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 マーキー・マーカスとペリー・ザ・ペリカン。ロサンゼルスで1番素敵なアルファとオメガ。誰もが羨む理想的な2人組。美貌と才能に溢れ、若くして大金を手にし、この世の春を謳歌しながら愛し合っている。  仕事上の相棒でもある彼らは息がぴったり、カップルだから当然だと皆は言う。ありゃ運命の番だよ。いやどうかな、なら何故マークはペリーの項を噛まないんだろう、上手く使ってるだけじゃないか。部下達がまことしやかに語る噂など、2人は物ともしない。オマールにとってもどうでもいいことだった。だって彼らは、自らを愛してくれる。  エントランスに見慣れたキャリーケースが投げ出してあるのを目にし、部屋に駆け込んだオマールは、すぐさまぴたりと足を止めた。にも関わらず、ペリーは「勝手に入ってくんな、ちゃんとノックしろよ」とあの少し間延びした口調で窘める。  彼は世間一般で吹聴される、オメガの美的規準から少し外れていた。マーカスと同じくらい背が高いし、体もバスケットボールの選手みたいに逞しい。ダークブロンドの癖っ毛と、公園のリスを思わせる顔はいつまで経っても可愛らしいけれど(彼はオマールと出会って3年、誕生日パーティーのケーキに乗せるプレートへ毎年『25歳おめでとう』と書かせる)    オマールをびっくりさせたのは、ペリーの裸体そのものではない。トランクス一枚でうろついていた彼の、ちょうど己の目線と同じ位置にある腹が、ぽこっと膨れていたことだった。  くっきりした腹筋は型崩れしていないと言え、その肉の下、内臓に何かががしまいこまれていることは明らかだ。最初オマールは、てっきりペリーがご飯を食べ過ぎてしまったのかと思った。彼はいつでも、飢えているかのようにがつがつと、とにかく食いっぷりが良いから。  けれどそこは、どう考えても胃のある場所ではなかった。よく日焼けした肌はしっとりと汗を掃き、何だかいい匂いを放っている。嗅ぎたいのか、見つめたいのか、自分でもよく分からない。気付けばオマールは、縫いつけられたようだった足が勝手に動き出すのを止められなくなっていた。 「おなか、どうしたの」 「ん? ああ、これな……ちょっと後にしてくれるか」  ふらふらと近付いてきたオマールの頭をぽんぽんと叩く大きな手のひらは、ぐっしょり汗ばんでいる。反対側の手首で拭われる、彼自身のこめかみも……酷く顔色が悪い、まるで紙のような青白さだった。もしかしたらこれは、病気なのかもしれない。そう、腹の中に出来物があるのかも。去年亡くなったパパの妹のように。 「大丈夫? 痛い?」 「大丈夫、大丈夫」  明らかに無理して作られた微笑は、オマールへ耳打ちしようと腰を曲げた際、一層苦しげな色を増す。 「妊娠してるんだ。お前の兄貴の子供を」    にんしん。ニ、ン、シ、ン。赤ん坊が出来ること。それ位はオマールだって知っている。  心配だったので、バスルームへ駆け込んだペリーが戻ってくるまで待っているつもりだった。けれど当の本人に、あっち行ってろとドアの向こうから喚かれ、結局外でおやつを食べていた。兄の部下が20人集ってBBQをし、そこへ女の子やオメガが同じくらいの人数来て丸いプールで遊んでも十分な余裕のある中庭は、この街を一望できる。  右手に臨む、教会を思わせる特徴的な尖塔を備えた駅に、今日も父はいるのだろうか。もう彼とは1年以上会っていない。マーカスは、いつでも歓迎する、何ならここに住んでくれてもいいと言ったのだが、一向に顔を見せてくれなかった。プライドがあるんだろ、と素気なく切り捨てたのはペリーだったはず。今更物乞いだと思われたくないっていう、ちんけなプライド。それか、酒で浮腫んだ顔を息子に見せたくないのかもな。    例え浮腫んでいても、皺だらけになっていても、幾ら汚れた服を身につけていても構わない。父に会いたいと、表向きオマールは周囲に吹聴している。けれど内心、怖いのも事実だった。もしも恐ろしい姿になった父を目にしたら、どんな感情を抱くか分からない。血の繋がった、つい数年前までたった一人の家族だと思っていた存在へ、嫌悪を催してしまえば。もう二度と会いたくないなんて感じてしまえば。それはとても悪いことのように思える。  人気のない、だだっ広い中庭で独りぼっちだと、心まで寒々としてくる。もう季節は秋も半ばで、街の乾いた空気にも涼しさは隠しようがない。ただでも49階のペントハウスは風が強く、吹き飛ばされそうになるというのに。  ガーデンテーブルに乗せていたチートスの大袋がずるりと滑り、床へ落ちそうになる。慌てて手を伸ばすが間に合わない。  幸い、袋はすんでのところで受け止められ、幾つかスナックがこぼれるだけに止まる。落ちた菓子を足で払い除けると、ペリーはオマールと向き合う椅子に腰を下ろした。 「菓子食った手で触ったら壊れるぞ。てかタッチパネル反応するのか?」  取り出したハンカチでオマールの手指をぬぐい、それからタブレットの画面も拭いてくれる。 「最近の宿題ってそういうので出されるんだな。ガチで俺の時代とは全然違う」  握り込めばオマールの手など簡単に包んでしまえそうな手のひらは、袋の中から出てきた時、大量のスナックを掴んでいる。ぼりぼりと一気に頬張る姿は本当にリスのようで、オマールは思わずくふくふと喉の奥で笑いを転がした。 「何だよ」 「だって。今、何個食べた?」 「さあ……15個位?」 「えー、絶対もっとだって。僕でもそれ位口に入るもん」 「お前は食い過ぎなんだよ」  へにゃっと情けないような笑みを浮かべるペリーの頬には、もう普段の血の気が戻っている。Tシャツに覆われた腹部へじっと目を凝らすオマールに、その表情は一層の優しさを帯びた。 「さっきはごめんな、怒鳴ったりして」 「いいよ。妊娠したら、イライラするんでしょう。タッカーが言ってたよ」 「あんな馬鹿の言うことなんか信じちゃ駄目だ」  よく遊んでくれる兄の部下の名前を出せば、眉間へうっすらと皺が寄る。 「妊娠したってことは、マーカスと番うの?」 「番う? ……ああ、どうだろうな」  彼は父と違い、嫌なときは嫌だと素直に表情へ出す。そちらの方がよっぽどいいと、オマールは思った。今も明らかに怒っている様子──尤も、感情を向ける対象は自らではないので、安心して、それどころか面白く聞いていられる。 「マーカスはまだ27で、しかもアルファだから、そりゃ全然焦る必要ないさ。でも俺はあと半年で30だぜ。子供を産むなら、いい加減考えないと」 「ペリー、来年は26歳じゃないの」 「オメガは一気に5歳ずつ年を取るんだよ」  チーズ味のチートスをかじりながら、ペリーのヘーゼルナッツを思わせる瞳は、ぼんやりと眼下の街を見やっている。 「この商売だって、いつまでもやってる訳にはいかないし……お前だって、兄貴の跡を継ぐなんて嫌だろ」 「僕、マーカスを手伝いたい」 「駄目だ、お前は絶対この道に入らせない。例えマーカスが何て言おうと」  はっきりと己の夢を否定されたのは始めてのことで、正直オマールは悲しさよりも驚きが勝ってしまった。これまで父も、パパと呼んでいた男も、それにマーカスですら、己が胸を張って未来を主張すれば褒めてくれた。少なくとも、どうでもいいという態度で適当に流し、浸かるのに丁度いいぬるま湯じみた微笑みをくれたものだった。 「あのなあ、オマール。お前も少しは分かってるだろうけど、マーカスと俺がやってるのは良いことじゃない」 「メキシコへ出張に行くのが?」  今度はペリーが微かに息を呑む番だった。口の中のものを、オマールが飲んでいたペプシで流し込むと、ゆっくり首を縦に振る。 「そうだ」    ペリーは週に1度か2度、必ず国境を越える旅に出た。あちらにある工場の視察だとかで、殆どは日帰り、今日のように数日家を空けることは稀だが、帰ってきた時は大抵疲れてぐったりしている。「時差ボケしてるんだ」とマーカスは言うが、そんな筈はない。メキシコとこちらの時差はたった2時間だ。ちゃんとタブレットで調べたから間違いなかった。 「メキシコは怖い場所だぞ。お前みたいな子犬が行ったら、骨すら残らない」 「そんなところ、ペリーも行ったら危ないよ。オメガなんだから」 「俺は良いんだ。強いし」  確かに、ベータやアルファの部下も指一本動かすだけで飛んで来させるようなペリーに敵う人間なんて、そうそういないような気がする。 「気をつけてね。それに、赤ちゃんを堕ろしたらだめだよ」  基本的に呑気、滅多なことでは驚かないペリーが、ぎょっと目を見開く姿なんて、初めて見たかもしれない。 「なんだって」 「父さんが言ってた。メキシコでは、神様に赤ちゃんをお返ししても許されるんだって。パパと結婚しなかったら、僕もそうするつもりだったって」    がちっと、少し大きめの前歯が缶の縁を噛む。しばらくの間考え込んでいたペリーは、やがて「お前を父親から引き取ったのは正解だったのかも知れないな」と呟いた。 「自分の子供に何て事言うんだ」 「7歳までは魂が清らかだから、いつ死んでも大丈夫だって父さんは言ってたけどね。僕はいやだな。赤ちゃんを見てみたい。マーカスとペリーの赤ちゃんなら、きっとすごく可愛いよ」 「そうだろうな。俺もそう思う」  ペリーの首にはめられたベルトは黒い革製で、彼の逞しい喉元をぎゅっときつく締め上げている。汗で蒸れるのか、彼は何かにつけ首へ触れる癖があった。今もスナックのパウダーで汚れた指がぼりぼりと革の周りを引っ掻き、はん、と鼻が鳴らされる。 「でもマーカスが番ってくれないから、本当に堕ろすことになるかも」 「そんなのいやだ!」  思わず張り上げた声へ連動するかのように、目尻へじわりと熱い物が膨れ上がる。 「マーカスがしないなら、僕が番う! 僕だってアルファだ、ちゃんとペリーと赤ちゃんを守るよ! だから絶対に返しちゃだめ、僕から赤ちゃんを取り上げないで!」  口を開けば開くほど涙も大粒となり、次第に声も出せなくなる。盛大にしゃくりあげ始めたオマールへ、ペリーは悲しげな目を向けた。 「ごめんよ、オマール。またお前に酷いことを言った」  差し伸べられた手を捩った身で振り払い、彼に一層傷ついた表情を浮かべさせたことへ、己の胸も痛む。どうしていいか分からずテーブルへ突っ伏し、わんわん声を張り上げていた時のことだった。不意にひょいと、背後から力強い腕に抱き上げられる。 「俺の子犬をいじめた奴はどこのどいつだ?」 「マーカス……」  夕暮れを知らせ始めた太陽に、眩しいほどの金髪がきらきらと輝いていた。目が覚めるような青い瞳にじっと見つめられ、どっと安堵が押し寄せる。オマールは兄の太い首にひしとしがみついた。押しつけられた眼鏡のフレームが歪む前に外してやりながら、マーカスは相棒へ横目を投げかけ、溜息をつく。 「何やってんだよ、ペリー」 「今回は完全に俺が悪い……オマール、今のは全部冗談なんだよ」 「こいつは素直だから何でも信じちまう。からかうのも程々にしとけ」  腕の中の体を軽く揺すってあやしながら、マーカスはプールサイドの周りをぐるりと歩く。子守歌代わりの鼻歌、ロッカバイ・ベイビー、泣くんじゃない、誰かがきっとお前を助けてくれる。マーカスの好きな女性歌手の曲。いつだって笑い出しそうな兄の声の抑揚は、たちどころにオマールの悪い興奮を鎮めてくれる 「ペリーに意地悪されたのか」 「ううん……父さんのはなしをしたんだ。元気にしてるかなって」 「ああ、お前の父さん。会いたいよな」 「うん……ううん、分からない」  ぎゅっと逞しい腕を包むポロシャツの袖口を握りしめ、オマールは濡れた頬を肩口に預けた。 「今度こそ、メキシコに行ってたらどうしよう」 「メキシコ? 何だそりゃ。大丈夫だよ」  マーカスは朗らかな声を立てて笑った。 「彼は今、病院にいる」  跳ね上げられた顔の中、まん丸くなったオマールの目を覗き込み、マーカスは言った。 「オメガはな、アルファと別れると、病気になるんだ。お前の父さんも、身体が苦しいのを紛らわせる為に、酒を沢山飲んで……まあ、色々重なった結果、今入院してる。元気になるまで、もう少し時間がかかると思う」 「マーカスが連れて行ったの」 「ああ。心配しなくても、俺の知り合いの施設だから、ゆっくり休めるさ」  柵の前で立ち止まり、あの辺りだよ、と指さされた場所は、眩しい西日のせいではっきりと見えない。目をしょぼつかせ、鼻を啜るオマールの頭を撫でながら、マーカスは火照った耳に優しく言葉を吹き込んでくれた。 「俺の親父は、結局病気が治らなくて、そのまま死んじまった。お前には、俺と同じ思いをして欲しくない」  優しいマーカス。彼に任せていたら全て大丈夫。 「マーカス。ペリーと別れたりしないでね。彼が病気になるなんて、僕いやだよ」 「俺もそれは嬉しくないな」 「早く番になったらいいのに」 「うーん。でもな、番にならなかったら、俺がいなくなっても、あいつは病気にならないんだ」 「マーカス、いなくなるの!?」  また瞳が潤み始めたおかげで、マーカスがどんな表情を浮かべていたかは分からない。恐らく、オマールが何かを失敗したときによく浮かべる、呆れたような苦笑いだったのではと思う。口調もそう言うときに彼が作る、殊更軽薄なものだったから。しょげるなよ子犬ちゃん、こんなこと、何でもないんだって。 「大丈夫だよ、どこにも行かない。俺と一緒にいれば、何も怖いことなんかないからな」

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