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第29話 決断(2/2)
「はいと言え、七月。僕に従い、僕の命令を受け、僕とともに雫を抱く意志があるか? 単純な質問だ。納得材料が欲しいなら、くれてやる。雫にはアルファの体液が必要だが、僕ひとりでは、うなじを噛んで終わるどころか、雫をめちゃくちゃにしてしまうだろう。きみが僕のストッパーになり、僕がきみを見張る。相互監視の中、雫に僕の体液を与える。この計画を考えた者は狡猾だ。そんな奴の言いなりには、絶対にならない。雫からも、僕らからも、何ひとつ奪わせない。他でもないきみなら、僕の要求に応えられると信じている。雫を共有し、きみが、僕らと、ともに生きること。これが今、僕が雫を抱く、唯一の条件だ」
唖然とした七月の肘を、いつの間にか久遠の手が掴んでいた。
「そんな、こと、が……」
「可能だと、今から証明するんだ。……気づいていたか? きみと僕が揃う時ほど、雫はガードが甘くなる。きみに許している部分と、僕が赦されている部分が違うからだ。肚を括れ、七月。この問題を解決するには、それしかない」
揺れる七月に、久遠は憐れむような視線を絡めた。七月は、湘南の別邸で、最初に三人でしたあとに、久遠が口にした言葉を思い出していた。
「雫には事後承諾になるが、きみを拒むことはないと、僕は思う」
久遠が、しつこいほど七月の気持ちを何度も尋ねてきた理由が、やっと理解できる。絶対に逃げられない場所へ追い込まれたことを見定め、七月が頷くことしかできないタイミングで、条件を放つ卑怯なやり方も。こんな方法を採るのは、まるで追い込まれていて、いつもの久遠らしくない。
(だが——……)
「雫を幸せにしてやりたい。僕ができる全力で。それには、まったく憎らしいことに、たぶん、きみという存在が必要なんだ」
奥歯を食いしばる久遠の中で、嵐が吹き荒れているのが見える。最適解を探し過ぎて、思考が空転しはじめるが、どこで止めても、おそらく久遠も七月も、同じベクトルを向くだろう予感がした。
「……久遠さま」
嫉妬や苦悩を滲ませた姿を、雫の従者である七月に晒すのは、さすがに隙を見せ過ぎではないかと疑った。だが、すべてはここへの導線だったのかもしれない。
「きみが、決断するんだ。僕と一緒に雫を愛する人生を選ぶか、この場を去り、傷つく雫を見ぬふりをする道をゆくか」
容赦なく狡猾な言い方をするのは、雫への愛情と、理想と、常識と、現実の間で揺れている証拠だった。
「あなた、は……」
「殴って、きみの罪悪感が減るのなら、いくらでも手を上げる決意はある。でも、違うだろ? 違うはずだ。雫を愛してやってくれ、七月。心だけでなく、すべてを」
雫を手に入れる唯一の方法を、排除だと決めてかかっていた七月には、到底、予想し得ない選択だった。
「それで、あなたは……よろしいのですか?」
「かまわない。きみの優先順位を知っているし、僕もまた、大切なものが何かは、決まっているから」
よく見ると、久遠も額にじっとり汗を滲ませている。精神的に追い込まれているのは、七月も久遠も同じなのだ。
「仰るとおり、私は——」
雫を、愛している。
雫の心の唯一の所有者となるために、いつしか人生を捧げてきた。
久遠は七月の気持ちを承知の上で、人生の舵を切ろうとしている。七月を巻き込む提案は、後戻りできない、極めて不穏な大渦に飛び込むも同然だった。血を踏み越える覚悟。未踏の道をゆく勇気。愛する心を絶え間なく問われ続ける未来を、望んで掴み取る意志の有無を、七月に問うている。それこそが、アルファの持ちうる潜在能力の解放だと、おそらく久遠は本能的に感じている。
「雫さまを、愛しています……あなたのように」
言ってしまうと、何かが抜け落ちたように七月は安定した。
「気が合うな。僕もだ」
久遠が差し出した右手を、七月が握り返す。
失敗のない人生こそが、アルファに求められる資質だと、長い間、勘違いをしてきた。子種のない出来損ないのアルファであることを理由に、正面からぶつからなかったのは、甘えでしかないのだと、久遠の覚悟に頬を張り飛ばされた気がする。
「……お支えします、久遠さま。あなたが、雫さまとともにある限り」
「うん……。いい顔に、なったじゃないか」
七つも年下の子どもだと、どこかで見くびっていた。資格も権利も、ないと決めつけていたのは七月自身だというのに、久遠は未来を変えてゆけると、七月に示した。どんな形に生まれても、生きることで変えられるものがあると、久遠は獣道をゆく決意で七月の足元を照らそうとする。
「よし。話は決まった。雫を起こそう。……お仕置きを、してあげないと」
「お手伝いいたします」
地獄への道行きだったとしても、愛に付随する喪失を受け入れるために、初めて踏み出した七月の手を、久遠は強く引いた。
雫のいる主寝室のドアを開け、ふたりのアルファがその闇に消えた。
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