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第37話 どんなきみも(*)(1/2)
久遠と互いに洗い合いながら、雫が壁の方を向くと、背後から抱きしめられる。
シャワーの水音の中、甘えるように久遠が身体を密着させる。明るい場所で求められるのは気恥ずかしく、それでいながら、雫も同じ気持ちだと知って欲しくて、後ろ手に久遠の首を撫で、振り返り、唇を重ねる。
唇も、もう既知のものだ。なのに、鼓動が走り出す。強制発情による記憶の欠落があることも、欲情に拍車をかけていた。
「ん、んん……ぅ」
甘くて、少し冷たい唾液を交換すると、久遠が雫を抱く腕に力を込めた。
「ありがとう、雫……」
「……? 何か、した……?」
快楽にぼうっとなった雫が尋ねると、久遠は切なげな表情で唇を重ね、言葉を続ける。
「僕の、心を奪ってくれた。きみを好きだと何度も思わせてくれて、今は愛を囁くのを許してくれている。傍にいてくれて、味方になってくれて、結婚してくれて、一緒にお風呂にも入ってくれて……夢だったら、どうしようか……?」
泡を落として湯船に浸かると、尾てい骨のあたりに久遠の屹立が当たる。わざと当てているのかもしれないが、その仕草はどこか胸に迫り、雫は久遠の手に手を絡めると、そっとくちづけた。
「夢じゃない。おれも久遠が好きだ」
一緒に生きる約束をした。気持ちを口にするだけで、心の深い部分が悦びに満たされる。発情促進剤の余波か、暴走しそうな雫を背後から抱いた久遠が言う。
「初めてきみと話した時のことを、僕も鮮明に覚えているよ。あんなに小さな頃から、きみは自分を律する厳しさを持っていた。……なんて美しい子だろうと思った。あれからずっと、きみの虜だ。きみは知らないだろうけれど、第二種性別検査後も、雫と番いたい、と考えるアルファは多かったんだ」
「そうなの……?」
久遠の声が鼓膜の奥でキラキラと弾ける。そのたびに、雫の奥底に眠る、オメガだという欠落と不安が、ゆっくり満たされてゆく。本当はずっと、認められたかった。オメガとしてでなく、雫の個性を見つけて欲しいと願っていた。その夢を今、久遠がかなえようとしてくれている。
「きみがアルファだったら、きっと手の届かない存在になって、余計に遠くへいってしまう。そんな未来まで待てなくて、僕は卑怯な手を使った。誰かに取られるなんて絶対に嫌だった。あの教室で、きみが級友に謝ってみせてくれた時から……僕の雫は、すごく、凄かったんだ」
おどけた久遠の言い方が、かえって真に迫っていて、切なくて眩しい。
「父を相手に、あんな啖呵を切ってくれて、ありがとう。あれが、場をおさめるための方便だったとしても、僕は……」
思い詰めたように言葉を切った久遠を遮り、雫は久遠の髪に指を差し入れた。
「本心だよ」
そっと撫でるように優しく、くるりと丸まったくせ毛を指に絡める。久遠がいつも雫にしてくれる、そのままを返したい。
「あんなに……その、されて、感じないわけ、ない。おれは久遠が好きだ。強くて折れない、何でもできて、奢らない、大事な人だ。正直、最初の頃は……おれじゃ、釣り合わないし、子供時代だけの、遊びの延長でもいいと考えていた。きみの心がわからなくて、不安だった時期もある。でも、久遠はいつも、おれを選んでくれた。おれにとって、久遠は、恒星みたいなものなんだ」
たゆまず照らしてくれるから、雫は背伸びをして、無茶もできる。無理強いをしたがらない久遠が、求めながら途中でブレーキを踏む意図が汲めず、不安だった日々もある。でも、今は雫が選んだ道を、同じ気持ちで久遠も選んでくれていたのだと信じられる。
雫の身体を慮り、発情促進剤を使うなと窘め、七月を諦めきれない雫を無私のまま励まし、道を示してくれた。裏切りを告白した時でさえ、大事にしたいと受け入れてくれた。強制発情に苦しむ雫を見捨てず、付き合ってくれた。
返しても返しきれない。
久遠が選んでくれたから、雫は久遠のものになる。
「きっと、きみがアルファじゃなくても、おれがオメガじゃなくても、久遠に憧れたし、惹かれたと思う……そういうきみが、好きなんだ。それと、もうひとつ」
雫は振り返り、視線を絡め、両腕を久遠の背中に回す。
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