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第28話 突発発情(2/3)
「折り入って、おふたりにお話があります。雫さま、久遠さま」
緊張するふたりにソファを勧めると、七月は立ったまま、続けた。
「雫さまは……間もなく発情します。それも、自然発生的なものではなく、薬物による突発的な発情です」
「どういうことだ? もう少し詳しく説明してくれ、七月」
最初に久遠が、雫の隣りで庇うように口を開いた。一刻を争う事態だ。ふたりを前にした七月は、私見を除いた事実を洗いざらい伝える。
「雫さまが召し上がられたマグカップの中のココアに、発情促進剤の一部が混入している可能性があります。おそらく、二種混合薬のうち、薬剤Aを、雫さまは朝食時にお摂りになられた。今感じている強烈な眠気は、その副作用と考えられます。ココアには薬剤Bが混ぜられており、これらが体内で同時多発的に作用することで、発情します。おそらく、今まで服用されてきたどんなものよりも、強く、迅速に、それは起きます」
説明を聞いた久遠は、戸惑いながらも、すぐに反応した。
「なぜわかる? それを知っていて、きみは……」
「恥ずかしながら……朝の時点で、私は雫さまの食事に、発情促進剤が混ぜられていることに気づけませんでした。ですが、もし雫さまが朝食時に薬剤Aを摂取していたら、今、薬剤Bを摂らせない選択をするのは、リスクが高すぎます。無論、朝食に何も仕込まれていなかった可能性も考えられますが、私は違うと思います」
雫の朝食に発情促進剤の一部である薬剤Aが混入されていた場合、それは強い副作用を伴うものである可能性が高い。
「きみは自分の憶測が正しいと? 理由は? 泰衡さんか?」
七月が無言で歯を食いしばると、雫と久遠は表情を引き締めた。
オメガ用の発情促進剤には様々なタイプがあるが、よりピンポイントに時間を区切って爆発的に発情させることに重きを置いた、二種混合薬というものがある。雫は数年前まで様々な促進剤を試していたし、七月も創薬の観点から、かなり詳しい知識がある。さらに、泰衡の秘密クラブを介した仕事の関係で使用したオメガ用の発情促進剤で、七月は過去に数度、窮地に直面したことがあった。
強力な効果を発揮する薬の中には、強烈な副作用を伴うものもあるため、本来なら監視と管理が不可欠だった。例えば、あとから入れるはずの薬剤Bの投与時間が想定よりずれたり、何らかの要因で、薬剤Aとともに上手く作用しないと、目眩や嘔吐、手足の痺れなどの副作用が生じる。即効性と着実性を重視するあまり、安全性を犠牲にしたそれらの脱法薬は、闇で高値で売買され、未覚醒のオメガにも、よく効くとされている。
もし泰衡がなりふり構わず薬を使う決断をしたのなら、薬剤Aを摂ってしまった雫に薬剤Bを投与しない選択は、リスク回避の観点から、避けるべきだ。だが、結果として薬物による突発的な発情が起きてしまったら、久遠とともに守ってきた初夜の約束を、破ることになる。
「抑制剤を使うことは、できないのか?」
青ざめ、踏ん張っている七月に、久遠は怜悧な声で確認する。
「自然発情でない場合、抑制剤を投与することはできないのです」
抑制剤と促進剤は、脳内の同じ受容体に作用するため、併用が固く禁じられている。オメガの個体差により、どんな作用があるか、極めて予測が難しく、場合によっては心身に不調をきたす例もあり、治療の手段が確立されていない。
「雫、自覚症状はある?」
明らかになった事実を踏まえ、久遠が尋ねると、雫は震える両手でマグを握りしめたまま、戸惑いの声を出した。
「少し眠いだけで……」
言いかけた雫は、しきりに目を擦り、深呼吸する。
「おれ、発情するのかな……?」
一人前のオメガになるために、ずっと願ってきたことだ。とはいえ、タイミングが悪すぎるし、やはり怖いのだろう。最も危険で最悪な選択を、雫に強いようとする泰衡の計略に乗った自分の弱さと浅はかさを、七月は悔いた。だが、欠格条項のあるアルファとして、七月にできるのは、事実を打ち明け、罪を被ることだけだ。
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