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第9話 秘密(*)(1/2)

 雫の誕生日は、母親の志寿と、涼風姓を持つ七月の父親の命日でもある。 「いってまいります、雫さま」 「うん、気をつけて。ゆっくりしてきてくれ」  その朝が巡ってくるたびに、七月はただの青年に戻り、姿を消す。墓参だと噂する使用人らの声も、どこかよそよそしく沈んでいた。  誕生日が忌日と重なることに、雫は成長とともに慣れたつもりだったが、最初はわけがわからずに、七月がいないとべそをかいては周囲を困らせた。世界の中心だった七月に触れてはならない心の聖域があることを、子どもだった雫はよく理解せず、駄々を捏ねては、普段喋ることのない末端の使用人らにまで、片っ端から七月の居所を訊いて回ったものだった。  大人になった今は、ある種の贖罪の気持ちとともに、できるだけ率先して理解と配慮を示すようにしている。  日没の気配はまだなく、見上げる蒼穹には入道雲が聳えている。休日に七月が不在だと予定も空きがちで、翌朝、食堂で落ち合う約束をしていても、少し落ち着かなかった。  さらに今年は、七月の不在を意識する理由が、ひとつ増えた。  見送りに出た雫に、周囲をはばかり耳打ちした七月の声が、鼓膜の奥に残っている。 『ひとりでするのも、訓練のうちです。雫さま』 『え……?』  雫以外には届かない声で、顔を上げた時にはもう、七月は背を向け歩き出していた。追うわけにもゆかず、どういう意図で放った言葉なのか、確かめることもできなかった。遠ざかる七月の背中を見た雫は、胸がきゅっと詰まるのを感じた。同時に、身体の奥に疼きが芽生えたことに驚き、授業のある夜を意識した。 (するなら、寝室へ……)  日曜日の昼間だ。時々、音瀬邸で開かれる催事がない日は、使用人も半分ほどが休みになる。雫の部屋がある二階の南東の端を訪れる者は、まずいなかった。  雫は静寂に包まれた寝室のベッドに潜り込み、薄手のカーディガンから腕を抜くと、少し迷った末に、七月に言われたとおりにすると覚悟を決め、下肢に手を伸ばした。頭から上掛けを羽織り、枕とクッションに顔を預け、薄闇の中で深呼吸を繰り返すうちに、ほとんど毎夜、雫に侍っている七月の匂いが、かすかに上掛けに移っている気がした。  きつく目を閉じ、集中する。 (「三つ」)  意識すると、七月の声が脳裏を過ぎった。  その声へ集中すると、昨夜の課題が蘇る。 (「久遠さまのいいところを、三つ」)  七月は最初から、神経質なぐらい雫の欲望を久遠に向けたがった。ままならない快楽に溺れかけた雫が白旗を上げる頃には、必ず久遠のことを思い出させられる。  されて嬉しかったこと。  心地よかったこと。  素敵だと思うところ。  好きなところ。  心踊る言葉。  惹かれる仕草。  夜がくるたびに問いも答えも変化したが、総じて久遠を想う予行練習以外の何でもない。七月の手に乱れきり、余裕のない時に強制されるせいで、いつしか「久遠=快楽」の図式を、雫は身体で覚えてしまっていた。七月にしてみれば、もうひと押しすることで、雫の内面に巣食う苦手意識を払拭したい狙いがあるのだろう。快楽に素直に溺れることはできるようになってきたが、まだ発情期はきていない。即ち、今のままでは駄目だと、七月は考えているということだ。 (踏み出さなければ……七月に言われたとおり、久遠のためにも……)  いつまでも甘えてばかりいられない。久遠との初夜に失敗する想像をしただけで、心臓が冷える。七月が執拗ともいえる粘り強さで久遠の存在を刷り込もうとするのは、雫が発情に至るという大きな目的のためだ。恥ずかしいところも、あさましいところも、隠さず七月に見せてきたが、未だに発情の兆候が現れないことに、雫も焦れていた。然るべき時に久遠の前でちゃんとしたい気持ちがある以上、練習を増やす選択肢は正しいし、賛成だった。 (久遠……の、好きな、ところ……) 「ん」  下肢が甘く震えるのを放っておけず、雫は思い切ってスラックスの前を解いた。心なしか窮屈になった雄芯を包む下着の上から、七月の触れ方に倣い、そっと圧をかける。

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