受付にお客様が来られているそうですけど」 「え、誰? そんなアポなかったと思うけど……」 「『こうのや』の営業の方だそうですけど、コラボの件でなにかあったんですか?」 「は!?」  その名を聞くやいなや、俺は大急ぎで受付へと駆けつけた。  すると、受付嬢たちに甘い笑顔を振りまきながら楽しげにおしゃべりをしている高野由一郎がそこにいて、思わず背筋がまっすぐに伸びる。  高野は俺に気づくと、いかにも裏のありそうな笑顔でひらっと手を振る。そして、スマートに歩み寄ってきた。 「もう来てくれはったん? ごめんなぁ、お忙しいとこ」 「い、いや……たまたま手が空いてたからいいですけど。どうしたんですか」 「そろそろお昼やし、一緒にランチでもどうかなぁと思ってね」 「は、はぁ……」  別に昼食を取ることはは構わないのだが、一体何の用があってここにきたのかと訝しんでいると、軽く首を傾げてにこにこしていた高野の顔から、突如表情が消えた。  そして、じ……と物言いたげな顔で俺を見つめつつ「行くやろ?」と、低い声で圧をかけてくる。  ——あ……こりゃ篠崎のことで何か言われるな。  一瞬でそれを察した俺は、羽織っていたジャケットのボタンを留めてネクタイを締め直し、重々しく「……わかりました」と応じた。  + 「で?」  会社からもほど近い場所にある洒落たカフェに入り(普段は全く使わない店だ)、俺は高野と向かい合ってテラス席に腰を落ち着けた。  すると間髪入れずこれである。俺はお冷で唇を潤しながら、この問いに何と答えるべきか考えた。 「えー……コラボの件でしたら、弊社のほうにまだ足りない部分があると考え、」 「いやいや、ちゃいますやん。わかったはりますやろ、大城さん」 「あーーー……ええと、はい。その件に関しましては、近々きちんとご挨拶に伺おうと思っていたところでして」 「その件て、どの件?」 「……」  俺には突き刺すような目つきを向けてくるくせに、若い男性店員にはにっこり愛想のいい笑顔でオーダーを済ませ、高野はまたじ……と俺を見据えてきた。  俺は覚悟を決め、背筋を伸ばして膝の上に拳を置くと、深々と高野に頭を下げた。 「篠崎真さんと、正式にお付き合いさせていただくことになりました」 「ほーーーーーん、なるほど。そうなんや。で?」 「あなたに関して僕は色々と勘違いをしていたようで、まさかご兄弟とは存じ上げず失礼いたしました。高野家で肩身の狭い思いをしていた真さんを、東京に連れ出してきてくださって、本当にありがとうございます。……という気持ちです」 「ふぅん。……まぁ、ええか」  高野はふっと怖い目をやめ、運ばれてきたサラダをフォークでつついた。  もう十月が近いとはいえ、昼間の日差しはまだまだきつい。テラス席のパラソルが作り出すくっきりとした日影の中で、高野はどことなく複雑そうな顔をした。  かと思えば、またしてもじ…………と鋭い目つきで俺を睨んで、フォークをまっすぐ俺の目元に向けながら、低い声で凄んできた。 「オイ。うちの弟、泣かせたら承知せぇへんからな」 「は、はい! 泣かせません!」 「いつでも君のこと見張ってるからな。ええな」 「あ、は、はい!! 肝に銘じます、大事にします!!」 「…………まぁええ。真くんが幸せなら、僕はもう言うことないわ」  籐でできたゆったりした椅子に深く背をもたせかけ、高野はため息をつきつつ空を見上げた。パキッとした青空に、季節外れの入道雲が浮かんでいる。 「真くんはな、ああ見えて強い子やねん。うちの母にそうとういびられながら高野の家で育ったのに、優しくて、賢い……ええ男に育ったなて、ちょっと驚いてまうくらいや」 「そうですか……」 「僕が高校入ってもうめっちゃくそモテ始めた頃のことやねんけど、真くんにな、『君もモテるやろ、彼女作らへんの?』て聞いたことあんねん。そしたらあの子、『僕の彼女になる人が可哀想だから、いい』って言うてさ」 「かわいそうって?」  話の導入にサラッとモテ自慢を入れてくるあたりさすがだなと思いつつ、サラッと聞き流して先を促す。高野はさしてそこを気にするでもなく、話を続けた。 「『僕といると、彼女は穂乃果さんや兄さんたちに馬鹿にされる』『その先に子どもができたとして、きっとその子どもも、僕の子どもだからってだけで高野の人たちに馬鹿にされる。それが嫌だから一人でいい』って、言うねん」 「そんなことを?」 「うん。……しまったなぁて、思ってん。僕は母と対立するのが面倒で、家の中ではあまり真くんを庇ってこーへんかった。後でフォロー入れてたつもりやけど、知らんうちに真くんの人生をボロボロにしてしもてたんやなと思ってさ。ほんまにめっちゃ後悔して」 「そうだったんですか……」  運ばれてきた魚介類たっぷりのパスタを物憂げに口に運びながら、高野はまたため息をついた。 「このまま高野の家にこの子置いとくわけにいかへん。僕もあの家が息苦しかったし、それならいっそ、真くんと家を離れようと思ったんや。僕が先に上京したからしばらく真くんひとりで頑張らなあかんかったけど、そこはしっかり乗り越えてくれた。よかったと思てるよ」 「そうですね。……ほんと、とてもいい選択だったと思います」  心の底からそう思う。深々と頷く俺をチラリと見て、高野はようやく少し微笑んだ。 「真くんが好きか?」 「ええ、好きです」 「どのくらい?」 「どのくらい……そうだな、あなたが真さんに贈った大人のおもちゃに死ぬほど嫉妬するくらいには、好きですね」 「え? ああ、あっははははは!」  俺の言葉を聞くや、高野は腹を抱えて大笑いを始めた。高野がしばらくひーひーと苦しげに目元を拭っている間に、俺は運ばれてきたハンバーグランチにナイフとフォークを入れる。 「それも聞いたん? 僕からのプレゼントやって」 「ええ、まぁ……」 「で? 練習の成果は出てはったんにゃろか」 「出てません……ってか、出なくていいんです。あんなもん送って、ほんとまじ何考えてんだって思いましたけど……」 「けど?」 「なんでもないです」  あの特大サイズのディルドのおかげで、篠崎が俺のナニのサイズを見ても怯えなかったわけだから、ある意味、いい効果はあったのかもしれない……。  何ともいえない気分でもぐもぐハンバーグを咀嚼する。肉汁がしっかり含まれていてすごく美味い。今度篠崎を連れてこよう。 「ま、僕は大城さんのことも可愛い弟ができたつもりで仲良うしたいと思てるし、もう敬語もやめてぇや。気色悪いわ」 「……弟? 俺が? ていうか、あんたの方が年下だよな」 「おや、さっそくめっちゃタメ語で喋るやん。……ま、そやね、僕27やし。大城さん、28やっけ? たいして変わらへんやん」 「そうだけど。……まぁいいか」 「で、なんで今日真くんは会社休んでんの?」  突然思わぬ角度から俺の罪悪感を貫くような質問が飛んできて、ハンバーグを喉に詰まらせそうになった。慌てて水で流し込み、九死に一生を得る。 「……えっ……知ってたの……?」 「知ってるに決まってるやん。何で僕が真くんスルーして大城さんとふたりでランチせなあかんねん」 「それもそうか……」 「今日用事あって電話したら、ものごっついガラガラ声で電話出るし。風邪ならなんか差し入れよと思ってんけど、すごい剣幕で来るなて言われるしで……まぁ、ピーンとね。きたわけや」 「ピーンと……」  すっかり砕けた様子の高野に油断していたところに、またあの鋭い目線が突き刺さる。ビシッと背筋が伸び、背筋に冷や汗が伝うのがわかった。 「大城サン。きみ、あの子にめちゃくちゃなことしたんやろ? あ? どやねん?」 「うっ……そ、それは」 「きみ、さっき、真くんのこと大事にする言うたやんな? なぁ?」 「す……す、すみませんでした」  切れ味鋭い日本刀のような目で凄まれると、迫力がすごい……。のほほんと食事をしているときはただの京都のボンボンなのに、突然ヤクザに豹変だ。 「ずっと、我慢はしてたんですけど……でも、昨日は、は、初めてできたので、つい」 「ついやあらへんで、なぁ、大城さん? うちの真くんが怪我でもしたらどないしてくれんねん、オイ」 「せ、責任とります。一生かけて、償いますので……!!」 「一生、ねぇ。ふーん」  こっちに身を乗り出していた高野が、ひょいともとの位置に戻っていく。そして今度はぐさりとミニトマトにフォークを刺し、もぐもぐと俺を睨みながら食べている。……怖い。 「まぁ、付き合いたてやもんな。しゃーないか……」 「……すんません」 「可愛いもんな、真くん。……はぁ、僕も恋したいなぁ」  なにやら急に乙女チックなことを言い出した高野の豹変ぶりについていけない。何だかどっと疲れてきた。 「なんにせよ、真くんがええ人見つけられて、僕もちょっと肩の荷が降りたわ」 「はい、何よりです」 「ま、これからは僕ともよろしゅうしたってな。大城さん。いや、亮一くん」 「あんたに下の名前で呼ばれるとゾワゾワするな」 「なんでやねん。ええやん別に。僕のことも由一郎て呼んで?」 「まぁ、機会があれば」 「ふっ。なんやそれ」  高野はニヒルに微笑み、またパスタを食べ始めた。「デザートにティラミスつけよかなぁ」と、平和なことを言い始めたので、どうやらこの店のことは気に入ったらしい。  ——怖いけど、一応、高野さんにも認めてもらえたってことなのかな。  うららかな午後を緊張感たっぷりに過ごしながら、俺は篠崎を恋しく思った。

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