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第2話 はじめての閨房術(2/4)
「性的な欲求を覚えた時は? ひとりでなさいますか?」
「いや……したことは、まだない」
雫は居心地の悪さに身をよじり、正直に答えた。生まれた時から傍にいる七月はおろか、誰ともこんな話はしたことがない。
雫が思春期を迎え、学内での第二種性別検査の時期が近づくにつれ、一部の級友たちの間で猥談が流行した。その輪に上手く馴染めなかった雫は、さりげなく久遠とともに会話から抜け、やり過ごしていたが、やがてオメガ判定が出た雫の前では、誰もその手の話をしなくなった。傍に久遠がいてくれたから疎外を感じることはなかったが、一部のアルファの視線に異質な光を見るようになったのは、それからだ。
「久遠さまともですか」
いきなり出てきた久遠の名前に、一瞬、どきりとする。
「うん……結婚するまでは、しないでおこう、って約束だから」
「そうでございましたね」
確かめるように頷く七月が、なぜこんなことを訊くのか、雫は訝った。七月は「するのとしないのとでは、教え方が変わってきますので」と付け加えた。つまり、雫がどの程度のレベルの初学者なのかを探っているのだろう。今になって、他のアルファがするように、性的な話題にも少しは耳を傾けておけば良かった、と悔いる日がくるとは、思いもしなかった雫だった。そして、比較を強いられることが滅多にないことだけに、他の者の様子が気になった。
「きみ、は……あるのか? その、よ、欲求を覚えた、時、とか」
尋ねてしまってから、答えてくれるな、と雫は矛盾した想いを抱いた。
誰かとしたことや、ひとりで持て余すことが七月にもあるかなど、純粋な興味とは言い難い問いだ。後ろめたさが残る上、いちオメガがアルファに対して問うには、礼節を欠く言葉だった。しかし、質問を撤回する前に、七月はあっさり頷いた。
「ございます」
「ひ、ひとりで……するのか?」
「はい。誰も相手がいない時は、ひとりでいたしますね」
始終、誤魔化さず率直に答える七月に、雫は質問したことを心から悔いた。
「……ごめん、失言だった。続けてくれ」
上掛けの裾を握ると、自己嫌悪が押し寄せてくる。七月が真摯に対峙してくれているのに、肝心なところでいらないプライドが邪魔をして、愚かな言動を重ねた上に、答えひとつに動揺するなど、情けなかった。
「他に、訊きたいことがあれば、できる限り答えるから」
雫は無知ゆえの羞恥心を、一旦、脇に置こうと努めた。
が、七月は質問を重ねることなく、頷いた。
「だいたいわかりましたので、質問は終わります。これからお身体に触れますが、どうしても嫌だと感じた時は、止めていただいてかまいません。遠慮なく仰ってください」
「えっ……?」
言われて、マグを取り上げられる。七月が立ち上がるのに釣られて、雫も上を向いた。
「感じ方や好き嫌いは、途中で変わる場合もございます。今のあなたが性知識に疎くても、心配なさる必要はありません」
「え、でも……っ」
突然、実技から入る、と聞かされた雫は動揺した。
「な、七月っ」
思わず名前を呼んでしまう。
「その……っ、と、途中で悪いけど、その、トイレ、に……そう、トイレにいきたい……」
しばらく話すうちに、下腹がむずむずし出した。決まり悪く零す雫を、七月はすげなく一蹴する。
「必要ございません」
「でも……っ」
慌てる雫に、七月はさらりと大事なことを告げた。
「ココアに、少しいかがわしい気分になる薬を混ぜてございます」
「えっ」
雫には、オメガ用の発情促進剤が効かない。久遠との逢瀬の際に、散々試して判明した事実だ。催淫効果のあるものが存在するのなら、どうして今まで提案しなかったのだろう。訝る雫に、七月は種明かしをした。
「オメガ用の発情促進剤ではなく、一般市民用……いわゆるベータが使用することを想定した、市販の媚薬をごく少量、入れたのです。あなたは未覚醒なので、もしかするとその方が効き目があるかと。今宵は、まずご自身が、どうされると何を感じるかを、学んでいただきます」
「い、まから……? でも……っ」
寝静まった音瀬邸は、耳を澄ませば虫の鳴き声ばかりだ。いかがわしいことをするのに適した夜と言えたが、狼狽する雫の肩に七月がそっと触れると、心臓が震えた。
「あ……お、れ……っ」
先延ばしになどできないと、一定の速さで反復する鼓動が無視できない強さで主張をはじめる。次にどうされるか、密かに期待してしまっている自分がいたたまれなくなり、雫は俯いた。
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