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第16話 七月(5/5)
「あなたを……あなたを、私は……っ」
犯した罪を悔いてか、抱いた愛を告げてか、七月は歯を食いしばり、雫の肩に顔を埋め、啜り泣いた。
「おれの傍に、いてくれ……七月」
「は、い……っ」
これ以上の接触は許されない。七月の気持ちを認め、雫が揺らがずにいることで、信頼の楔を打ち込み、許容の枷を嵌める。二度と七月は、雫を欺くことはしないだろう。過去を悔いる七月を、贖罪という名の鎖に繋いだ。贖う意志を利用し、七月を縛った雫は、やがて落ち着く頃を見計らい、言った。
「おれは、久遠が好きだ。だから西園寺家に嫁ぐ」
熱が気化した唇を指先でなぞった七月は、抱擁に甘んじていた雫をぎこちなく解放すると、宝物でも抱くように、その手をゆっくり握りしめた。
温もりが消えゆく瞬間、心音が速くなる。
「……あなたが生まれたことは、私の運命なのでしょう」
西園寺家が七月の同道を不要だと告げてきたことは、雫も承知していた。だからこれは、久遠と雫の婚姻が成立するまでの、時限式の契約だ。
「先日のことも、今夜のことも、久遠さまにお話しいただいてかまいません。もし、お怒りになられても、甘んじて受け入れます。我々の間には、約束も忠義もありませんが、アルファとしての矜持と意地は存在するのです。互いにそれを理解するからこそ、あなたが必要だった。……さ、もう遅い。そろそろお眠りにならないと」
余韻に少しぼうっとした七月は、雫の腕にそっと触れる。
「明日には復帰いたします。久遠さまに、お伝えしなければならないことも、ございますし」
「うん……」
心を切り替えた様子の七月に、淡々とした口調で退出を促される。雫が見上げると、七月は憑き物が落ちたような顔をしていた。その眼差しに、初めて会った日の記憶などないのに、懐かしさを錯覚しそうになる。
振り仰ぐと、七月は安堵を与えるためか、雫へ微笑み、頷いた。
「発情期を迎えるまでは、雫さまに薬は不要です。私がどうにかいたします。濃度を上げることも、まだ可能です」
「それは」
「私が、そうしたいのです。お許しください」
背中に触れられ、反動で上掛けが床に落ちるが、七月も雫も、もう頓着しようとはしなかった。
「長い間、ご心配をおかけしました。七月は、もう、大丈夫です」
今度こそ、明らかに退くことを求められる。部屋の外へ下がると、雫は扉が閉じるのを確認すべく振り返った。七月は予期したかの如く、そんな雫へと再び頷く。
「おやすみなさいませ、雫さま」
「おやすみ……七月」
いつもの挨拶の応酬のあと、七月により、扉が静かに閉じられた。それきり、雫も振り返ろうとしない。足を動かすたびにふわふわして、今宵、起きたすべてのことが夢のようだった。
一方で、きっと明日になっても、この関係性が変わることはない、という奇妙な確信があった。
久遠。
久遠に、会いたい。そして——。
「誰も、ひとりには、しない」
気づくと、雫は虚空を睨み、呟いていた。
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