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第2話 はじめての閨房術(3/4)

「ご理解いただきたいのですが、私がするのは真似事に過ぎません。あなたの唇も、うなじも、中も、奪うことは一切いたしません。雫さまが発情したら、私の仕事は終わります。オメガ用の抑制剤も、用意してございます。ですので」  七月が、見覚えのある、オメガ用の緊急発情抑制剤の舌下錠のシートを、懐から出し、ナイトテーブルのトレーの上に置く。 「おれが……発情したら、終わり……?」  誰も相手がいない時は、と条件を絞った以上、いる時は誰かとすることもあるのだろうか。七月の答えに煩悶し、その腕に抱かれた可能性のある誰とも知れぬ者の存在を、意識するだけで胸が苦しくなる。それとも、これも媚薬の効果だろうか。  成人した七月に遅い反抗期が訪れると、雫もその影響を、軽微ではあるが受けた。分類し難い淡い感情をかき消そうと煩悶したのを、ついこの間のことのように思い出す。それが嫉妬に類するものだとわかった時、絶対に知られたくないと密かに押し殺したことも。 「万が一の場合、私に関しましては、これを使います」 「それは……?」 「シールタイプのアルファ用の緊急発情抑制剤、スズネ改良型の甲種——我々が開発し、増産予定の抑制剤に、さらに改良を加えたものです。どのようなアルファに使用しても、抑制と鎮静の効果を併発することが確認されています。おそらく、これに勝る薬効を得られるものは、そうはないかと。他に、ご質問はありますか?」  七月が見せてくれたのは、斎賀准教授のラボで開発され、商品として量産体制に移行しようとしているアルファ専用の発情抑制剤の、次代の新薬だった。こんなものを持ち出すということは、七月もある程度の覚悟を決めているということだ。 「いや……よくわかったよ、七月」  オメガだけに、一方的に負担を強いない七月のやり方なら信用できる。  雫が頷くと、七月の手がそっと肩に触れた。 「では、失礼いたします。雫さま」 「ぁ……」  やれ貞操観念がないだの、出自が知れるだの、これみよがしに悪口を言われ罵られる七月の姿に、ずいぶん歯がゆい思いをしたものだ。あの頃の七月は明らかに少しおかしくて、雫といてもどこか遠い目をしていた。何かを必死に押し隠す面差しは、噂が音瀬家の外にまで広がりはじめたある日、唐突に泰衡に呼びつけられたかと思うと、すぐに収束した。  おそらくふたりの間に何かの約束や、特別なやり取りがあったのだ。ほどなく日常に戻った七月だが、雫以外の人間に特別興味を示す素振りを見せたのは、記憶を遡る限りその時期だけだった。だから雫は、七月の変化に過敏に反応する内面を、強いて握り潰すことで平静を保った。七月はもとより、久遠にさえ打ち明けられない愚かな感傷だと判断し、その時、確かに捨てたつもりだった。 (どう、しよう……)  ぎゅっと唇を噛むと、熱を測るように、額に七月の掌が触れる。 (おれの、ために……七月が……。久遠の、ために、必要、だから……)  七月への、泥のような粘つく青い複雑な感情は、きっと異父兄を取られまいとする雫の駄々だ。それも、時が過ぎるに従い小さくなってゆき、今は久遠との日々の方が、輝きを増している。 「雫さま」 「ん……っ?」  顔を覗き込まれ、目が合う。視線が絡むと官能的な甘さが立ち上がり、七月の漆黒の眸がふと緩んだ。 「心地良いと感じたら、声にして教えてください」 「声、に……?」 「はい。「好き」「いい」などと仰っていただければ」 「わ、かった……っ」  これは授業で、久遠とするような本物の触れ合いとは違う。そう言い聞かせることで、雫は必死に自制した。こんな小さなことで意味不明の拒絶を重ね、いたずらに七月を困らせたくない。あとで泰衡に首尾を尋ねられた時、七月が困らないように、ちゃんとしておきたかった。 「っ……ふ、は……」  発情期さえくれば、こんな過剰なスキンシップを重ねなくて済む。久遠を待たせることもなく、西園寺、音瀬、両家の顔も立ち、泰衡も安心させられる。何より七月が楽になる。だからできる限り速やかに発情するのが、雫に課せられた唯一の使命なのだ。

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