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第21話 久遠(1/4)
「雫さまのお話には、些か誇張と虚飾がございます」
「っ……?」
驚きに顔を上げた雫とは目も合わせずに、七月は久遠へ視線を向けた。
「……どの辺りが?」
唖然とする雫を横目に、久遠が促すと、七月は話し出した。
「まず、閨房術をはじめた経緯です。あれは旦那さまの意向を受け、私の決断を以って雫さまに申し渡されました。拒否権はなく、事実上の強制に近いものでした」
「そうか。……他には? 何かある?」
「はい。閨ごとをお教えする初期の段階で、アルファのラット状態を、容易に抑え込めるものだと多少の誇張を用い、信じさせようとしました。閨房術が、安全なままごとに過ぎないと雫さまにお伝えしたのは私です。旦那さまより全権を移譲された私は、雫さまを、意図をもって誘導いたしました」
「つまり、雫は共謀者でなく、被害者だと言いたいんだな?」
「そのとおりです」
「ちが……っ、違う……っ!」
七月の言葉に雫は身を乗り出したが、久遠も七月も互いを睨んだままだった。
大叔父の泰衡に逆らえないのは、七月も同じはずだ。多少の誤謬はあれど、雫の語った大筋は、七月のそれより事実に近いはずだ。だが、七月は捻じ伏せた。
「嘘は正さねばなりません」
「嘘、なんか、じゃ……っ」
違う。ふたりで罪を被ると決めたから、すべてを話すことにしたのだ。七月が意図して久遠の状況把握を曲げようとしているのが、雫には手に取るようにわかった。こんな印象操作で、七月だけが悪者になるのは、耐えられない。
「七……っ」
雫の声を遮るように、久遠が口を開いた。
「やはり、婚前診断の結果が原因かな……?」
「直接的には」
「きみは見返りに何を提示されたんだ? 金か? 人か? それとも」
「黒字化を待つまでもなく、まとまった額の運転資金を拠出いただけるとのことでした。製造レーンの件も」
「なるほど……」
雫を無視し、ふたりの間で会話が続く。七月の理路整然とした通りの良い説明に潜む歪さに、久遠が気づかないわけがない。七月はひとりで罪を被り、切り離されるつもりでいるのだ。それを察しながら、久遠もわざと誘導されるのを許している気配がする。
(これじゃ、切り捨ててくれと言っているようなものじゃないか……っ)
「ところで、雫の前でラット状態になりかけた、というのは事実か?」
「はい。久遠さま」
「きみはその後も雫の傍にいるね? 同じ過ちを繰り返す可能性を理解しているとは、到底、思えない振る舞いだが」
「抑制剤の濃度を上げました。ですが……」
初めて言い淀んだ七月を、久遠は冷徹な視線で釘付けにする。
「久遠さまも、ご存知のように……アルファはラット状態に陥ると、記憶が曖昧に飛びがちです。ですから、二度と過ちを繰り返さないために、私には、あれが現実だったと確認する必要がありました。私の身体は、生殖に必要な精子を作り出す機能が欠けています。また、オメガのうなじを噛んでも、ただの傷として完治し、残ることはありません。私はオメガを番いにできない、欠けたアルファなのです」
七月が苦しげに述べるのを見て、雫は心臓が握られる思いをした。身喰いをしてまで止まってくれた七月に罪を押し付けることにならないよう、注意を払ってきたつもりだった。だが、事実を率直に打ち明けるだけでは足りなかったのだ。
「初耳だ」
「先日、雫さまに打ち明けるまで、このことを知るのは私と、旦那さまだけでしたので」
「なるほど。だから、どこからも情報が出てこなかったのか」
久遠は七月の告白さえ、怜悧に流す様子で、さらに問うた。
「きみの暴走を周囲が知らない様子なのは? 泰衡さんでさえ、雫ときみの間の事故を掴んだ様子がないのは、些か不自然だが……」
「旦那さまは最初から「種無しが何をしようとかまわない」と仰せでしたから……。報告しようにも、私の様子がおかしいことは把握しているようでしたので、それ以上のことは、私も申し上げておりません。何かがあったことは察していると思われますが、私と雫さまが歪に関係を発展させたとしても、想定内だと考えておられるのでしょう」
七月がひと月近く職務を放棄したことは、泰衡の関心事にはほど遠かったのだ。七月の話が本当で、番いをつくれないアルファだとすれば、雫が久遠との初夜を不慮の事故で穢したとしても、泰衡はとぼけ通すつもりでいるのだろう。雫だけでなく、七月さえも駒のひとつとしか見ていない泰衡の冷酷さに、雫は震えた。
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