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第26話 影として(1/2)

 式場へ到着すると、七月も、雫と一緒に花嫁用の控え室へ通された。  式当日のブライズルームに、花婿以外の番いを持たないアルファが寄り付くのは、不吉とされている。扉の前で躊躇した七月を、しかし、一足、先に着いていた泰衡は「くだらん因習だ」と一蹴した。  雫と、雫のエスコート役の泰衡が、専属のスタッフらとともに最終確認のために部屋をあとにすると、留守を任された七月は、雫が戻ってきた時のために、軽食の用意に取りかかった。諸々の確認事項が済み、一服できる余裕があればいいが、今日はアテンダーをはじめとする専属スタッフらにより、分刻みでスケジュールがぎっしり組まれている。七月は雫のために、片手で食べられるサンドウィッチを用意することにした。  具材を挟んだパンの耳を落としているところへ、部屋に人が戻ってくる気配がした。 「雫さま? 少し早いですが、軽食を……」 「わたしだ」  雫ら一向だと思った七月は、振り返ったあとで、ぴたりと息を呑む。  戻ってきたのは泰衡ひとりだった。痩せぎすの身体をモーニングコートにきっちり包み、硝子細工のような鋭利な視線で七月を射る。片方の口の端だけを上げ、表情をつくると、泰衡は嘲笑の言葉を吐いた。 「閨房術は、失敗だな?」 「いえ……はい」  射竦められた七月は、ひと時でも気を抜いたことを後悔した。雫の旅立つ特別な日だからと、浮かれていたかもしれない。泰衡は長年の圧政の結果としての、七月の恭順を享受することに躊躇いがない。七月が、雫を襲いかけた夜を経て、久遠に閨房術の件を打ち明けたことを、泰衡にはまだ知らせていなかった。文字通り、身体を張って隠し通してきたことだ。明るみに出たらきっとただでは済まないが、ここまで守ってきた以上、最後まで雫の味方でいてやりたかった。 「私の力不足です。申し訳ありません、旦那さま」  及ばずながら、との七月の謝罪に、泰衡は不愉快そうに鼻を鳴らした。雫との間に何が起きているかを直接的な言葉で七月に尋ねないのは、下衆の勘ぐりは性に合わないと思っているからだろう。泰衡は、七月のいるキッチンカウンターまで歩み寄ると、懐から小さく畳まれた白い紙片を取り出した。棚からマグカップを拝借し、紙片に包まれた粉状のものを入れると、ふわりと微かに甘い匂いがする。その香りを、七月はどこかで嗅いだ気がしたが、思い出せなかった。 「あれが一向に発情しないのは、不穏だな。これまでの感触から、ものになりそうか?」  何度も問われてきた問いを繰り返され、なぜ泰衡はこうも焦るのか、七月は些か戸惑いを覚える。雫が未だ発情期を迎えていないことは厳然とした事実だが、初夜にはふたりとも発情促進剤を使うはずだ。今朝の雫の仕上がりを鑑みれば、楽観していい状態だった。雫自身は気づいていないようだが、いつ決壊してもおかしくない空気を孕む雫の様子を、直接、確認したはずの泰衡が、未だに不安がるのが不思議だった。 「雫さまは、だいぶ柔らかくおなりです。久遠さまも、変化に気づきつつあるご様子で……」  用心深く口を開いた七月のすぐ隣りで、泰衡は、先ほど粉末を入れたカップに湯を注ぎ、抽斗から拝借したティースプーンでかき混ぜながら、七月の話を聞く。 「御曹司がうなじを噛む気配は?」 「久遠さまは、雫さまとの約束を遵守なさるご意向で……」  瞬間、泰衡が一喝した。

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