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第38話 希いのすべて(*)(1/1)

 間接照明だけの寝室のベッドサイドに、雫は久遠とともに腰掛けた。  七月を待ちながら、時間を引き延ばす久遠の気持ちが嬉しくて、だけど少しもどかしくて、肩が触れ合うたびに温かな気持ちが満ちる。 「今日……雫がねだってくれて、凄く嬉しかった」 「あれ、は……」  強制発情中のことは、途切れ途切れにしか覚えていない。だが、久遠の唇を奪い、ねだりがましく行為をせがんだ記憶はあった。心底、恥ずかしいことをしたと反省する雫に、久遠は蕩けるような笑みを向ける。 「おれも、嬉しかった……」  応えてくれた久遠の舌先に触れた瞬間、躊躇いが融けて、頭が真っ白になった。久遠にも、七月にも、たくさん心配をかけた。なのに、久遠が素直に求めてくれるから、雫は快感を覚える。  愛されているのがわかる躊躇いの中、手探りで雫に応えようとしてくれる久遠から、燃えるような熱情を感じた。あんなキスを返されて、どうにかならないわけがない。雫がそうだったように、久遠もそうなら、幸せだった。 「雫のキス、可愛くて好きだ」  耳元で誘惑される。ローブの襟から差し込まれた指に胸の尖りを探られ、小さな粒を撫でられると、頬が染まり、埋み火を意識する。 「っ……ん、っ……」  手を握られ、誘惑され、色めいた声を上げてしまうのが恥ずかしい。でも、好きな人には、素直に気持ちを伝えたい。身じろぎして学んでいる最中の雫に、久遠は揺れる声音で問うた。 「したくない……?」 「ん、そ、じゃな……っ、ぁん……っ」  こめかみにくちづけられ、首筋を指で辿られる。 (これ……いつも、の……)  熾火が爆ぜ、発情促進剤を摂取した時とは異なる、じわりと骨に染み込むような快楽が生まれる。久遠のバスローブの袖をぎゅっと引き掴み、引き寄せた鎖骨に顔を埋めると、やっと吐息をつくことができる。 「雫……?」 「駄目、顔、見ちゃ……っ」  きっとみっともなく歪んで、あさましい表情をしている。燃え上がる前にある程度まで熱を鎮めようと試すが、久遠の肩口に顔を寄せると、うっとり名前を呼ばれる。 「雫」  好きになったのは、アルファだからじゃない。最低の「F」ランクでも、発情期が訪れなくても、久遠への執着を捨て切れなかったのは雫の我が儘だ。途中で引き返す道なら、いくらでもあった。でも今は、ただ久遠と生きたい。七月とともにいられるように、久遠にも傍にいて欲しい。 「好きだ、雫……」  欲張りだとわかっている。きっとすぐには周囲の理解が及ばないことも。再び久遠から、こめかみにくちづけを受け、走り出す鼓動を緩める術が見つからない。 「ぁ……っ」  認めざるを得ない。久遠に愛される想像をして、欲情してしまっている。その感覚は既知のものに似ているが、繰り返せば慣れる類のものではなかった。 「久遠、好き……っ」  胸の奥で熱が弾ける。細くフェードアウトした囁きが届いたかどうか、確認しようと雫が顔を上げる前に、久遠の両腕がきつく雫を抱きしめた。 「くお……っ?」 「雫、きみといると、何だか……」 「んっ、ちょ……っ、少し、その、ぁ、きちゃ……っぅ、から……っ」  腕の中で身じろぎする雫に、体温を伝えるような抱擁をしてくる。雫が息を詰めて「くる」と待ち構えた時、小さな波が緩やかに育ち、雫を飲み込んだ。 「っ〜〜……っ!」  薬はもう抜けいているはずだ。なのに身体が過敏になり、久遠のフェロモンに反応する。 「ぁっ……ぃ、ちゃ……っ」  ざわりと背筋を駆け上がる快楽の波が、止まらず指先まで駆け抜ける。最初の波に攫われた雫を、久遠はなおも抱きしめ、離そうとしない。下肢が震え、白濁をローブの中に吐き出してしまう。我慢が利かず、粗相をしてしまった雫は、小刻みに震えながら恥じ入る。 「も……、き、みの……せい、で……っ」  涙目になり身体を離そうとするが、雫の自由を久遠は許さない。 「僕に、欲情してくれた……? 嬉しいな」  昼間は薬に酔っていたが、今は素面だ。だから、身体が欲しがるのを止められないのが意志の弱さである気がして、厭わしい。 「あの、少し、その……お、抑えが利かなくなりそうだか、ら……っぁ」  そっと苦情を吐き出す雫の唇を、久遠が塞ぐ。 (あ、これ……っ)  久遠の唇が震えていた。きっと不安がっている、と考えが至ると、ふと身体の力が抜け、雫は熱い呼吸をしながら、久遠の背中へ手を回す。 「きみ、と……いる、と……っ」  抱き合うだけで、久遠から不安が静かに霧散する気配がする。交わる時は、いつも七月が傍にいた。雫の発情条件に必要なのが七月のフェロモンだけなら、こうはならない。でも、久遠のフェロモンにも、雫は反応する。つまり、単純な差し引きだけでは、発情をコントロールできないということだ。久遠のフェロモンに対する雫の反応強度が、交わったことで強くなったのだろう。心理的要因も、大きく貢献していそうだ。 「うん……僕もちょっと、抑えられなくなりそうだ」  掠れた久遠の声音に、雫の体温が上がる。 「ぁ……っ、久遠、っしよ……?」  いたずらに久遠を不安にさせたくない。発情の予兆が浅瀬に到達してから数十秒。沈黙のうちに、どちらからともなくキスをする。 「ん……っ」  濡れた水音に頬を染めながら、雫は久遠の舌についてゆこうとする。強く抱かれすぎて、腕に爪が食い込むことが、雫を甘くさせる。痛いのが気持ちがいいだなんて、実際に触れ合うまで知らなかった感覚だ。 「あの……久遠」 「ん……?」 「おれ、と……しよう? その……離れたく、ない、し、が、我慢……しづらい、から……」  少しだけ、と羞恥に掠れながら強請る雫の声に、久遠は少しの間、迷っていたが、やがて頷いた。 「めちゃくちゃに乱れるきみも素敵だけれど、恥ずかしがるきみも好きだ」  しようか、とまるで当然のことのように求めてくる久遠が愛おしい。深く求め合うのは、換えのきかない相手だからだ。七月と三人で交わった時にこそ、それが完璧になると雫も久遠も考えている。 「おれ……ずっと久遠が好きだったんだ。だから……ん」 「続きはきみの身体に聞くよ」  囁いた久遠の声が、鼓膜の内側できらきらと爆ぜる。  雫は七月を待ちきれずに久遠を求め、正解のない世界へと踏み出していった。

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