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第9話 秘密(*)(2/2)

「ぁ……」 (こんな……はしたな、い……っ)  先端を湿らせ、触れられるのを待ち望んでいた。一旦首をもたげると、もう刺激を与えねばおさまらない様子だった。  こんな状態を、幾晩にも渡り七月に晒していたことが、急に心許なくなる。雫は強く瞼を閉じると、恥じらいを隅に追いやり、七月の声を思い出すことに集中した。 (久遠……久遠が、ここにいれば……)  無意識の言語化より、何を選ぶかの方が難しかった。久遠の面影も笑い声も話し方も、その腕の中がどれほど安心するかも、既知のものだ。好きな色、食べ物、ちょっとした癖や、隠しごと、考えごとをする時の雰囲気も、目が合った途端に甘く緩む唇が次に何を紡ぎ出すかを予測することだって、不可能じゃないほど、雫は久遠で満たされている。 「ぁ……ぁ……く、ぉ……っ」  倒錯的な行為だとは気づかずに、雫は下着の上から、芯を通しつつある中心を優しく押し、久遠を脳裏に思い描いた。初期に使われていた市販の媚薬は、すぐに使用されなくなった。そんなものがなくとも、雫が反応するようになったからだ。上げた声が枕やクッションに吸い込まれる。いつしか汗だくになり、あとひと押しで至れるはずの高みへ、もぞりと腰を動かし、向かおうとした途端、静かな声が蘇った。 (「よくできましたね、雫さま……」) 「っぁ——……っ!」  脳裏を過ぎった声に驚き、雫は思わず閉じていた目を見開いた。四肢がびくつき、視界が白く塗り潰される。 「ぁ……、お、れ……っ?」  下着にじわりと広がる白濁を感じた雫が、到達したことをぼんやり自覚する。だが、薄闇色のベッドの上で横向きに身体を丸め、穏やかに着地しようと試みながら、雫は違和感に気づいた。 (今、七月……の……声?)  それが何を意味するかを考える前に、ざわりと鳥肌が立った。  居ても立ってもいられずに、震えながらシーツを握りしめる。 (ちが、う……っ)  上り詰めた先にあった違和感。充足の裏に残る虚しさと寂しさは、いつもと同じはずだ。不随意に緊張し、不安を制御しようと、指を髪に差し込み梳いてみる。でも、七月がするのとは、まるで違っていた。久遠を呼ぶ前に、七月の不在を自覚し、想像したのだろうか。そんなはずはない、と心の中で激しく否定する。 (久遠……と、言いたかった……)  単にいないから気になっただけだ。久遠のことを考えていたら、いきなり七月の声が降ってきた。不可抗力の事故だと言い聞かせながら、習慣に牙を剥かれた気がして、心臓が締めつけられる。身体を丸め、雫は自分を抱きしめた。全身ががたがたと震えるのは、寒気のせいだと言い聞かせ、熱を知った掌が汚れる前に、シーツで何度も拭うが、まるできれいになった気がしない。 「ちがう……っ」  心臓が暴れて胸が詰まる。  明日には、七月に報告しなければならない。癇癪持ちの泰衡から七月を守るために、今まで例外なく、どんな小さなことも隠し立てせずに話してきた。それに倣い、今回もそうするつもりだった。  だが。 「違う……っ」 (おれは、どうして……っ)  後ろめたさが、粘つく泥のように雫を苛む。せめて感覚を握りつぶそうと、両手に力を込めた雫は、ひとつ、矛盾した決断を自分に強いるしかなかった。  あってはならないことは、初めから「起きなかった」。  それこそが正しいと思い込み、雫はどうにか自分の輪郭を維持し、記憶の上書きを試みる。  幼稚舎で級友を突き飛ばして以来、嘘も隠しごとも覚えている限り、七月に対してするのは初めてだ。でも、やり遂げるほかに道がなかった。心に満ちた透明な水が一滴、ぱたりと溢れ、零れたとしても、雫自身が拭わなければ、立ちいかない。  ——こんなこと、誰にも言えない。  七月にも、久遠にも。  誰にも悟られてはならない。  雫は逃げるように目を瞑ると、拳をくしゃくしゃに潰し、呻いた。 (言えない)  秘密が、できた。

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