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第33話 雫(5/5)

「あの……」  最後にクビを言い渡されてしまった七月を思うと、どうにも落ち着かなかった。結果的には、いい方に転んだわけだが、雫が誰も気づかない程度に眉を顰めると、隣りで見守っていた久遠が口を開いた。 「ところで、僕らふたりから、雫にサプライズがあるんだけれど、聞いてくれる?」 「サプライズ?」  久遠が七月と視線を合わせ、両者がともに悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「七月と斎賀准教授が立ち上げたスタートアップに、僕が出資することになった。具体的な金額と算段も、大体ついた。あとは父を説得するだけだけれど……たぶん上手くいくと思う。僕のポケットマネーだから、役員会に諮るまでもないし、まぁ、父には報告しなければならないけれど」 「えっ……?」  目覚めた時、しきりに主寝室の外で、ふたりが話し合っていたのを思い出した。何を言い合っていたのか雫には聞こえなかったが、やっと腑に落ちる。 「まだ決定事項ではないけれど、いずれ近いうちに……そうだな、近日中には結論が出るだろうから、よろしく」 「よろしくお願いいたします、久遠さま。雫さまも」 「え、えっ……!」  久遠と七月が視線を絡め合い、示し合わせたように笑った。雫が上気した顔を上げると、ふたりのアルファはスラックスのポケットから、見覚えのある黒いレースのチョーカーを取り出し、首に巻いてみせた。雫の頭越しに次々に物事が決まってゆくのは、どこか興奮を伴うことだった。 「さ、いこうか、ふたりとも。式が終わったら披露宴だ。忙しくなるぞ」  久遠に左手を、七月に右手を握られ、歩き出した雫が左右を見比べていると、七月が見覚えのあるリモコンを懐から取り出し、雫の手中に落とした。 「雫さまには、これを預かって、いただきます」 「これ……」  雫が手中の黒いリモコンを凝視すると、久遠が蕩けるような笑みを浮かべる。 「僕の発案なんだ。指輪より目立つだろ? 間違ってお仕置きされないように、そこそこ大人しくしていないとね? 僕も七月も」 「同感です。あの衝撃は、さすがに懲りました」  肩を竦めて笑う七月が、久遠に歩幅を合わせる。久遠は、雫に合わせ、少しゆったり目に歩みを進めた。  生きてゆく限りにおいて、今は、いずれ過去になり、過去は、いつか想い出になる。雫は久遠と七月とともに歩きながら、未知の未来が待っていることに興奮を覚えた。ふたりのアルファの温もりに挟まれ「うん」と頷く。  未来というキャンバスは、誰しも平等に、白い。リモコンを大切にスラックスのポケットへ仕舞った雫は、未来を掴むため、新たな一歩を踏み出した。

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