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第33話 雫(3/5)

「意気地のないオメガに何をさせても、大成などせん……っ。オメガはオメガらしく、従順に生きればいいのだ! 番い? 運命? そんなものに振り回される、あやつらは……っ! 確たる印がなければ、オメガなどいずれ捨てられる……っ! だから、わたしは……っ」  泰衡の悲鳴のような喚き声に、久遠が痛ましげに告げる。 「あなたはオメガなのですね? 泰衡さん」 「っ……」  雫と七月が弾かれたように顔を上げる。泰衡は、元々、白い顔を蒼白にし、放たれた言葉に完全に停止した。 「雫や七月をこき下ろす言葉は、おそらく昔、誰かが、オメガであるあなたに向けて放った言葉の再生産品なのでしょう。この部屋で、雫の……オメガの匂いの変化に気づかない時点で、アルファではありえない。おそらく、あなたは誰とも番わなかったオメガだ。発情期は歳のせいで先細り、出産可能年齢を過ぎてからは、訪れなくなったのでしょう。だから、あなたはアルファのふりをし、周囲にも強いて偽装を続けた。……若い頃は、苦労されたのでは?」  ふらつく泰衡を支える手は、どこにもない。泰衡は奥歯を食いしばり、息を吐いた。 「るさいっ……、貴様のような青二才に、何が……っ」  確かにあらためて泰衡を見ると、アルファにしては小柄だと言えなくもない。ずっと年齢のせいだと思ってきたが、尊大な態度と物言いに、強いてアルファだと刷り込まれてきたのだと雫は気づく。久遠が追い打ちをかけるように泰衡を問いただした。 「あなたにも昔は、番いとなるべきアルファがいたはずだ。今は亡き、僕の祖父ですか? それとも……」 「やめろ! 関係のないことだっ! わたしは……わたしは音瀬家のためを思って……っ」  屈辱に顔を歪める泰衡に、久遠は憐れみの込められた声を出した。 「アルファの愛は、信じられない……あなたの人生のどこかで、そう結論付けざるを得ない何かがあったのかもしれない。だから雫や七月にはつらく当たるし、僕と雫に一刻も早い既成事実ができることにこだわった。未婚のオメガが番いの印を持てば、どんな扱いをされるか承知の上で、うなじを噛ませることにこだわったのは……信用ならないアルファである、僕の心変わりを怖れたからだ。でも、僕は雫を愛しています。これから先の人生を、死ぬまで一緒に生きるつもりだ。七月も共に、三人で」 「愛など……っ」  何を思い出したのか、泰衡はぐしゃりと顔を引き攣らせた。 「信用できるかっ、アルファの愛など、まやかしだ……っ」  息を乱した泰衡は、両手を握りしめ、吐き捨てた。その顔は、修羅のようだったが、もう誰も泰衡を畏れようとはしない。 「祖父の時代のことについて調べるのは、僕でも、非常に苦労しました。証人らしき者は鬼籍に入っているか、生きていても、誰も進んで口を割ろうとしない。けれど、あなたの周りを残らず洗えば、出てくるものもあるのです。あなたは、僕の祖父、父、ひいては僕が、オメガであるあなたに下るような弱みを握りたかった。精神的優位を得なければ、西園寺家のアルファと対等にやり合うなど、できないと思ったのでしょうね。でも、僕らは、あなたとは違う道を生きます。僕らを理解できないからといって、雫や七月に当たるなど、見苦しい。繰り返しますが、僕らは、あなたがたのようにはならない。初夜には雫のうなじを噛むし、七月の身柄も、今日以降、僕が引き取ります。僕らの幸せのために」 「幸せ……っ?」  鼻で嗤おうとした泰衡を追い詰めながら、久遠は哀れなものを見る目つきをした。 「あなたはせいぜい自分のしたことを省みて、遠くから僕らの行く末を、見ていればいい」 「く……」  歯を食いしばり、肩を震わせた泰衡は、恨みがましい目を久遠へ向けた。 「貴様こそ……本気で七月を引き取ると? いいだろう。だが、こやつはわたしを通じ、雫に似たオメガを抱き続けたあばずれだ! こんな淫乱なアルファまがいを傍に置けば、いつ寝首を掻かれるか知れたものではないぞ! だいたい、番いとなることも、子をなすこともできない出来損ないの使い道など……っ、だから、わたしが与えてやったのだ……!」 「もうやめてください! 大叔父さま……っ」  諭すつもりで上げた声が、その場を一喝してしまったことに、雫は狼狽えたが、その場に踏みとどまり、震える声で言う。 「おれが不出来だったのは、おれだけの責任です。七月のせいじゃない……っ。そんな酷い言葉を、かけないでください……っ」  無知や無能と、雫を糾弾するのなら、まだわかる。だが、七月や久遠までをひと括りにするのは、許せなかった。

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