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【第ニ章 溺れればよかった、その愛に】刺さる棘(15)

     ※  それは、あのときの記憶。  金色の髪を風に遊ばせて、街路を駆ける少年がいる。  翡翠色の大きな双眸をキラキラと輝かせるのは、見るものすべてが新鮮だからだ。  レティシアの城下町を一人駆けるあの少年は、九年前の自分だ。  そうだ、カインは言っていたではないか。  自分たちはかつて会ったことがあると。  それは事実だったのだとアルフォンスはようやく思い至る。  ただしそれは甘やかなものではなく、悪魔の記憶だった。  城下の街とはいえ、幼いアルフォンスが一人でうろつくことはまずない。  しかも今は戦が終わったばかりで城下は混乱している。  捕虜や奴隷が大勢つれてこられ、大通り沿いには略奪品を扱う屋台も並んでいた。  きっと今ごろ従者が自分を探しているだろう──そうは思ったが、城へ戻る気などない。  姉の誕生日はもうすぐだ。  贈り物はどうしても自分で選びたかったのだ。 「俺はおおきくなった軍人になって、姉うえをお支えするんだから」  寒冷地であるレティシアには、城下ですら凍てつく突風が吹き抜ける。  だが今は凍える空気すら清々しく感じられたのだ。  屋台を横目に、踊る足取りで通りを曲がったときのこと。 「たすけてください」 「大人しくしていろ」 「この奴隷は幾らだ」 「家へ帰らせてくれ」  弱々しい哀願と居丈高な命令の声が飛び交う様に、アルフォンスは硬直した。  高い建物に囲まれ、陽の光が届かない路地だ。  そこには無数の檻が並べられていた。  寒さなんて平気だったアルフォンスがカタカタと震え出す。  檻の中に入れられているのは猛獣ではない。  人間だったのだ。  その前では売り主と買い手が値段の交渉をしていた。  奴隷市である。  苦労を知らずに育った王子が直面するには重すぎる、それはレティシアの暗部であった。

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