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第2話

 秋野は16歳にしてヒートが来た事が無かった。一般的に遅くても15歳までには来る事が殆どで、ヒートを迎えたらαと契約する事が決まっている秋野は、父親から検査を受ける様に言われ、東雲病院に居た。  この病院は院長一家こそαだが、βの医師を積極的に集め、この国で初のΩ医師を雇っていた。その医師は今地方に移り開業している。   「ホルモン値に問題は無さそうですが、もっと詳しい検査をご希望ということですから内診もしましょう」 「そうですか……」  秋野はヒートが来なければ良いと思ってしまう。 「個人差があるということは、平均よりも遅い方も居るという事ですから、あまり深刻にならなくて大丈夫ですよ」  β男性の医師が穏やかに伝えてくるが、秋野の心と医学的健康が噛み合わない。  元々の主治医はΩ医師の暁夏海という女性だった。彼女はこういう時なんと言うだろうと考えてしまう。  なんだか酷く惨めな気持ちになる。ヒートは来てほしくないし、Ωとしても中途半端なのも情けない。複雑な気持ちだ。   「うぅ……いだいぃいいい……」 「力抜いてください、深呼吸ですよ」  涙を滲ませながら、力を抜けるもんならとっくに抜いている、痛くなければ力も入らない! と、内診されながら叫びそうになった。 「君、ちょっと代わろうか……」 「院長……すみません……」  低くて落ち着いた声の東雲一輝は最近院長になったばかりだ。 「黒岩さん、すみませんが交代しますね」 「はい……」 「腰少し動かしますよ〜」  トンと腰をずらされ、既に緊張でガチガチになっている秋野の力が入らなくなった。  そして、すんなりと器具が侵入してしまった。 「大丈夫ですか?」 「全然痛くない……です……」 「私、そこそこ上手なんですよ〜」  冗談めかした言い方にクスリときた。安心して、身を任せる事が出来た。 「うん、うん……何も無いので、健康ですね」 「そうですか……」 「もう少し様子を見ても良いかもしれませんよ」    学校帰りに病院に寄り、内診を終える頃には外は暗く、待ち合いには誰も居なくなっていた。 「黒岩さん、お家からの連絡で迎えが少し遅れるそうですよ。待ち合いにいらしてください」 「わかりました。ご迷惑おかけします」 「大丈夫ですよ」  受付の女性がニコニコとして去っていく。  一人待ち合いに座っていると、なんだか妙に落ち着かなくなってくる。身体中が痒い様な、ゾワゾワとした感覚がしてくる。遅くまで迷惑だろうという様な気がして、気が急いているのかもしれないと考える。 「すみません、外で待ちますから」  人の居ない受付に声を上げてみて、兎に角外に出ようとすると、脚の力が抜けて崩れる。  グワッと身体が熱くなる。 「なに……なにこれ……どうしよう……」  下腹部がズキズキと痛みを発して、蹲る。 「黒岩さん……? 黒岩さん!!」  戻ってきた受付の女性が背中に触れると、その手にびくりと震えてしまう。相手は名前も知らない女性である。βだと思われた。 「ヒートが来ちゃったのかもしれませんね。個室で休みましょうね。立てますか?」  縋り付く様にして立ち上がり、誘導されていく。  歩くだけで酷く息が上がる。歯を食い縛り過ぎてギリギリと音がして顎が痛くなった。  硬いベッドに寝かされて、布団をかけられる。 「普通の事ですからね、安心してください。先生呼んで来ますからね」 「お腹の辺り、凄く痛くて……」 「痛みですか……伝えておきますね」   「うぅ……くぅ……」  ガラリと開いた扉の音がした 「先生?」  黙っていて、誰だかわからないが、すぐにうつ伏せのまま背中に伸し掛かられて、弄られていた。 「な、なに……なに!!」  相手は答えない。  制服のズボンを剥ぎ取られ、先程内診された所に、激しい衝撃を感じた。痛みではない。息を呑む様な衝撃だ。そして、抜き差しされてしまう、その都度、腹の奥の方がジンジンとした感覚が広がり、何かが溢れ出してくる。 「やだ……やだぁ!! やだ!!!!」  あらん限りに叫ぶと、首に痛みを感じ、その感覚に頭が真っ白になる。暴力的な快楽と思われる物が脳天を貫いた。自らの口から、いやらしい声が漏れた。ほんの一瞬の事の様に思えたが、正確にはわからない。  バタバタと複数人が近付いてくる。 「先生! 先生! いけません! 先生!!!」  ズルリと引き剥がされ、何か大切な物を失った。    内診が下手なβの医師が、薬の説明をしている。緊急避妊薬とやらの効果は、通常のβなら8割程度、αと通常のΩなら5割程度、ヒート中のΩはたったの1割程度だそうだ。それがどういう事なのか、何も考えられずに口に含み、飲み込む。  迎えに来ていた運転手は無言で、何も言えないでいる。  何が起きたのですか? その質問は、怖くて出来なかった。 「兎に角身体を拭きましょうね」  青ざめた久子が暖かいタオルで拭ってくれる。バタバタと駆け込んできた母親は悲鳴を上げながら抱き着いてくる。仕事から飛んで帰ってきた様だ。  そのすぐ後に兄、そして父もやってきた。 「妊娠したのか?」 「その話は後にしましょう」  デリカシーの無い父親の発言を、兄が嗜め、母がキッと睨む。 「後って言ったってなぁ……匂いは、αに抱かれた匂いがする……」  母親は、声にならない声を出そうとハクハクと口を動かす、あまりのデリカシーの無さに白目を剥きそうだったのだ。殆ど剥いていた。 「お医者さんの言う事には、番になっているので、恐らく緊急避妊薬でも防げないだろうと」  代理で話を聴いた運転手が、おずおずと答える。 「私、私はあなたがこれ以上の口を開くなら、離婚致します」  父親は黙った。  そして直ぐに、東雲一輝が訪れたのだ。   「ヒートである事が私に伝わっておらず、病院として施錠やカラー等、対応に全面的な不備があったことは勿論、理性を保てなかった私個人の落ち度です。大変申し訳ありませんでした」  東雲一輝はαでありながら35歳でパートナーが居ない人間だった。見合いの話を総て断り、東雲を自分の代で終わらせる気でいた。人生の総てを、βとΩの産科医育成に費やすつもりで居た。  医療現場ではΩのフェロモンにも慣れてくる。今までヒートのΩに直接触れても対応出来る特異な体質だと思っていた、天性の才能だと。  しかし、鼻腔をついた秋野のフェロモンは瞬時に理性を失わせてしまった。こんな事は初めての事で、部下達に引き剥がされても、暫く暴れて理解出来なかった程の、ただの獣だった。自身があまりにも恐ろしかった。  自分の理想、理念、目標、それについてきてくれる人々の何もかもを貶め、適切に対応するべきだと主張した自らがそのΩを傷付けたのだ。  αという性の理性を信じてきたが、そんなものは存在しなかったのだ。  そして、番になってしまった黒岩秋野に拒絶される事も当然であり、絶望としか言いようも無かった。  部屋に籠もり、外に出ることを辞めた。  

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