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第21話 久遠(3/4)

「僕は、きみが好きだ……きみへの気持ちが変わったとしても、好きなことに変わりはない」 「うん……」  心の中の荒れ狂うさまをどうにか御そうと試みながら、久遠は七月も含め、許すつもりなのだ。最初にした約束以上のことを、しようとしてくれる。そんな久遠のことを、今よりもっと、好きになってしまうのが、少し怖い。 「おれも、久遠が好きだ。たとえきみが変わってしまっても、おれが変わることがあっても、それだけは……変わらない」  心の奥底で、灯火がぱちりと弾ける。火を焼べなくとも、そこには赤々と燃えさかる炎がある。 「久遠がどんな人間か、おれは、知っている」 「僕も、きみらを知っているよ。雫の気持ちも、七月の心も確認できた。だから……みっつ、条件付きで、きみらを許そうと思う」  久遠は雫の前髪を半分、かき上げると、現れた額にくちづけた。至近距離に、相手の鼓動が聞こえてきそうだった。 「なんでも、する……」  理不尽に灼かれ、苦悶にのた打つ久遠の表情を間近に、雫は言った。 「そんなこと、軽々しく言うものじゃないよ、雫」 「本当だ。おれは……っ」  喋り出した途端に、片目が濁り、涙が零れた。七月とも合意の上での決断だ。後悔はない。顔を顰める雫の頬を、久遠の指がそっと拭う。 「泣き虫だな」 「っ……ん」  そう囁いた久遠もまた、両目を潤ませていた。 「人間というのは……矛盾の塊だ。きみがそうであるように、僕だって、七月だってきっとそうだ。苦しみを背負うぐらいなら、逃げ出したい。でも、きみを愛している」  まっすぐ雫を見つめ、零す言葉が砂金のように光る。 「にしても……僕の出した条件の方が、ずっと手厚い福利厚生が付くじゃないか。なのに蹴っ飛ばすだなんて、そんなに雫に執着するのか? 七月。きみはまったく……」  雫の肩をあやすように抱きしめ、久遠は頬に頬を重ねた。心臓の鼓動が速まるのが伝わってしまいそうで、少し恥ずかしい。 「要するに、雫はきみの人生より、優先されるべきものなんだな?」 「はい……最優先事項です」  雫の背中を撫でながら、久遠は呆れた声を出した。その声色には、どこか解き放たれたような爽快感が混じっていた。 「きみも、七月が好きだろ? 雫」 「っ……それ、は」  投げられた問いに口ごもる雫に、久遠は仕方ないという表情をした。 「いいよ。嘘や隠し事より、ずっといい。僕だって、きみのそういうところに惚れたんだ。それに……これ以上、きみらの傷口に塩を塗り込む真似はしたくない。ところで、ふたりとも、僕の出す条件を呑む気でいるみたいだけれど……軽々に頷いて、大丈夫?」 「だ、大丈夫だ」  少し意地悪な調子で投げられた問いに、雫が頷くと、七月も追従した。 「雫さまに異論がなければ、私はかまいません」 「そう……じゃ、きみらの気持ちに甘えさせてもらおうかな」  久遠は雫の左手を握り、斜向かいの七月を振り返る。 「七月。きみは保身と同時に雫の外聞を慮ってくれたのだろう? 何にせよ、途中で止まってくれて良かった。雫の可能性を狭めることだけは、して欲しくないからね。その点だけは、真摯に反省してくれ。それから、雫」  握った手から雫の薬指を選び出し、久遠はその付け根にくちづけた。 「今すぐこの身体に印を付けて、誰からもわかる形で、きみを奪いたい。でも、僕はしないよ。父のような冷血漢にはならない。その上で言うけれど……」  炎が美しく燃え上がる。久遠の生命の火に薪をくべたのは雫なのだと実感する瞬間だった。 「よく打ち明けてくれた。ふたりとも」 「っ……?」  顔を上げた雫と七月に、久遠は影のある表情をした。 「泰衡さんも、むごいことをなさる。ふたりで抱え込むしかなくて、さぞつらかっただろう。道を誤らせた落とし前は、最初にこの提案をした者に、必ず付けさせる。きみらが、僕に話してくれたことを、僕は生涯、忘れはしない」  雫が眉間を歪めると、久遠は「おいで」と催促した。 「っ」  その腕の中に、雫がおさまる。 「ごめ……っ、久遠……っ。ごめ、ごめんなさい……っ」  背中に爪を立て、強く抱きしめ返された雫は、久遠の温もりにしがみついた。傷を受け立ち上がろうとする久遠の強さが眩しい。甘やかされて、どろどろに蕩けてしまいそうだが、高揚感と同時に、誇らしいほど久遠のものになりたいという、一途な羨望が生まれる。

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