111 / 180
【第ニ章 溺れればよかった、その愛に】刺さる棘(15)
※
それは、あのときの記憶。
金色の髪を風に遊ばせて、街路を駆ける少年がいる。
翡翠色の大きな双眸をキラキラと輝かせるのは、見るものすべてが新鮮だからだ。
レティシアの城下町を一人駆けるあの少年は、九年前の自分だ。
そうだ、カインは言っていたではないか。
自分たちはかつて会ったことがあると。
それは事実だったのだとアルフォンスはようやく思い至る。
ただしそれは甘やかなものではなく、悪魔の記憶だった。
城下の街とはいえ、幼いアルフォンスが一人でうろつくことはまずない。
しかも今は戦が終わったばかりで城下は混乱している。
捕虜や奴隷が大勢つれてこられ、大通り沿いには略奪品を扱う屋台も並んでいた。
きっと今ごろ従者が自分を探しているだろう──そうは思ったが、城へ戻る気などない。
姉の誕生日はもうすぐだ。
贈り物はどうしても自分で選びたかったのだ。
「俺はおおきくなった軍人になって、姉うえをお支えするんだから」
寒冷地であるレティシアには、城下ですら凍てつく突風が吹き抜ける。
だが今は凍える空気すら清々しく感じられたのだ。
屋台を横目に、踊る足取りで通りを曲がったときのこと。
「たすけてください」
「大人しくしていろ」
「この奴隷は幾らだ」
「家へ帰らせてくれ」
弱々しい哀願と居丈高な命令の声が飛び交う様に、アルフォンスは硬直した。
高い建物に囲まれ、陽の光が届かない路地だ。
そこには無数の檻が並べられていた。
寒さなんて平気だったアルフォンスがカタカタと震え出す。
檻の中に入れられているのは猛獣ではない。
人間だったのだ。
その前では売り主と買い手が値段の交渉をしていた。
奴隷市である。
苦労を知らずに育った王子が直面するには重すぎる、それはレティシアの暗部であった。
ともだちにシェアしよう!