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第3話
キャパオーバー。嬉しさと胃の大きさは比例するはずもなく、案の定、久世はランチを残した。
だが、残したことを気にする間もなく上月と神がそれをまるで取り合うかの様に片付ける。
恐るべし、運動部。取り合う姿は、最早、ハイエナ。久世はそんなことを思いながら、どこかご機嫌にお茶を啜った。
「久世、今日食堂に居たな」
放課後の美術室で日丘に言われ、ああっとなる。
日丘は久世の格好を見ても何も言わなかった。陸上部の山崎とはクラスメイトだと言っていたし、聞いたのかもしれない。
「今日は、その、弁当なくて」
「神とあれ、バスケ部のエースだよな?」
「上月です。知ってるんですか?」
「いや、知ってるというか。あの二人は有名だからな。バスケ部は今年はいいところまでいけそうだろ?その上月が結構な戦力だって聞いたぞ」
「はぁ…」
「ラフプレイには関西弁で凄むんだろ」
くすくす笑う日丘の言葉に、その情景がありありと想像出来てげんなりした。
上月は悪い人間ではない。神だってそうだ。だが、久世にとっては面倒な人間なのだ。和やかなランチの時間だって、毎日となると、きっとうんざりする。
「良い友達じゃないか」
「え?」
ええ!?と声を上げなかっただけ良かった。友達だなんて、考えた事もない言葉に鳥肌が立つ。
友達ってなに?あれ?友達って、なんだっけ?知らず知らずに百面相する久世に、日丘は笑った。
「ほら、入部してきた時は、オマエ、ほら…」
「…暗かった」
言い難そうな日丘の言葉を代弁する。確かに暗かった。今よりももっとかもしれない。どんより、背中に闇でも背負ってるくらいの真っ暗。そんなとこ。
「そうそう…で、ちょっとマシになったのに、夏休みの頃にまた一段と暗くなって。2年になってもまだ暗くて、こないだまでそうだったのに、それが最近、明るい」
「よく、見てますね」
少し呆気にとられる。元々、面倒見の良い日丘はことあるごとに久世に声をかけてきた。でもまさか、そこまで観察されているとは思ってもみなかった。
「まぁ、部員のことだし。お前はちょっと、今だから言うけど暗すぎて、ちょっと心配で。それに、俺、人を観察するの癖だからな」
日丘はそう言って笑って、別に、妄想しているわけじゃないぞとジョークで続けた。
観察ーそれはきっと、芸術に携わる者すべてに当てはまるのではないのだろうか?久世も人間観察は癖だ。枠の外から中を眺めるのが癖で、でも決してその中に入りたいとは思わなかった。
久世は相変わらず真っ白なキャンバスの前で、ぼんやりしだした。こうなったら、もう会話にはならないなと日丘は久世の側を離れた。
窓の外は雨。相変わらずひどく降る。こんな時は運動場には誰も居ない。トラックを駆け抜ける、神の姿ももちろんない。
そういえば神は箸の持ち方が綺麗だった。指が綺麗だったせいもあるのか、手本にしたいような持ち方。
手も足も指も長い。思えば、首も長いほうだ。陸上をやっているからか、姿勢も綺麗だ。歪みも何もない。
「すんませーん、久世誉くん居ますかー??」
ペンの滑る音、紙の擦れる音、その擬音しかない静かな美術室に、暢気な声が響いた。
物思いに耽っていた久世はぎょっとして、声のする入り口を見た。他の部員も久世と同じ様に入り口に視線を向ける。そこに居たのは…。
「り、龍宮寺」
「神だってば、お邪魔しまーす」
制服の格好でへらっと笑って部室に入り込む。呆気にとられる久世の前に、何食わぬ顔で立つ神を久世は本気で殴りたくなった。
「なんだよ!」
「え?帰ろうと思って」
「は?帰れよ!」
「いや、オマエと」
「…はぁ!?」
何で!?どうして!?心の中で叫び倒して、ギリギリと歯を食いしばる。どしてこんなにも見た目と中身がぐちゃぐちゃなんだ!!なんでこんな馬鹿なんだ!!
「こら、龍宮寺。ここでは静かにしろ」
久世の代わりというわけではないが、日丘が神の頭をコツンとこついた。
「あ、部長さん?さーせん。ってか、俺のこと知ってんだ?久世、俺って有名人」
にやっと笑う神の顔を見て、久世は、馬鹿だろ、オマエ絶対に馬鹿だろうという視線を隠しもせずに送る。こいつ、絶対世界一馬鹿だ!
「ねぇ、部長さん。今日は雨スゴいし、もう終わりにすれば?」
「あ?ちょっと待てよ!龍宮寺!!」
「神だってば」
「何だ、どういうことだ?」
「いやね、こいつ朝、傘壊しちゃって。だから送って行こうと思って」
「そんなのいらないよ!」
「久世、静かにしろ」
諭されて、うっとなる。まるで駄々を捏ねているのは久世みたいだ。
「傘か。そうか、ならしょうがないな」
「部長!」
「雨足が強まると、下手すれば電車が止まるしな。今日はこの辺にして、みんなも帰る準備しろ。運動部も終わってるんだろ?」
「あー、はい。俺んとこ最後だったし」
「じゃあ尚更だな」
無慈悲な日丘の言葉に久世は押し黙った。部員全員が帰るとなるのなら従うしかない。渋々、久世も鞄に筆箱を投げ入れた。
うわーっと声に出さないだけマシ。とんでもない土砂降りだ。その顔を神が読み取り、ククッと笑った。
「な、傘、いるだろ?」
言われて唇を尖らせる。なんで傘が壊れた事を知ってるんだ!と思ったが、そうだ、久世を助けたのは上月だ。
鞄を届けてくれたのも上月。壊れた傘がないのを見ると、片付けてくれたのかもしれない。ならば、知っていて当然なのだ。
「俺の傘、超でっかいの」
自慢げな顔を見せて、バフッと広げた傘は本当にでかい。なんだこれと思ったが、どこかで見た事ある。
「ゴルフの…」
「えー、違うよー。レースクィーンのだろー」
ああ、そっちかよと思い呆れながらも”ほら”と隣のスペースを首を傾げて促され、そこにポンと入る。どこか渋々という感じに、神は笑った。
久世の家は学校から30分ほど歩いたところ。電車だと2駅。電車が嫌いな久世は2駅をひたすら歩くのだ。それを神に伝えたが、たかだか30分歩くなんて陸上部の神にはなんてことない。
賑やかな商店街を抜けて、駅沿いの道を歩く。閑静な住宅街は歩き慣れていると言えど、少し不気味だ。
そして、ようやく見えた地下道を通るときは、ようやく雨が遮られて気分がほっとするものだ。
傘を叩く雨の音が五月蝿すぎて、あまり会話はなかった。だが、特段、居心地は悪くなかった。
そうしているうちに、何とか家に辿り着いた。久世の家は昔ながらの一軒家。曾祖父が残してくれたものだ。
「あ、うち、ここ」
「へー、何か、芸術家の家って感じ!」
なんて適当な。芸術に携わっているのは久世一人だ。曾祖父なんて警官だったし、祖父もサラリーマンだった。
「じゃあ、ここで」
と言って、神を見る。足下はぐちゃぐちゃで大きな傘と言えども二人で寄り添っていたわけではない。
久世と反対側の肩はずぶ濡れだ。肩に掛けた鞄なんて水が滴っている。神の家はどこだ?久世はうーんと唸った。
「あの、タオル貸すから入って」
「え?いいよ、帰る時にまた濡れるしさ」
「いや、風邪とかひかれたら」
目覚めが悪い。できればもう関わりたいくないので、借りは作りたくない。
「うーん、でもさー」
「ちょっと!誉!なにそのイケメン!!」
二人のものとは明らかに違う声、それに二人して振り返る。そこに居たのは、久世と同じ様にジャージ姿の姉の杏だ。
久世が帰って来たのが分かったのか、片手にタオルを持っていた。
「杏、なんで。仕事」
「えー!もう!!なにそれ!!早く入ってもらいな!かあさーん!誉が!!」
大騒ぎだ。さすがの神も呆気にとられていた。
「あー。今の、姉。あがって。帰られると、俺が殺される」
「ああ、うん」
神は物珍しげにあちこちを見渡していた。昔ながらの縁側が珍しいのか、欄間が珍しいのか、唐木指物が珍しいのか。まさに借りて来た猫。大人しい。
「えーっと、龍宮寺さん。誉がごめんなさいね」
久世の母親、雛は少しばかり頬なんて染めながらお茶を差し出す。
何がごめんだ。俺が何をしたと思いながら、ぶーっと膨れているとドンッと杏に背中を蹴られた。
「何してんのよ!風呂、早く入って!風邪引くでしょ!神音君もあとで入ってねー」
何が神音君だ、心の中で悪態付きながら、杏に逆らう訳にもいかずに久世は風呂へ向かった。
「制服、困ったわねー」
「あ、明日、出来上がるみたいですよ。多分、久世…誉くんがクリーニング代を知ってると思いますよ」
「なら、明日は大丈夫ね。神音くん、ご飯食べて行ってね」
うきうきと立ち上がる雛に、結構ですとも言えずに神はハハッと笑った。
「ねぇ、神音君」
雛が姿を消した途端、神の前に座り、少し声を落とす杏に神は首を傾げた。
メイクをしていない割に目のラインがくっきりしていて、長い睫毛が綺麗だ。でも、久世の方が長いかもしれない。
高い鼻は華奢で、少し尖った唇は薄め。双子か?というほどに久世と杏は似ている。
長い黒髪がさらっと流れる。外見はよく似ているが、性格は全く違うなと思う。先ほど、久世の背中に足を置いた姿が久世とはリンクしなかった。
「誉、どう?」
「どう?」
どうとはどう?言いたい事が分からずに首を傾げてしまう。
もし久世が女ならば”どう思う?”のどうだろうが、これが男の場合はなんだろう。どう?
「中学のときにあんなことあって、いじめられてさ。高校でもそのせいで、いじめられてさ」
「へ?」
中学の時に?残念ながら、久世とは中学は別だ。その時に何があったかなんて神は知らない。
「ほら、痴漢に遭った話」
「え?」
神の意外そうな顔に杏がしまった!という顔をするが、時既に遅し。
杏はどうやら上月に似て、思った事をどんどん口に出すタイプらしい。そして隠し事も出来なければ、言葉もストレート。
久世の事が気になって気になって仕方がないので、ついつい言わなくてもいいことまで言ってしまった。そんなところ。
「あー、まぁ、多分いつか分かることよね。高校にも知ってる子、居るみたいだし。神音くんを信用するわ」
「信用ですか」
「いいのよ、何かあればあんたをフルボッコすればいいんだから」
「フルボッコ!?」
「これでも昔はやんちゃだったのよ。ああ、あたしの事はいいんだった。誉。中学の時に何回か痴漢に遭って。しかもおっさん。まぁ、詳しい事は聞けないから何をされたか知らないけどね。それをまた運の悪い事に同級生に知られちゃって。中学はイジメよ、イジメ。その痴漢のせいで電車とか乗れなくなっちゃって、今の高校に入ったの。スポーツか文化系の推薦の要る学校だから、誉の中学からの生徒が居なくて助かったと思ったのにさー。男も案外、噂好きよね。誰も知らないはずの誉の過去がバラされて、またイジメ。学校に乗り込んでやろうかと思ったもの」
「…は、はぁ」
あまりの衝撃の事実に、神はそう言うしかなかった。
確かに久世は男にしては線が細く、少し脆そうなイメージだ。若い身体に触れたくなった中年の目に入れば、そういう衝動も起こすかもしれない。
どちらにしても久、世にとってはいい迷惑だ。
「でも、神音くんみたいな友達が居て安心した。ねぇ、友達よね?」
「はい」
久世はどう思っているのかはしらないが、神はしっかりした返事をした。それに杏が嬉しそうに笑った。
その日は鍋だった。
おかしい、こんなの何かの間違いだ。家族と一緒に神と鍋を囲むって。
そんな久世の思いとは裏腹に、大食感の神を雛はこれが男の子!と喜び、杏はどんどん神のために器を埋める。
何だ、これ。おい。はーっと嘆息する久世の器に、杏が皮を剥いた海老を放り込んで来る。
久世はそれを冷まして、ぱくりと食べた。
もそもそと草食動物のようにそれを食べると、杏の方を見た。すると次に投入されるのであろう海老が冷まされていたので、それを待つことにした。
すっかり夜も更け、挙げ句、一向に止む気配のない雨を見れば、杏も雛も泊まって行けの大コール。
雛はいそいそと神に電話番号を聞いて神の家に電話を掛け、杏は久世の部屋に神の布団を用意しにいった。
恐るべし、女のパワー。久世は思いながらも、言葉にすれば最後だと諦めて神を部屋に案内した。
二階の奥。そこが久世の部屋だ。
「…え??」
勉強机と本棚。それだけ。それに神が驚いた声をあげた。
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