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第35話 ラスボス(5/5)

「土下座をお望みでしたら、いくらでもいたします。おれの我が儘で、お義父さまの社会的信用に傷がついてしまったのなら、申し訳ないですから……」 「別に、そういう意味ではない」  恒彦は雫に笑われたことが不満なのか、不貞腐れた顔で呟くと同時に「皮肉も通じないのか」という顔をした。 「知ってのとおり、私はオメガが嫌いだ」 「……はい」  久遠と七月が、恒彦の攻撃対象が雫に移ったことに敏感に反応したが、当の雫は神妙な顔で受け止めるだけだった。 「オメガなどというものは、ろくでもない、諾々と命令どおりに生きるだけの、庇護がなければひとりで戦うこともできない、意志薄弱な人形のようなものだと思っていた。自らに恃むことなく人生を浪費するような輩には反吐が出る。だが……」  そこで初めて、恒彦は雫を真正面から見た。その目には、何かを面白がる色さえある。 「きみは少し、違うらしい」 「おれは……」  西園寺邸の書斎へ挨拶に伺うたび、いつもおどおどと自信なさげな態度を取っていた。それが状況を悪化させていたのだと、雫は思い至った。オメガはアルファよりも劣っているものだから、従うべき指示を待つのが順当だと、どこかで自分を放棄していた。疎まれる原因は、初めから雫の中にあったのだ。 「かつては、そうでした……。でも、少しは変われたのかもしれません。もし変われたのだとすれば、久遠と七月のおかげです。おれひとりでは、何もできなかった。そういう意味では、お義父さまの仰るとおりの、愚かな、弱いオメガだったのだと思います」 「なるほど」  相槌を打つ恒彦に、雫は今だと身を乗り出す。 「七月が音瀬家から放逐されたことは、間違いありません。だから、おれからもお願いします。七月を、久遠との間の養子にさせてください。おれは欲張りだから、三人がいいんです」  頭を下げる雫を前に、恒彦は脚を組み替え、久遠へ水を向けた。 「どうせお前のことだ。私が拒絶すれば、このことを白日の下に晒す気でいるのだろう?」 「はい、父上」  躊躇いなく頷く久遠に、恒彦は些か愉快そうに笑った。 「ふん……よく根回ししたものだ。呆れるな。ま、お前が私の血を引いていることが、嫌でもわかるが」 「お褒めの言葉として受け取っておきます」  片眉を上げた恒彦に、久遠は素っ気なく頷く。 「そういうところは死んだ母親によく似ている。よかろう。この資料は預からせてもらう。然るべき時を見計らい、公表するとしよう。出資の件と同様に、養子についても認めるものとする。ここまで食い下がったのだ。きみらが子どもを授かるまで、きっかり二年、待ってやる。頑張ることだ」 「ありがとうございます」  久遠に倣い、雫と七月が同時に頭を下げると、恒彦はよろめきもせずに立ち上がった。 「礼を言うのはまだ早い。西園寺家にアルファの男児をもたらすのが、きみらの責務だ。執行猶予期間は、きっかり二年だと覚えておきなさい」 「が、頑張ります……っ」  雫が些か力んだ返答をすると、何か含む表情になった恒彦だが、結局、何も言わずに背中を向けた。 「ああ、いい。……スペアをつくるべきだと思ってきたが、なかなかどうして、要らぬ心配だったようだ」  光と影が薄闇の中で揺らぎ、恒彦が個室から出る際に、そう呟いたのが聞こえた気がしたが、定かではない。  残された三人は、少し照れ合いながら、そっと顔を見合わせ、笑い合った。

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