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第29話 決断(1/2)
「七月。僕らには……ふたつ選択肢がある」
扉の前で対峙した久遠は、蒼白なまま狼狽える七月とは対照的に、不思議なほどの落ち着きをみせていた。指を二本、立てた久遠の手首を、七月は反射的に強く握る。
「……どうなさいますか、久遠さま」
「どう、とは?」
進み出た七月にも、久遠は冷静だった。
「雫さまを、このまま放っておくことはできません」
愛しい存在が危機に瀕しているのに、なぜこんなに冷静でいられるのか、七月には久遠の態度が理解不能だった。雫を守るために、するべきことをするしかない。だが、七月にはその権利がない。機能がない。無力感をバネに、七月は久遠に迫った。どれほど七月が望んでも、手に入らない力。発情したオメガを鎮静させるアルファの力を、久遠だけが持っている。
「ご存知でしょう。こうなってしまったら……あとはアルファの体液を与えるしかない。対処が早いほど予後は良いと言われています。個体差はありますが、薬による発情なら、交歓の場合、長くて、二時間……うなじを噛めばたちどころにおさまりますが、それはあなたにしかできないことだ」
まくし立てても足りないほど時間が惜しいのに、久遠は七月の手を解き、首を横に振った。
「どさくさに紛れて、僕に雫の処女地を穢せと? それは最善案じゃない」
「っでは、どうすると……! 時間がないのです、久遠さま……っ!」
扉の向こうで、断続的に呻く雫の声がする。呼吸が浅く、苦しそうだ。狂ってしまった方が楽かもしれない。少なくとも泰衡の元で、薬による強制発情を体験した数人のオメガは口を揃えてそう言っていた。
「二種混合薬の威力は凄まじいと聞き及びます。雫さまが発情された以上、最低でもアルファの体液が必要だ。相手は、あなたしか、ありえない……っ」
泰衡の狙いは西園寺家への影響力の保持だ。大方、久遠の周辺を洗わせたが、弱みになる種が出てこなかったのだろう。ゆえに七月をスケープゴートに仕立て、雫に薬を盛り、久遠をけしかけた。西園寺家の跡取りともあろうものが、式に臨む直前、我慢しきれずに花嫁を犯したとなれば、ちょっとしたスキャンダルだ。久遠に無能の烙印を押し、傀儡に仕立てるために弱みを握る、ちょうどいい機会だった。
「そんな顔をするな、七月」
要求も提案も躱す久遠の落ち着きに苛立ちと焦燥を抱え、殴られたように七月は向き合う。
「久遠さま、寝室にお入りください。私が外から鍵をかけ、見張ります。雫さまを……お願いいたします」
七月に罪が及ばないようにと選択した雫を、放ってなどおけない。ひとり、音瀬家に残る七月を最後まで案じてくれていた雫に、そのことについて話す必要性はないと判断した、過去の自分を叱り飛ばしたい。
「すぐに最初の波がくるはずです。波の高さには個人差があり、専門医でも予測は難しい。でも、タイミング良く、あなたが雫さまを抱けば……」
「駄目だ」
「なぜですか……っ」
噛み付く勢いの七月が提示する未来の可能性を、久遠は努めて冷静に潰してゆく。
「初夜に合わせて、抑制剤を弱いものに変えてきている。今、雫とふたりきりになったら、僕はきっと止まれない。うなじを噛んだところで、おそらく気が済まないだろう。僕が、僕自身を信用できないんだ。それに、鍵をかけた部屋の外に見張りを置いたとして、きみは暴走した僕に気づき、止められるのか?」
「しかし、他に方法が……っ」
頑なな久遠に、七月は立場を忘れて舌打ちしそうになる。久遠の意見はもっともだが、泥を被ることで雫が救えるのなら、七月は自分を差し出すことも厭わないつもりだった。
「お願いします、久遠さま……っ。七月のことは、どう恨んでいただいてもかまいません。でも、今は……っ」
「きみは、雫を愛しているね?」
突然、脈絡なく繰り出される質問に、七月はついかっとなり、苛立ちをぶつけた。
「っそういう話はしていません……っ。時間がないのです! 私では、雫さまを救えない。私では……」
生殖機能が欠けている七月には、雫をどうすることもできない。突発的に起きた強制発情を止められない。泰衡に嘲笑されるのも、無理からぬことだった。
「愛しているんだろ? 七月。最終確認をしたい」
「だったら、何だと言うのですか……っ!」
雫のことで意見が合わなくて、久遠と正面衝突する日がくるなどと、想像だにしなかった。頑固な面を持つ久遠を、七月は次第に嫌いになりかけている。もう実力行使しかないか、と思い詰めたその時、久遠が声を低くした。
「この件に限らずだが、最初に手を出した者には、きっちり落とし前をつけさせる。その上で質問するが、七月。きみは——僕と、雫を共有する意志があるか?」
「何を言っ……え?」
閉じかけの扉の隙間から、寝返りを打つ衣擦れの音に混じり、断続的に雫の吐息のような声が漏れてくる。その音に紛れて放たれた言葉の意味を把握できず、一瞬、止まった七月を、久遠は狙いすまして追撃した。
「答えて欲しい。その意志はあるか? 時間がないと言ったのはきみだ。決断を急いでくれ」
「な……、久遠、さま……と、共有……?」
「そうだ」
不意に久遠の雰囲気に、重い怒気が混じる。
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