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第21話 久遠(2/4)

 だが、雫を前に、久遠は七月を追求する手を緩めなかった。 「それが事実だとすれば……七月、きみが雫を調教すること自体、悪質なおこないと言わざるを得ない。なぜ涼しい顔で僕の前に立てるのか、きみの資質を疑うよ」 「申し訳ありません」  矢継ぎ早に進む質疑応答に、七月は機械的な謝罪をしただけだった。久遠の問いかけを経て出てくる事実に、雫は震える両手を握りしめた。七月の献身が、泰衡との折衝材料として機能していたことにも揺れたが、傍にいてくれるふたりのアルファが、互いにこんな形で対立することに、身体の芯が凍える。  久遠がふと、七月の左腕について指摘した。 「その包帯は? 雫を襲った時の傷か?」 「これは……」  冷静だった七月が、手首を気にして、わずかに緩み、言い淀んだ。 「うなじの代わりです。少々身喰いを試みましたが、深く抉りすぎました」 「痛むか?」 「少し……。時間が経てば、戻ります。どうということは」  七月が左手を持ち上げると、はらりと包帯がほどけかかった。久遠が「片手では不便だろ」と立ち上がり、七月の包帯を止め直しながら言う。 「……きみは完全に自己弁護を放棄しているね。そんなに雫が大事?」 「最優先事項ですので」 「そんなものかな」  久遠はベンチに座り直すと、脚を組んだ。 「忠誠心は立派だが、いつか足元をすくわれることになるよ」 「肝に銘じます」  七月の声がわずかに変化し、久遠を先へ促しているのがわかった。アルファ同士のやりとりを初めて目にした雫は、冷気が足元から這い上がってくるのを体感していた。男性でありながらオメガである雫が日向を歩いてこれたのは、久遠の気配りと、七月が隣りにいたからだ。七月の考え方を尊敬し、ずっと追いかけてきた。雫というオメガの影として存在することの、意味や役割りを、深く考えもせずに。  その気になれば炎に突っ込んでゆくことすら辞さない七月の激しさを、止められないことが苦しい。七月の提示した「新事実」の上で、七月の意図どおり踊りながら、七月の存在とともに雫の罪を切り離そうとする久遠の冷たい横顔は、雫の知らないものだった。為政者の目をした久遠に、七月を責めさせている。雫の犯した過ちが、そうさせているのだ。  雫は背中を曲げ、罪悪感に唇を噛んだ。 「や、め……てくれ……っ」  絞り出された雫の声は、みっともなく掠れて震えた。 「そんな顔、しないでくれ……っ。お願いだ……っ。何でもする。久遠の好きなようにする。だから、こんなの……っ」  哀願が逆効果になったとしても、黙っていられない。体裁を気にしていたら、大事なものを失う。雫をつくり上げてきたのが七月なら、七月を模範としてきた雫もまた、七月の輪郭を形成する存在のはずだ。 「雫さま……」 「っきみもだ、七月……っ。どうして、自分を貶めるようなことを……っ」 「七月は雫さまのものです。有用に、お使いください」 「おれはそんなの、望んでいない……!」  顔を上げた雫は、きっと酷い表情だったのだろう。七月が目を瞠り、久遠もまた視線を寄越した。痛みを堪えて揺れるふたりもまた、きっと雫と似た顔をしている。大切なふたりを悩ませる自分の存在を、呪ってしまいたい。 「自分を下げる発言はするなと、おれに説いてきたのはきみだろっ、七月っ。それを、きみは平気な顔をして、どうして……っ。おれを想うなら、そんな風に振る舞わないでくれ……っ、頼むから……」  泥を被ろうとする七月を見過ごせない。久遠とつくる未来のために、七月を捨てたりできない。踏み台にするなどもってのほかだ。 「七月はおれの従者で、従者がしたことは、主人のおれが被るのが筋だ。不始末の責任は、おれにある。だから久遠。きみの好きなように……気の済むようにしてくれ……っ。おれは、どうされようと覚悟ができている。でも、七月がおれの罪を被るのは、絶対に違う……っ。そうだろ? 久遠……っ」  雫は全身を握りつぶすようにして、祈る姿勢で久遠に頭を下げた。しばらく無言だった久遠は、やがてひとつ大きなため息をつき、肩を竦め、がくりと俯いた。 「……まったく、きみは……」  冷え切った久遠の声に、わずかに明るさが滲む。 「そんな風に言われたら、無視できないだろ……雫」 「雫さま、私は……」  ため息とともに、久遠の肩の力が抜ける。  七月が顔を上げ、言いかけると、久遠があとを引き取った。 「僕も、七月の未来を踏みにじった上に胡座をかいて、きみを娶ろうだなんて考えていないよ。大事なことはだいたい確認できたから、次に進もう。……雫」  戸惑う七月の前で、久遠の指先が雫に伸ばされる。指先が雫の髪に触れ、ゆっくりと一房を梳く。その仕草に雫は目の奥が熱くなるのを堪えた。

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