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第20話 開示(1/3)

 舌の上にあるアイスの、味がしない。  極度の緊張状態に陥ると味覚が馬鹿になると言うが、口内で融解する氷菓の脆さは、雫に決心の脆さを思い起こさせた。早々に嚥下し、胃の中を冷やすと、雫は久遠に向き直った。 「久遠、その……おれの話を、聞いてくれるか?」  大の男が三人揃って西洋風東屋で晩夏の日差しを避け、アイスクリームを堪能する様子は些か滑稽だが、飲み込んだ氷菓の冷気にあてられてか、三人とも言葉少なだった。 「その前に、雫。ひとつだけ」 「うん……?」  久遠はアイスを食べたあと、残ったコーンを歯でへし折り、すべて咀嚼してから言った。 「僕は、きみにどれだけ傷つけられても、許すつもりだよ」 「っ……なん、で」  浴びた言葉に雫は身体を硬直させた。雫を遠ざけている間に、七月と何か話をしたのだろうか。七月は久遠に対する忠誠心はないと断じていたが、意図的につくられた雫不在の時間に、アルファ同士の連帯に目覚めたのだろうか。 「ごめん。言葉が足りなかった」  驚いた雫が反射的に七月を見ると、久遠が庇うように付け足した。 「七月から何かを聞いたわけじゃない。でも、きみらが仲違いをして、仲直りしたことと、今日、きみが言おうとしていることには関連があるのじゃないかと、僕が勝手に邪推したんだ。違ったら、訂正してくれ」  アルファには、オメガの空気が「視える」と表現されることがままある。久遠の推論に、雫はアルファである久遠を侮ったことを深く反省した。 「っちが、わな……い」  七月の快癒を待ち、この場に臨んだことは事実だ。雫の絞り出すような声に「そうか」と頷いた久遠は昏い顔をした。雰囲気に呑まれまいと深呼吸した雫へ、久遠は決然と顔を上げた。 「雫、きみを傷つける意図はない。その上で言うけれど、雫に傷つけられても、それはきみの一部と僕の一部が衝突した証拠だから、きっと時が経てば、愛しくなるだろう。ちょっと危ない嗜好みたいで告白するのが恥ずかしいけれど……僕を傷つけられるのは、きみだけだし、きみを傷つけられるのも、僕だけだと、思いたい。きみの伴侶となる僕だけが、持つことを許される権利だ。……わかるね?」  所有宣言とも取れる言葉に雫がじわりと頷くと、久遠はやっと少し笑みを見せた。 「震えているね……大丈夫?」  隣りに座る久遠が、膝の上で握られている雫の拳に片手をそっと乗せる。 「壊す時は優しくしてあげる。でも、その前に、きみのすべてを知っておきたい。きみから聞くことに価値がある。それが、どんな種類のことであっても。だから、ね……?」  子どもに語りかけるように促し、沈黙する久遠の手のひらが熱い。もしくは、副反応の影響で、雫の指先が冷えているだけだろうか。久遠の静寂は不気味さを孕んでいたが、不快だとは感じなかった。むしろ、壊れられたら、どんなにか楽だろうか。 「久遠。「閨房術」って、知ってるか……?」  言葉の意味を知らなければ、かつて七月がしてくれたように概要の説明から入らなければならない。だが、久遠はぴくりと反応した。 「名前はね。きみらが隠しているのは、それか」 「うん。それと……」  罪はひとつではない。七月の暴走に繋がる、かすかな唇の接触と、その顛末に、雫からした二度目のくちづけ。率直に虚飾を剥ぎ取りありのままを伝えようと努めながら、雫が言葉を紡ぐ。語り終えて黙ると、久遠は大きくため息をついた。 「少し……質問しても?」 「かまわない。何でもできる限り、答えるつもりだ」  謝罪するのは簡単だったが、雫は思いとどまった。久遠にこんな表情をさせたまま、逃げるように謝るのはフェアじゃない。 「いつから? それと、誰と誰が……かかわっているの?」  関係者を知りたい、という意味だと雫は解釈した。 「今年の七夕の夜、から……。大叔父さまの指示で、実際にしたのは七月とだけだ」 「他には? 誰もいないのか」 「いない。大叔父さまに、口外するなときつく言われているから」 「なるほど。だから僕にも隠したのか」  久遠は優しげに撫でていた指を、雫の拳の上で止めた。少し震えている。蚊帳の外へ置かれた疎外感と失望が、伝わってきた。 「きみらは同腹の兄弟だけれど、その点については?」 「おれは……」  一瞬、言い淀んだ雫から、久遠は視線を外さなかった。その目が、すべてを知りたいと言っている。

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