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【第三章 憎しみと剣戟と】花の向こうで眠れ(9)
ディオールが倒れた気配に、しかしカインは振り返らなかった。
櫂を持つ手を懸命に動かす。
だが、その腕もすぐに痺れてきた。
黒曜石の眼が苦痛に歪む。
肩が燃えるように熱い。
ディオールを狙った矢が背後から降り注ぎ、カインの肩を穿ったのだ。
威力は失われているし、おそらくそう深くは刺さっていない。
たまらずカインは矢の柄をつかんだ。
抜くな──戦場慣れしたアルフォンスならそう言うだろうと気付く直前、カインの手は矢を引き抜いていた。
身体に異物が刺さった状態が耐えられなかったのだ。
抜いた瞬間トクトクと溢れだす、赤。
慌てて上着を脱いで傷口に押し当てる。
黒い衣服なので血の色に染まることはない。
だが、布はすぐに重くなった。
風に乗って惰性で流れる小舟は、城壁の下に設けられた水路を潜り抜ける。
途端、襲いくる祭の賑わい。
家々に灯された洋灯の明かりがやけに眩しい。
いや、あれは夕陽だろうか。
物売りの声が二重に聞こえる。
──ああ、このまま死ぬのか?
無意識のうちに取り出していた花を、カインは胸に抱きしめていた。
アルフォンスに突っ返されたペンダントである。
金メッキが剥がれ、重たい灰色が顔を覗かせていた。
だが、そんなことには構わずカインはそれを強く握りしめる。
黄金の花は希望だ。
幼いころからずっと、この花は挫けそうになる心を守ってくれた。
今だってきっと。
持ち主の最後の願いを叶える強さをくれるに違いない。
──死ぬなら、あの場所で死にたい。
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