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第8話 名前(*)(4/4)

「ひとまず、今宵はここまでに。お疲れでしょう。着替えを取ってまいります。少し外しますが、お眠りになっていてかまいません」  ベッドを降りて身を翻そうとした七月のシャツを、雫は思わず掴んだ。 「雫さま……?」 「ぁ……」  戸惑う声で名前を呼ばれ、はっと気づく。何か言わないといけないはずなのに、言葉が上手く出てこない。短い沈黙に気まずいまま俯くと、そっと伸びてきた七月の指が雫の汗に濡れ、額に貼りついた朽葉色の前髪をそっと退けた。 「どうされましたか……?」  七月の声はいつもどおり、優しいものだった。 「おれ……変、じゃ……なかった、か……?」 「変、ですか……?」  戸惑う七月に情けない顔を晒すのが嫌で、ぎゅっと目を瞑る。 「だって、こんな、み、乱れて……っ、格好、悪い……、だろ……?」  言ってしまってから後悔する。否定されても肯定されても、白々しさが残る問いだ。七月だって、こんなところで取り繕う真似をしたくないだろう。雫が前言を撤回しようとした時、どんな表情をしているかわからない七月が、低く囁くような声音でぽつりと漏らした。 「雫さまは、きっと、立派なオメガになられます」 「っ……」 「この七月が保証いたします」  七月の指先が雫の髪を指先に絡めて遊ぶ。小さい頃、伸びた髪を切らなければならなくなると、よくこうされたことを雫は思い出した。久遠と違い、髪質の素直な雫の髪は、七月の指に絡みつくことなく、簡単にほどけてしまう。 「お嫌でしたら……仰っていただいて、七月はかまいませんよ」  その言葉に秘められた決意の深さを、雫は知っている。泰衡に折檻を受けたあの夜のように、七月は雫を最後まで守ろうとするのだ。  それだけは、させてはいけないし、させたくなかった。 「……嫌じゃ、ない。少し……不安になっただけだ。大丈夫だから」 「そうですか」 「おれは、七月のやり方が、いい」  はっきり告げることで、肯定を表明する。七月には絶対に、自分勝手に勘違いして、無茶をして泰衡と衝突させたくなかった。 「いってくれ。もう、安心したから」 「……わかりました。では、しばし失礼します」  七月の手に甘えるように頭をすり付けたあと、離れてゆくその手を決して追わないように雫は自制する。  寝室の外へ消えた七月を見送ると、初めて達した快楽の頂きに疲労感を覚えた雫は、ため息とともに短い休息に身を横たえた。 (ありがとう、と、言えばよかった……)  七月の献身に見合う結果を残すために、雫は膝を抱えて目を閉じる。 (おれが、発情する、まで……)  まろやかな闇の中、雫はカウントダウンがはじまっていることを、遅ればせながら自覚しはじめていた——。

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