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第10話 西園寺家(2/3)

 とてもそんな自分を開示できない。久遠にしている隠しごとが、次第に重くなり、現状、ひとりではとても持ち上げられなくなりつつあった。 「きみがどう変わろうと、約束は変わらないけどね。どんなにきみが欲しくても、初夜までは我慢する」 「久遠……」  雫はどんな顔をしたらいいかわからず、俯いた。夜毎、淫らになってゆく雫を目にしたら、久遠はどんな反応をするだろう。欲深い存在だと軽蔑されはしないか。考えると、あることすら定かでない自信さえもが、潮のように引いてゆく。 「おれのことを、そんな風に想ってくれ、嬉しい。でも……」  でも、久遠に隠している秘密があまりにも大きくなってしまった。雫が継ぐ言葉を探していると、久遠がその肩を柔らかく引き寄せた。気づいた時には掠めるように唇を重ねられ、触れるだけのキスを久しぶりにされた。久遠は唇の表面を奪いはしても、中までは入ってこない。だから雫は想像した。粘膜を感じる時、雫と久遠は互いにどうなってしまうのだろうか、と。  久遠からの接触は、甘やかな予感と疚しさが同居する。だが、ふと初めて、久遠にも、たくさん我慢を強いているのだろうか、という思いが雫の脳裏に浮かんだ。先日、雫がひとりでしたような行為を、七月もすることがあるのだと、閨房術の初日に教わった。ああしたことを雫がしたように、久遠もする夜があるのかもしれない。雫の手を握る大きな掌で、持て余した熱を孤独に裂くように、誰かを——雫を、想うのだろうか。  可能性を考えれば、ゼロとは言い切れなかった。事実、いつもより抑制的な久遠の匂いが、今日は少し強いぐらいだ。アロマに混じり少量ではあるが、アルファであることを誇示するような特有の重い香りが雫の鼻腔を満たす。 (久遠、も……している?)  意識した途端、雫は心臓に鋭い痛みを覚えた。 (おれは……っ)  その時、雫の髪を梳いていた久遠の指先が、うなじに滑り下りた。ここに歯型を刻みたい、という久遠の意図が今までよりもくっきり色めいて感じられ、自覚した途端に、快楽に酷似した戦慄が全身を駆け巡った。 (おれは、あさましいオメガだ……っ)  欲深い、性根のいやらしい、アルファを欲する存在。初夜へ向けてともっともらしい理由をつけて、夜毎、七月に愛撫をねだっている。真似事だからと誤魔化しながら快楽に身を委ねる言い訳をし、久遠の名前を呼び、空想し、その存在を執拗に何度も汚している。  いったい、この行為のどこが、正しいのだろうか。 「はぁ……っ、久遠……っ、ごめ、っ……」 「雫、どうした……?」  ソファの上で雫は自分を抱きしめるように身体を丸めた。目を閉じると頭蓋の中がズキズキと痛む。心臓が飛び出しそうに肋を叩き、船酔いのような目眩に襲われた雫は、喘ぐように深呼吸する。 「おれ……っ」  顔が火照り、耳鳴りがはじまる。考えなかったわけではない。だが、意識するのが怖かった。大切でかけがえのない存在に内緒だからと誤魔化し、他の誰かと肌を触れ合わせることの意味を。これは練習で、本物のふれあいではないとの理由から、家族だから問題ないと決めつけていたが、問いかけられた時、一切疑念を挟まずに答えられるだろうか。  認識を新たにした途端、久遠の隣りにいるのが猛烈に恥ずかしくなる。おさまらない動悸をやり過ごそうと深呼吸した雫の額に、久遠の手が伸びてきて触られる。 「んっ……!」  嫌じゃないのに、拒絶が声に混じってしまう。  だが、雫の異変を察知した久遠は、素早く動いた。 「七月を呼ぼう。少し待ってて、雫」  席を立った久遠は、朽葉色のキャビネットの一番上の抽斗から錠剤を取り出し、ラムネのように二、三錠まとめて服用すると、すぐに隣りの待機室から七月を連れて戻ってきた。ものの数十秒で、発情抑制剤を追加した久遠の放つ気配は、最小まで抑えられた。 「雫さま」  雫の座るソファの傍らに膝をついた七月が、久遠がしたのと同じように額に触れる。 「っ……七月、おれ……っ」  縋るものが欲しくて、七月のスーツの袖を掴んだ。

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