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第12話 秘め事(3/3)

 閨房術や婚前診断書について話せなくても、それ以外は、ちゃんとできるはずだ。久遠に少し何か言われるだけで、心が騒ぎ、あるはずのない自信さえ情けなく崩れてゆく。だからこそ、雫をまっすぐ望んでくれる久遠に、でき得る限り応えたいと思う。  目を瞠る雫に、少し照れくさそうな表情になった久遠は、七月を振り返った。 「ちょうどいい、七月。証人になってくれるか」 「はい。久遠さま」  七月が頷くと、久遠はきつく握られている雫の拳に、上から手を添えた。 「良いことも悪いことも、僕らは分かち合い乗り越えてゆく。でも、子どものことなんてずっと先のことだし、もしできなければ養子を迎えたっていい。父の意向に沿わないとしても、父は僕らの人生の選択の責任を取ってくれるわけじゃない。それは僕らの問題だ。それに子孫を残す義務なら、きみにもあるだろ? なら、ふたりで子どもをつくる方が、ずっと効率的で、理にかなっているじゃないか」  強い言葉に雫が唇を震わすと、まるで伝われ、と言わんばかりに久遠の重ねられた手に力が込められる。 「確かに話し合いは必要だ。でも運命の相手に対して、浮気してもいいだなんて嘘をつくのは……すまないが反則だし、僕への侮辱だ」 「運、命……?」 「そうだよ。僕らのことだ」  久遠が強い口調で断じる。上掛けを握るあまり白くなった雫の指関節を、久遠は愛しげに撫でる。 「こんなに震えて……嘘をついて。僕を騙そうとするなんて、きみは悪い子だ。雫のことは好きだけれど、こんな風には、やせ我慢して欲しくない。僕に、もっと度量があればと思うと、歯がゆいよ。すまない、雫……」 「きみは悪くない……っ、久遠。きみは……っ」  身を乗り出した雫へ、久遠は確信に満ちた目で頷く。 「うん。同意見だよ。そしてきみも、悪くない。雫。悪いのは、こんな複雑な状況をつくり出している、どこかの誰かだ。僕らじゃない」  愛おしそうに指をほぐし、絡ませられる。 「さしずめ……僕らは似たような不安を抱えているんだろう。でも、きみを想う気持ちに、嘘はないよ」  久遠の言葉が沁みてゆく。  雫は思わず泣きそうになったが、どうにか堪えた。 「おれも……おれもだよ、久遠。きみを想う気持ちに、嘘はない」 「不安なんだろ。ここのところ、色々あったもんな。でも、僕はきみ以外と生きる選択なんてできないよ。きみにもそうであって欲しいけれど、強制できないのがもどかしい」  久遠の爪の白い指が雫の手を撫で、あやす。その行為に、雫は唐突に理解してしまう。久遠も戦っているのだ。オメガというだけで生じる数多の理不尽と。アルファでありながら雫の盾となり、時には鉾となってくれている。 「雫。黙っていたけれど……実は先日、僕の元に婚前診断書の結果がきたんだ。父へのリークがあったみたいで。それがまた最悪な内容なんだけれど……熱が下がったら、ちゃんと相談しよう。ま、結果がオールFだろうと、僕は気にしないけれど」  久遠に絡められた指を愛しげに交差されると、甘いものが満ちるのが、不思議だった。 「そういうわけにはいかないよ……」  声が滲むのを我慢する雫に、久遠は笑いかける。 「だとしても、僕はきみを諦めたりしないよ。約束してくれ、雫。今後、決して哀しい決断をひとりでしないと。僕は……、僕がひとりでしてきたことを知ったら……きっと嫌われるとわかっていても、きみのことだけは、諦められない」  久遠の苦い声は珍しく、驚いた雫が顔を覗き込もうとすると、過去を振り切るように久遠はからっと笑った。 「風邪で弱気になったんだろ。早く治して、僕のためにも元気になってくれ」 「久遠……?」 「……少しだけ、ハグしても?」  我が儘を言うことに臆病になる久遠に、雫は「うん」と頷いた。互いに握り合った手を引き寄せ合い、そっと抱き合う。久遠の長い腕に抱かれた雫は、背中に回された手が、優しく、とんとん、と慰撫するのに任せた。温もりを分け合うだけで、自滅寸前だった弱い心が柔らかくなり、蘇る。優しさが沁みてくる久遠の体温から名残惜しげに身体を離すと、互いに照れ笑いをした。  オメガという劣等感を抱かずにいられなかった雫に、久遠は生きる理由をくれる。頑なだった心をほぐされた雫は、あらためて久遠という人間に再会したような気がしていた。 「可愛い僕の運命の人。またくるよ。調子の悪い時は、ちゃんと休むんだよ?」  長居して熱が上がったら困ると言い、久遠は花のような笑みを残し、そそくさと帰っていった。

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