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第7話 対等な(1/2)
「そうでしたか。そんなことが……」
帰宅後、噂の件を七月に報告した雫だったが、予想より薄い反応が返ってきたことから、七月も独自のルートで既に承知済みだったのかもしれないと思った。七つ年上の七月は常に抑制的なため、一番傍にいる時間が長い雫でも、その考えを正確に読むのが難しい。特に、雫が困りごとを打ち明ける時は、心配させまいとの配慮からか、輪をかけて冷静になるきらいがあった。
「大叔父さまの指示どおり、婚前診断書と閨房術のことは話していないけれど……こんな噂が出回るんだ。西園寺側……久遠のお父上が、それだけおれの状態を問題視しているのだろう。再検査を待つ間、向こうには何も伝えていないんだろ? それでも外に妾を置こうとするぐらいだ。何らかの形で、既に結果をご存知なのかも」
「そうですね……」
学内で久遠に抱き寄せられ、内心、少し浮かれてしまった自分を雫は恥じた。久遠を心配させたくなくて、他人の目のあるところでは努めて冷静を装ったが、明日からしばらくは不安定な日々が続くだろう。久遠というとびきり特別なアルファと、ともに歩く道を決めた雫に、落ち込んでいる暇はない。つまらない見栄やプライドなど早々に打ち捨て、アルファの思考傾向と行動原理を七月から倣い、より良い手段と対策を見出すのが先決だった。独りで対処できなくなるほど事態を悪化させる前に、周囲を傷つけない最善手を選び取らなくてはならない。
「噂の件は旦那さまに報告いたしますが、閨房術については、そのままとの指示が出るでしょう。無事に発情期を迎えれば、すべて解決しますから」
「うん……。隠しごとが増えるな」
久遠の前では強がってみせたが、七月の前ではベッドの上で膝を抱えてしまう雫だった。いつか、オメガという第二種性別の分類以外の、雫の個人的な側面を見てくれる日がきっとくる、と西園寺家現当主の恒彦に期待し続けて十四年余り。信じ続けるには、さすがに気力が要る。状況を抱え込まず共有することで、雫は自分を鼓舞しようとしたが、味方となってくれる七月の表情を盗み見ると、目元が少し窶れ、疲れた顔色をしていた。
「きみも、おれにかまってばかりでは、睡眠時間を削ることになるだろ。忙しい時は無理をしなくても、毎日でなくとも、おれはかまわないよ」
現在、七月は音瀬商事の秘書課に席がある。泰衡の下で働く建前のもと、雫の世話をし、斎賀准教授と立ち上げた新規事業の金策にも奔走していた。加えて雫に夜の手ほどきもせねばならない。忙しさは周囲の比ではないだろう。
だが、雫が気を使って言うと、七月は軽やかに笑った。
「スタートアップに関しましては、旦那さまに許可をいただけただけでも感謝しなければ。それに、閨房術には継続こそが良いとされています」
「うん……」
十四歳で学んだ第二種性別分化論の教本には、オメガの項目はごくわずかしかなかった。中でも男性オメガについて記載されたくだりは、数行にとどまる。図書館や家の書庫を漁っても望む情報は出てこず、七月と手分けして海外で発表された論文の幾つかに当たった結果、少しだけわかったことがあった。
約六十名の男性オメガが、自分がオメガあることを受け入れ、発情期を経験し、番いを得るまでの過程を三十年に渡り追跡調査した、ある論文が存在した。それによると、普段から何らかの方法で性衝動を発散させている者ほど、発情期の発現時期が早い傾向にあると書かれていた。性的な事柄に嫌悪感を抱き、自己否定や過剰な自律、痩せ我慢を課すオメガほど、発情期が遅れたり、不安定化しやすい傾向にあるとあったのだ。
オメガ、特に男性オメガに同情的な書かれ方をしているため、この論説をそのまま受け入れるには、論文に色が付きすぎている、というのが雫と七月の共通の見解だったが、指針が何もないよりは遥かにマシだった。つまり今、すべきは、意識的無意識的に性的な感覚を拒絶しがちな癖のある雫に、自身のセクシャリティを受け入れる方向へ舵を切らせることだ。
厳しく自己を律し過ぎたり、嫌悪感を抱くより、変化を自然なものとして受け入れる方が良い、と雫も頭でわかってはいる。だが、決心しても、羞恥心や不安感を一朝一夕に拭い去るのは難しい。だから、七月の手を借りて、まずは触れられることに抵抗を感じないところまで馴らしてゆこう、というのが現在の趣旨だった。
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