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第14話 うなじとくちづけと(*)(1/4)
シーツの上へ雫を組み敷く、七月の姿を仰ぐ。
伸縮性のある黒いレースの首輪で装飾された七月喉元を、艶かしく感じるのは異父弟として間違った感性だと、雫は否定する。半ば習慣化されたはずの七月との「授業」は、慣れるどころか肋の内側の臓器が、緊張と不安をかき立てる。
「なぜ、だか……きみに、っされると……っ」
鼓動の音を聞かれまいと祈りながら漏らす雫の言葉に、七月は慇懃に答えるのみだ。
「高揚、いたしますか……?」
「ど、して……」
なぜ、わかるのだろう。
音を聞かれまいと上掛けを握る手に冷や汗が滲むが、七月の返答は形骸化した感想の残滓だった。
「触れるとオメガは、皆そうなります。ひとつの例外もございません」
「っ」
攻撃的だ、と感じてしまうのは、心が傷を受けるせいだ。認めまいとして、雫は唇を引き結び、気持ちを強いて入れ替える。
(これは、久遠……久遠、だ……)
閨房術の最中に、七月は雫と視線を交わさない。だから雫も、揺れる心を努めて七月から隠そうとする。
久遠が好きだから、七月との「練習」に耐えられなくなった。最初は親密に触れられることで答えが出ると楽観していた。七月にベッドの上での振る舞いを「教育」されながら、際限なく肌の上で更新される快楽を、持て余すようになったのは、予想外だった。
(久遠のものに、なりたい……)
先ほど告白してくれた久遠に、何かを返せる誰かになりたい。オメガとして一人前になりさえすれば、庇われるばかりでなく、久遠に貢献できるし、七月にも、雫という枷からの解放を約束できる。
「ぁ、ん……ぁ、ぁっ……それ、ぃ……っぁ、んっ」
与えられる快感に素直に反応するのは、今も少し難しい。いくら七月が完全に久遠の「影」であろうと努めても、雫の心の芯は、七月を識別する。だが、心地よい時の声の上げ方、甘え方、焦れ方、泣き出す寸前まで追い詰められた時、矜持を折り、差し出す悔しさも意地も、すべて「久遠」に殉ずる感情だ。好きだと告白するのも、乱れた呼吸を晒し、欲望を訴えるのも、久遠に捧げられるべき感情だ。
「ぁっ、好き……っ、それ、もっ……と、し、して欲し……っ」
今宵を過ぎれば、七月には、こうして触れられる機会はなくなる。抱きがちだった幼げな独占欲も、そのうちわからなくなるだろう。七月にされて嫌なことなどないと、泰衡に打ち明けた日と同じ気持ちで、七月が目指す方向を目指すことが、雫に課せられた、たったひとつの責務だ。初夜に発情できなかったら、という不安は常に頭の片隅にあるが、きっといつか、七月が太鼓判を押してくれる。
『すべてを話すばかりが、愛情ではないと――』
雫を想い、最後まで反対してくれた七月の言葉が脳裏を過ぎる。アルファの多くが忌避する、オメガの弱さ、愚かさを、雫が第二種性別検査でオメガ判定を受ける前から今に至るまで、変わらぬ愛情で支え続けてくれたのは、七月であり、久遠だった。この行為を「罪」と集約せざるを得ない苦しみを背負っても、まっすぐ久遠に嫁ぐのが、彼らに対する誠意だと雫は思っている。
「ぁ、っ久遠……っ、く、ぉ……っ」
名前を呼べば、愛撫が深くなる。きっと久遠が喜ぶからと、言われるままにしてきた。だが、今宵限り、唇を通しても、胸の内でも、禁じられてきた「七月」の呼び名を決して唱えまい、と雫は決める。
(久遠――……っ)
視界が涙色に霞み、呼吸が忙しなくなり、七月の表情が判別できる距離まで接近する。七月が身を賭して叩き込み、知らしめてくれる久遠への感情に溺れ、雫はただ眩しさの中、少しでも至ろうとする。
優等生だと思われたくて、息を吸い込み、つと頤を上げる。
その時——。
「っ……?」
ふと、下唇に温かな何かが触れた気がした。
「な――ぁぅ……っ!」
その名を舌先に乗せかけた時、七月に叱るように雫の胸の尖りをつねられた。乱暴にされ、甘い感覚にぞくぞくする。次の刺激を求めて身体が昂り、雫は一瞬、混乱した。
たった刹那の、わからないほどの接触。
勘違い、かもしれない。淡雪のようなそれを記憶しようと、唇をほどきかけた雫が、意識とは裏腹に唱えかけ、その名を、飲み込むことなく舌先が紡ぐ。
「な、——……っ」
雛鳥は最初に目にしたものに強い執着を見せる。人間にもその機能の名残りがあるのかもしれない。整合性の取れない感情が発露を求めて暴れはじめるのを、押さえ込もうとした雫は、眉を寄せた。
「ぁ……ぁ……っ」
甘い声が出て、少しおかしいことに気づく。挿入に準ずる行為はただの一度もしていない。重ねて、踏んではならない線を、七月が踏むわけがないと確信する裏で、分類不能な気持ちに、雫は激しく揺れた。
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