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第40話 授かりしもの(1/3)

「雫。一報くれれば迎えにいくのに」  三人で絡み合いながら眠ることにも、慣れた頃のことだ。  雫が斎賀ラボの新しいオフィスを訪ねると、ちょうど七月と久遠が打ち合わせ中だった。公私ともにタッグを組んだふたりのアルファは、雫が歩み寄るなり、資料から顔を上げる。 「子どもじゃないんだから、大丈夫だよ。久遠は過保護だ」  雫が久遠を揶揄すると、七月が唇を綻ばせる。音瀬家で泰衡に傅いていた頃は変化の少なかった七月の表情筋は、最近、よく仕事をするようになった。 「大事な身体なんだから、過保護ぐらいでちょうどいいんだよ」 「久遠の言うとおりです。報せていただければ、すれ違うこともないですし、いつでも駆けつけますのに」 「七月まで」  困った表情の雫の体内に、小さな命が宿っていることがわかったのは、初夜から三ヶ月ほど経過した、つい先日のことだ。久遠に娶られた雫と、西園寺の縁者となった七月のこともあり、婚姻後、しばらくは、ゆく先々で人だかりができるほど世間を賑わせることになった。過熱した報道関係者や、影で敵意を剥き出しにしてくる陰湿な輩もおり、彼らへの対応にかなりのリソースを割いたが、久遠と七月、それに雫が、何を言われようと態度を変えずに対応を繰り返すうちに、大きな騒ぎだった出来事も、日々に色褪せ、自然と鎮静していった。  今は、だいぶ静かになった世間とどうにか折り合いを付けられたこともあり、四人でのハネムーンを計画しているところだ。本来ならばすぐに旅立つ予定だった新婚旅行を、騒ぎの後始末のおかげでキャンセルしなければならないのは口惜しかったが、雫の懐妊に喜んだふたりのアルファと相談しながら予定を立てることを、今は、とても楽しんでいる。  雫のうなじには、久遠の噛み跡に重なるように、七月の歯型も付いている。消えそうになるたびに雫がねだって、噛んでもらっているのだ。柔らかく牙がめり込む瞬間、目の前が真っ白になり、気持ちがふわりと浮き立つことがわかってからは、最初は遠慮がちだった七月も、雫の希望を聞き入れ、マーキングのように、時々、甘噛みする。 「もう時間だ。切り上げよう、七月」  恒彦経由で婚前診断書を公開した日を境に、西園寺グループは一時、蜂の巣を突ついたようになった。恒彦がスカイラウンジで久遠から預かった書類とともに、婚姻と養子縁組に対する前向きな談話を出さなければ、もっと騒ぎは長引いていたかもしれない。今は、両家の配慮もあり、滞りなく日常を送れるようになっている。 「そうでした。恒彦さんとの約束が」  七月は恒彦を、さん付けで呼ぶ。養子縁組という形で西園寺家に入った七月だが、対外的には涼風姓を使用し続けている。大学でも、まだ時々、鋭い視線を浴びることはあるが、三人でいるところへ真っ向から反対意見を言いにくる猛者はいなかった。誰もが様子見状態で、学生生活が忙しいこともあり、いつまでも他人のゴシップに付き合っている暇はない、というのが本音なのかもしれない。 「帰りましょうか。久遠、雫。斎賀……! 施錠をお願いしても?」  七月が声を飛ばすと、奥で資料とスパコンに埋もれながら働いているらしき、斎賀准教授の右腕が上がった。七月と斎賀准教授がローンチした事業の出資者である久遠は、時々、こうして進捗状況などを共有しているが、斎賀准教授は、丸眼鏡に白衣姿でせかせか仕事をするタイプの一点集中型のアルファで、あまり研究開発以外のことに時間を割きたがらない。対外的なことを七月に丸投げする傾向にあるが、メディア映えする容姿の七月は、そういった方面にも長けており、如何なく能力を発揮していた。 「今夜は冷えるな……」  外へ出て、コートの襟を立てた久遠の少し前を雫がゆく。 「半年なんて、あっという間だったね。少し、夏が懐かしい」 「同感です」  相槌を打つ七月が、久遠の半歩後ろを歩く。  音瀬家を束ねている泰衡は、あれからほどなく軽井沢の別荘へ引きこもり、徹底的に雫らと会う機会を避け続けている。業務の大半をリモートに移行し、音瀬商事に君臨し続けているが、どうにもならない問題は柏木がカバーしているようだ。音瀬家は後継者を育ててこなかったことから、泰衡の引退後、事業承継をどうするかが残された課題だった。  白い息を吐きながら、足早に駐車場へ向かうと、七月の運転で、恒彦に指定されたハイジュエリーの専門店へ向かう。新しく運転手を付ける案も出たが、長年の習性もあるのか、七月が自らハンドルを握りたいと言ったので、今の形に落ち着いている。  店の扉を開け、奥へ通されると、恒彦がソファに座り、コーヒーを飲んでいた。 「お義父さま、お久しぶりです」  顔にはあまり出さないが、スカイラウンジでの一件以来、恒彦は雫に一目置く雰囲気で、久遠と七月により、雫に宿った新しい命が育つのを、楽しみにしている気配があった。 「身体は大事にしているんだろうね? きみはもう、ひとりではないのだ。自覚をしっかり持ちなさい」

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