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第20話 開示(2/3)

「最初は、服の上からちょっと触るだけだったんだ。真似事だから、大したことにはならないと高を括っていた。そのうち、少しずつ手順が変化していったけれど、途中まで、おれには不適切だと判断できなかった。言い訳になるけれど……七月には、隠しごとをしないと決めていたから、それほど不自然だと思わなくて……、でも、責任はすべておれにある。七月が暴走しかけた時も、おれは途中まで、気づけなかった。オメガを前にした時の、アルファの不安定さを見くびっていた。だから……っ」 「だから、警戒しなかった?」  久遠の震える声に、雫は胸が潰れる思いで頷いた。オメガなら当然、気を配りすぎることがないほど、注意していなければならなかった。同腹の兄弟である事実と、七月の完璧さに、雫がすっかり信頼を預けすぎていたのが、そもそもの発端で、原因だった。 「おれが、きみの家で体調を崩したことがあっただろ? その日の夜から……七月と何度か、閨房術のことを打ち明けるべきか議論をしていた。きみが見舞いにきてくれた日に、話すと決めたんだ。でも、最後の授業で不測の事態が起きて……本当にすまない。おれの軽率な判断が招いた事態だ。七月は、おれを庇って……」 「雫さま」  七月がつらそうな声を出した。黙っていられないのも理解できたが、これは雫が乗り越えるべき問題だった。 「アルファが我を忘れるのは、オメガのフェロモンにあてられた時だけだと聞く。七月は、おれの知らないところでずっと苦しんで、それを悟らせまいと努力してきた。それを壊したのは、おれだ……」 「……つまりきみは、無意識のうちに七月を誘惑したのではないかと考えている? アルファを引き寄せる、誘引フェロモンを放ったと」 「そうだ」  久遠に対して、心の中身をすべて引っくり返す真似をするのは初めてだったが、これ以上の隠しごとは裏切りと同等だった。だが、誠実でいようとするほど、雫の言葉は久遠を傷つける諸刃の刃となる。  閨房術をおこないながら、七月を想う気持ちの断片が、態度に現れることがなかったか。無意識のうちに発情したいと願う気持ちの揺らぎが、オメガの匂いに作用しなかったか。どちらも雫には否定できない。 「くちづけを求められて、きみは……なぜ拒まなかった? 説明してくれ」  凍える声で、久遠は状況を咀嚼しようとしていた。ひと噛みごとに、想い出も記憶も解体される気がして、雫は、久遠の裁きを待てず、すべてを投げ出して、逃げてしまいたくなる。 「一度目は、あってはならない、事故だった。おれの認識が間違っていても、おかしくないぐらいの接触だったし……。二度目、は……七月を受け入れて、関係に線を引くために、必要だったから、した」  傷つけると知りながら、真実以外、話せない。苦しむとわかっていても、雫は震えながら言葉を紡ぐ。 「七月は、おれを育ててくれた、人、だから……」 「受容のキス、か」  呟いた久遠の歪な沈黙に、喉まで出かかった声を殺す。久遠を好いていると証明するには、いかなる感情的弱点も述べずに、衝動的、扇情的にならず、極力、ただ事実を詳らかにするしかない。 「わかった……理解したよ。だが……話が本当なら、きみの身体には傷があるね?」  絶望を孕んだ声で問われ、雫は全握力を両手に込め、頷いた。満身創痍を押し隠していたが、傷が癒え切る前に、冷酷な裏切りの証拠を久遠に提示せねばならない。 「鎖骨と、脇腹と、腕と、腰、それから……肩に。噛まれたり、引っかき傷がある」 「見せて」 「え……?」  一瞬、何を言われているのかわからず問い返すと、久遠が繰り返した。 「傷を見せて欲しい、と頼んでいる。嫌なら無理強いはしないけれど……」 「ここ、で……?」 「ここで、今」 「……っ」  七月が前のめりになりかけるのを見た雫は、片手を上げてそれを制した。久遠は疲れ切った目をぎらつかせている。こんな強い視線は、浴びたことがなかった。突然のことに声が詰まり、心臓が暴れ出す。生暖かな風が、ざわりと西洋風東屋を囲む壁の切れ目から侵入し、雫と久遠と七月を撫でてゆく。  簡易建造物の西洋風東屋は、昼日中の太陽が降り注ぐ明るい芝生の上に建っている。普段なら、雫が躊躇えば引き下がる久遠だが、今は大きな感情を抑えるべく葛藤しているように見えた。  雫はちょうど建物の死角になる場所にいるため、このまま素肌を晒しても、外から誰かに覗かれる確率は極めて低い。震えながら衣服の裾に手をかけると、七月が無言のまま立ち上がり、完全に外から雫の姿が隠れるよう、壁になってくれた。  ゆっくり服をたくし上げると、汗ばんだ肌が露出する。晩夏の蒸し暑さを残した空気に肌が触れ、妙な気分になる。真昼間に外で肌を露出させる行為が、倒錯的で背徳的な気持ちをかき立てるのを、懸命に雫は打ち消した。

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