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第17話 予兆(2/2)

(何かがあるとすれば……)  雫との間にできた、溝の可能性。  心当たりのあるものについては、先日、埋めたはずだ。婚前診断書の件は、いずれ話し合う約束をしたし、七月との関係性についても、助言を与えたら、雫は上手く対処したようだ。そのせいか、車内に満ちる抑制的な充足感、もっと言えば、雫と七月の醸し出す清廉な空気は、今まで久遠が目にした、どんなものよりも美しかった。 (僕に、彼らの間に入る余地があるだろうか……?)  周囲を説き伏せ、時に懐柔し、おもねり、脅し、圧倒し、思いつく限りの手を打って、二年前にやっと婚約まで辿り着いた。雫が何を切り出したとしても、別離以外の提案なら、受け入れる覚悟もあるつもりだ。だが、七月の立場が妬ましくなるのは、防げなかった。長年、久遠が一方的に想い続けてきた雫と、その気になれば起きてから眠るまで、ずっと一緒にいられるのだ。アルファの才覚の多くを雫の成長につぎ込み、間近でその成長を見られる贅沢を、羨まないでいられる方がどうかしている、と久遠は軽く頭を振り、負の感情を追い出した。 「久遠。おれ……今日は大事な話をするつもりなんだ。だから、ちゃんと聞いて欲しい。その上で、どんな結末になっても、きみが好きだという感情に嘘はない。虫のいい、話に聞こえるだろうけれど……」  辿々しく震えながら、久遠に向き合う雫が愛おしい。不安に歪む雫を抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。虫が良かろうが何だろうが、爪弾きにされるよりはましだった。 「言ったよね? 雫。何があっても大丈夫だと。僕だって、きみが好きな気持ちに、嘘はないよ」  揺れる言葉など、雫の唇から残らず吸い取ってしまいたい。でも、無責任な言動を軽々しくする人間だと誤解されたくなくて、久遠はしばし口を噤んだ。何が明るみに出ようとも、雫とは、婚約者という糸で繋がっている。その糸を手繰り寄せ、雫と結婚するのは他の誰でもない、久遠だ。  婚前診断の結果がオール「F」でも、看過できない噂を流され、父をはじめとする近しい身内から反対されていても、あるいは初夜に雫が発情しなかったとしても、雫との間に子どもを授かることが、できなかったとしても。どんな状況、どんな理由があろうと、久遠は雫と別れるつもりはなかった。  ともにいようとしてくれる雫と、人生を歩んでゆく。  それが久遠の覚悟だ。 (きみと結婚するのは、僕だ)  何があってもこの決意は変わらない。  たとえ運命の相手が他に現れたとしても、雫を手放すつもりは、なかった。

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