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第2話 はち
『三週間、出張決定しました』
そんな言葉と、飛行機の絵文字を追加した。
その途端に返ってくるたくさんのリアクションを眺めながら、
休憩所のソファに寄り掛かり天井を見上げた。
三週間。
三週間で、たった一人で、町工場の立て直し。
向こうの品質保証課はたったの三人。
――とりあえず品質保証課のレベルアップをしてもらえたらいいから。なぁに、そこが上がれば自然と全体のレベル上げに繋がるよ。
だから観光がてらと思って行ってきてほしい、と言われたって。
きっとだれか別の奴が派遣されるのなら同じようなことを自分だって言うだろうけれど。それを実行する側は……だ。
もしも、もし仮に品質保証課のレベル上げができたとしたって、たった三人のレベル上げがどこまで他に影響力があるか、だ。
課長は、あのニコニコ顔を見る限り期待できそうにない。
斎藤さんはデスクワークがメインと言っていたから、難しい。
残りは……若い、からなぁ。
「……はぁ」
うちでも同じ歳くらいの新人はいるけど。教育、レベルアップ以前に、俺はあの枝島に好かれてなさそうだし。
それに。
まさか三週間といえ、向こうに戻ることになるなんてな。
「……」
まぁ、会うことは、ないだろ。
ほぼ大学の知り合いとは連絡取ってないんだし。
『えぇ? はちさん! 出張! どのあたりになんですか?』
発言にパパッと返ってくる返事を眺めながら、出張先へと飛んでいく飛行機の窓から外を眺めた。雲の上は青い空。当たり前だけど、清々しいその景色を見ながら、小さく、わずかにこめかみの辺りに痛みが滲む。
昔の痛み。
もう、あいつに会うなんてことは――。
――ごめん。はち。まさか。
ありえないんだから。
――本気だと思ってなくて。はちが俺のこと。
最初に俺をはちって呼んだのはあいつだった。
治史(はるちか)、で、はち。
――はち、で、いーじゃん。可愛いし。
大学だった。
初めての恋愛は。
相手は寮住まいだった別の学科の友達。
そいつの隣に俺と同じ学科の奴がいて、知り合ったのはそれがきっかけ。
俺たちはしょっちゅう一緒に酒を飲んでた。大学生なんて酒の飲み方も知らないからよく酔っ払いすぎては、終電を逃して、同じ学科の奴の部屋を宿代わりにしていた。
本当は寮生以外立ち入り禁止なんだろうけど、男の学生なんかは裏口使って出入りし放題にしていた。これが女の子とかだとそうもいかないんだろうけど。それでもその寮内に彼女を連れ込んでる奴はたまに見かけたし。ちょうどいいラブホみたいなものだろうから。無料で使える都合のいいラブホ。難点は、まぁ、壁が薄いことくらいかな。声がまる聞こえになるから。だからたまに不都合というか困り事もあるわけで。
その日は俺とあいつと、同じ学科の奴、とその彼女で飲んでた。
もちろん、その日だって帰りの電車を逃して泊まることに。
彼女も泊まるつもりだったんだろうな。そして俺は同じ学科の奴の部屋には泊まれず、仕方なしに隣の部屋のあいつのところに。
酒で頭はふわふわしてた。
酔っ払っていた。
そして、壁の向こうからは「彼女」の甘ったるい喘ぎ声が時折漏れ聞こえてきて。
――なぁ……。
発情するのは、簡単だった。
――治史。
――あ、ちょっ。
だって、俺は、そいつのことが好きだったから。
そのまま男同士のセックスに溺れるのは、隣のセックスの音に発情するよりも簡単で、罪悪感も、羞恥心も、困惑も勝てないくらい強い快楽だった。
そいつのことを思っていつも一人で慰めていたくらいだったから、そんななし崩しになだれ込んだセックスだろうと拒める分けなくて。
好きになった相手に求められる快感なんて抗えるわけない。
それから終電を逃して泊まる部屋は同じ学科の奴のとこじゃなくて、あいつの部屋になった。
――なぁ。
そう言われて、肩を抱かれれば、もう、そのまま……。
何回もそいつとセックスをした。もう毎日が楽しくて仕方なかったある日。
――ごめんっ! 治史。
その日はレポートの提出に追われてて、帰りが遅かったんだ。寮に寄って、あいつを誘って、レポート完遂祝いに飲もうと思って、酒を持ち込んで。
――今日、お前、レポートがあるって言ってたから!
あいつの部屋で見たのは、あいつの彼女とあいつのセックス現場。もうその後は――。
それが初めての恋愛で。
それが初めてのセックスで。
それが。
――ごめん。本気とは……思ってなくて。
初めての失恋。
初めての、人生の転機となるようなアクシデント。
――男同士だし、だから……。
もう恋はしない、と思った。
俺は夢中になっていたけれど、あいつにとってはただのセックスだったんだ。恋愛じゃなかった。
――俺だって本気じゃなかったよ。別に。
バカ、だよな。
セフレくらいの関係だったことに気が付かないし、売り言葉に買い言葉で、強がって、俺も別にお前なんて、とか言って、意地張って。
『出張、どこに行くんですか? はちさん、もしこっちに来るなら一緒に飲みたいな』
バカ、だよ。
意地張って、見栄張って、今でもこうして遊んでそうなフリなんてして。
――お前としたのだって、別に、ちょうどよかったからってだけだから。
あいつなんてとっくに俺のSNS見てなんていないだろうに。
『わー、はちさんが三週間も! こっちに出張でありますように!』
『会いたいな』
『ぜひ、会いたい!』
昔作ったアカウントで、あいつも繋がっていたから、そこではいまもこうして。
――本気な訳ないじゃん。むしろ、彼女いたなら言って欲しかったわ。俺、お前と違って、そこまで不誠実じゃないからさ。彼女かわいそ。
可哀想なのは俺だろ。
――そんなのとはセフレにもならなかったのに。
ただの遊び相手だなんて。
「……はぁ」
今もこうして、『はち』として遊んでるフリなんてして、そこに返ってくる軽くてペラペラな浮ついた言葉だろうと、気持ち良くなってるなんて、本当にさ。
「……バカ、だなぁ」
そう呟いて、また振動して何か通知しているスマホをぎゅっと握った。
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